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最終回 ゲンジン先生への手紙(2)

 私は茫然としたように、机の前に座っていた。

 ふと、「祈り」という言葉が頭に浮かんだ。
「祈り」なんて、私には縁遠い言葉だが……。それがなぜ、いまふと浮かんだのだろう?
 祈り――。
 手を合わせて……右手と左手をそっと合わせて……。
 私は目を閉じて、「祈り」というものをイメージしてみた。すると、頭の中で合わせた右手と左手が、右脳と左脳に変化した。
 なぜだか一瞬、ドキッとした。


「祈り」とは、ゲンジン先生の文章のどの世界認識に当てはまるだろうか。
 目を閉じたまま、私は考えてみた。

原人型世界認識」は、重なる部分はあるが、まったくのイコールではない。
“自我”を薄くして、耳を澄ますということが共に中心にあるのは分かるが……。
 しかし、完全にイコールではないような気がする。この世界認識は「乳児」的で、“自我”の要素はまったく感じられない。
 しかし、祈りには、“自我”もあるのではないか。それに、祈るこころには「喜び」だけではなく「悲しみ」がある……。

指さすホモ・サピエンス型世界認識」はどうか。
 これも、重なる部分があるような気がするが、しかしまったくイコールではない気がする。
 右脳・左脳のバランスの良さから言うと、この世界認識であるような気もするが……。
《指さし》は……そうだ、「子ども」のイメージだ。しかし、祈りには「大人」の目線も含まれている気がする。

 では、「把握するホモ・サピエンス型世界認識」なのだろうか?
 この世界認識が一番「母親」的だ。ゲンジン先生の文章によれば、ここには「悲しみ」も「叫び」もある。はっきりとした“自我”もある。
 しかしやはり、この世界認識だけ当てはまっている、というのも違うような気がする。祈りというものには、この「母親」の目線とともに、「乳児」のような「原人型世界認識」の要素も、やはり必要な気がする。
 では……「祈り」とはいったいなんだろう?
 私は目を開けて、目の前の空間を見つめた。

 祈り――。
 祈りとは……。

 祈りとは、もしかしたら、この三つの世界認識の統合なのかもしれない。
「原人型世界認識」と「指さすホモ・サピエンス型世界認識」と「把握する世界認識」の調和、そして共存――。

 手を合わせて、過剰な“自我”の働きをそっと鎮める……。しかし、かといってまったく“自我”が存在しないわけではない。“自我”も、はっきりとそこに在る(前頭葉も、前頭葉そのものとして、確かにそこに在る……)。そこにいて、祈りの「言葉」を物語っている。
 すべての部分が、そのものとして、はっきりと目覚めながら、静かに耳を澄ませている。
 手を合わせ……過去の記憶を受け止めつつ。「悲しみ」を受け止めつつ。
 目を閉じ……未来を見据えつつ。
 耳を澄まし……そして、「いま・ここ」にひざまずきつつ――。
“ただ結びあわせよ。……(`Only Connect……′)”
「祈り」とはもしかしたら、人間の持つすべての世界認識の統合なのかもしれない。
 私はゲンジン先生の原稿の上に手を置いた。
 ゲンジン先生の文章とはつまり、彼なりの「祈り」だったのかもしれない。

……

 その夜、私は一晩かけてゲンジン先生への長い手紙を書いた。

                                (終)


~参考文献~

本文に明記したもの

・ 『われら以外の人類~猿人からネアンデルタール人まで~』内村直之=著 朝日新聞社 2005
・ 『5万年前に人類に何が起きたか?~意識のビッグバン』リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー=著 鈴木淑美=訳 新書館 2004
・ 『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 熊谷淳子=訳 早川書房 2006
・ 「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《サルやヒトは視覚動物》http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain
・ 『心を生みだす脳のシステム~「私」というミステリー~』茂木健一郎=著 NHKブックス 2001
・ 『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005
・ 『胎児の世界~人類の生命記憶』中公新書 1983
・ 『ヒトのからだ~生物史的考察』三木成夫=著 うぶすな書院 1997
・ 『子どもはことばをからだで覚える~メロディから意味の世界へ』正高信男=著 中公新書2001
・ 『ムンク』ウルリヒ・ビショフ TASCHEN 2002
・ 『まど・みちお全詩集』まど・みちお=著 理論社 1992
・ 『赤ん坊はなぜかわいい?~ベイビー・ウォッチング12か月』デスモンド・モリス=著 幸田敦子=訳 河出書房新社、1995
・ 『脳と無意識~ニューロンと可塑性』フランソワ・アンセルメ+ピエール・マジストレッティ=著 長野敬+藤野邦夫=訳 青土社 2006
・ 『心の先史時代』スティーヴン・ミズン=著 松浦俊輔・牧野美佐緒=訳 青土社 1998
・ 『「私」の脳はどこにいるのか』澤口俊之=著 筑摩書房 1997
・ 『内臓のはたらきと子どものこころ』三木成夫=著 築地書館 1982
・ 『インディアンの言葉』ミッシェル・ピクマル=編中沢新一=訳 紀伊国屋書店 1996
・ 『カイエ・ソバージュⅤ 対称性人類学』中沢新一=著 講談社選書メチエ 2004
・ 『すべてきみに宛てた手紙』長田弘=著 晶文社 2001
・ 『夜と霧・新版』V・E・フランクル=著 池田香代子=訳 みすず書房 2002
・ 『うつむく青年』谷川俊太郎=著 山梨シルクセンター出版部 1971

 その他

・ 『生命の暗号~あなたの遺伝子が目覚めるとき』村上一雄=著 サンマーク出版 1997
・ 『海馬~脳は疲れない』池谷裕二・糸井重里=著 新潮文庫 2002
・ 『脳と心の地形図~思考・感情・意識の深淵に向かって』リタ・カーター=著 藤井留美=訳 養老孟司=監修 原書房 1999
・ 『脳の中の幽霊』V・S・ラマチャンドラン+サンドラ・ブレイクスリー=著 山下篤子=訳 角川書店 1999
・ 『台風の眼』日野啓三=著 新潮文庫 1993
・ 『夏の花・心願の国』原民喜=著 新潮文庫 1973
・ 『余白の旅~思索のあと』井上洋治=著 日本基督教団出版局 1980
・ 『死海のほとり』遠藤周作=著 新潮文庫 1973


・ 『新共同訳・聖書』日本聖書協会 1987


 以上で『マイーム~「いま・ここ」に在る喜び』の連載を終了いたします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
                2008年7月17日記  筆者

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