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第44回 ゲンジン先生への手紙(1)

 その夜、書斎で私は机に向かって考えていた。

 改めて、「記憶」について――。
 長期的な記憶にはふたつある。ひとつは、脳によって整理され、改編された記憶。もうひとつは、遺伝子の発現によって補強され、保たれた記憶。
 つまり、遺伝子の発現が関わった記憶は改編されにくい――ということがあるのかもしれない。遺伝子が関わることによって、記憶は改編されにくくなる……。もちろん、完全な体験そのものが保存されているとは言わないが、しかし想起すると、その体験に関連した「情動」がみずみずしく蘇る。

 記憶は、遺伝子が関わることによってみずみずしく保たれる……。
 再び、私のうちに信慈が生まれたときの記憶が蘇ってきた。
 生まれたばかりの信慈を抱き……こころが喜びに満たされ……ベッドには瑞江がいて……。そのとき、信慈は私の腕の中で微笑んだような気がした。
 私は、いままで、ことあるごとにこの瞬間のことを思い出してきた。仕事がうまくいかず辛いときも、この記憶さえあれば自分はこれからも前を向いて歩いていける気がした。
 そういう意味で、大切な瞬間とは、私の中でいつまでも「いま・ここ」なのかもしれない。思い出すたびに、私はその「いま・ここ」の瞬間に立ち戻る。あのときの記憶が、今日も私を生かしてくれている。あの記憶には、間違いなく遺伝子の発現が関わってくれているに違いない。
 私はハッとした。
――では、そのように働いてくれた遺伝子とは一体なんなのだろう?

 ゲンジン先生の説によれば、そもそもホモ・サピエンス誕生の発端は「産声の記憶」だった。産声を記憶するため遺伝子が変異し、結果、さまざまな体験を記憶するに適した、新しい脳の構造が生まれたのだった。
 ホモ・サピエンスの誕生そのものにも、遺伝子の働きが関わっている。
 そうして、ホモ・サピエンスの脳の構造は、乳児的なものから母親的なものへ転換した。言葉も、「哺乳」するのではなく、「授乳」する――「吸い込む」のではなくて、「吐き出す」ようになった。
 吐き出す言葉――ゲンジン先生の説によれば、その起源には、乳児的視点から母親的視点への転換がある……。
「call(呼ぶ)」から「say(言う)」へ――。
 それはそもそも、母親が我が子の「叫び」を聴き取るための変化だった。
――では、そうした変化をつくりだした遺伝子とは……?

 私はゲンジン先生の原稿をパラパラとめくった。
 彼の言う《母なる遺伝子》。
 この発想は、いったい彼のどこからやってきたのだろう?
 彼の言う《吸い込む言葉》。
 この直感は、どこからやってきたのだろう?
 それは、数百万年前から数十万年前の話だ。もちろん、彼自身がそれを体験したわけではない。体験して、記憶したわけではない。
 では、どこから……?

「脳」の働きによって改編された記憶。
「遺伝子」の働きによって改編されていない記憶
 遺伝子は、自身を発現さすことによって、記憶をどうしようとしているのだろう?記憶をみずみずしく保って、どうしようとしているのだろう?
 ふと、「遺伝子の記憶」という言葉が浮かんだ。
 遺伝子の記憶――。
 本当に大切な瞬間は、もしかしたら遺伝子そのものに記憶されるのだろうか?
 本当に大切な「いま・ここ」の瞬間は、遺伝子そのものに刻印されているのだろうか?
 ヒトの遺伝子には、先祖代々の「いま・ここ」の記憶が保存されているのだろうか?
 この私の遺伝子にも……?
 私は再び、ハッとした。
 彼の直感は、もしかしてそこからやってきているのか……?

 原人時代の記憶も、もしかしたら私たち自身の遺伝子に刻まれているのかもしれない。
 数百万年におよぶ人間の記憶というものが、もしかしたら私たちの遺伝子にも刻まれているのかもしれない。
「本能」というもの――それもつまりは、「遺伝子の記憶」の働きなのだ。蜘蛛が誰に教えられることもなく美しい巣をつくれるのも、鳥が遥かな距離を迷わず移動できるのも、小動物が天災を前もって察知するのも、遺伝子の働きなのだ。私たちが本能と呼ぶものは、生命が誕生してから長い長い年月をかけて蓄えられてきた、「遺伝子の記憶」の発動なのだ。
 動物は、その遺伝子の記憶――本能に基づいて生きている。しかし、私たち人間は脳が発達しているので、本能そのままでは生きられない。“意識”と“自我”が、本能の働きをさまたげるからだ。
 しかし、もしかしたらいまこの瞬間も、遺伝子は私たちにメッセージを送っているのかもしれない。“意識”と“自我”の間を抜けて、何らかのメッセージを送っている……。
 私たちが「直感」と呼ぶもの。または、「第六感」「虫の知らせ」と呼ぶもの。
 それらは、もしかして遺伝子からの発現(メッセージ)なのだろうか?
 そのメッセージを、むしろ無きものとしようとしているのが“自我”が棲む前頭葉なのだろうか? 我こそが、このからだの管理人だと……。
「遺伝子の記憶」――。人間の「直感」とは、その「遺伝子の記憶」からやって来ているものなのだろうか……?
どうしたんだろう、私としたことが。こんな突拍子もないことを考えるなんて。
(ゲンジン先生の影響だな)
 私はひとり、苦笑した。

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