第42回 おわりに
おわりに ~あなたが、あなたそのもので在って、良い
改めまして――。
なぜ人は、外界に“母なる声”を感じるのでしょうか。
考えてみると、不思議なことですよね。なぜ僕は、外界に“母なるもの”を感じるのでしょうか。なぜ僕の前頭葉は、外界と《あたたかい母の腕》の間に「つながり」を見出すのでしょうか。なぜ、外界の発する“声”と、懐かしい“母なる声”の間に、同じ「つながり」を見出すのでしょうか……?
それは、この世界にはそもそも、“母なるひびき”が存在しているからだ、と僕は考えます。というより、僕はそう信じています。
(あなたが、あなたそのもので在って、良い)
この世界には、そう僕たち人間に(そして、すべての存在に)やさしく語りかけてくれる“母なるひびき”が存在している――。
これが、僕の信仰です。
「慈しむ」という言葉があります。慈しみとは、過去・未来関係なく、「いま」目の前に存在しているものそのものを、丸ごと受けとめてはじめて生まれ出て来るものです。この世界に存在するもの一つ一つを、それそのものとしてはっきりと抱きとめてはじめて、この慈しむ「こころ」は生まれ出て来るのではないでしょうか。この“母なるひびき”とは、「いま・ここ」に在る存在そのものを、ひとつひとつ、しっかりと抱きしめてくれる慈しみ深き“声”……です。
根本にあるのは僕自身、ただ信じる(信頼する)ことでしか表現出来ない“何か”です。
(あなたが、あなたそのもので、在って、良い)――
この世界には、そう語りかけてくれる“母なる声”がある。
そしてどんなときも、“母なる声”は共にいてくれる。
僕たち人間は日々、その“母なる声”に生かされている……。
僕が今回、仮に名付けた「原人型世界認識」という世界認識は、この“母なる声”を、耳を澄ませて聴き取るものです。
「あなたが、あなたそのもので、在って、良い」――。
僕たちの「サピエンス(知恵)」はその「ひびき」を指さし、また、物語る――。
(筆者注:連載自体はあと3回続きます)


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