第41回 ホモ・サピエンス型世界認識(19)
「人間のこころ」を形づくる三つの世界認識
今まで述べてきた、「人間のこころ」を形づくる世界認識をまとめると、次のようになります※。
※もちろん、これら「人間のこころ」の下には、「動物のこころ」という層があります。
○「原人型世界認識」
目の前の存在一つ一つ(外的現実)が、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
・外的現実のみずみずしい感受。
・原初的な“私”(意識)
○「ホモ・サピエンス型世界認識~指さし~」
「いま」目の前にあるものそのもの(外的現実)に、「かつて」の記憶(内的現実)を結び合わせる。
・素朴な《指さし》(指示思考)
・“自我”の目覚め、「内的現実」の発生。
○「ホモ・サピエンス型世界認識~把握~」
「かつて」の記憶と記憶(内的現実と内的現実)を「時系列上」に結び合わせる。
・意欲的な《把握》(抽象思考)
・“自我”の発達、「内的現実」に重心が置かれる。もはや「いま・ここ」の外的現実は問われない。
・時系列、物語の発生
ホモ・サピエンスの世界認識とは、素晴らしい「知恵(サピエンス)」の源です。この世界認識がないと、ホモ・サピエンスの文化の発達もありえなかった。素晴らしい芸術も、科学も、この新しい世界認識なしには誕生することはなかったでしょう。
ただ、ホモ・サピエンス世界認識――特に、把握するホモ・サピエンス世界認識は、過剰になり過ぎると危険なのです。すでに何度も書きましたが、把握する世界認識は、外的現実に即さないでも成り立ちます。むしろ、「いま・ここ」の外的現実への認識が希薄になったとき、人間のあたまの中では抽象思考がはじまる、と言うことも出来るかもしれません。「原人型世界認識」が希薄になったとき、人間のあたまの中では把握する世界認識が動き出す……。それはいわば、考え事をしながら道を歩いている状態です。
「原人型世界認識」の喪失は、「こころ」の危機と紙一重である、と僕は考えます。つなぎとめるものを失った“自我”は、とたんに暴走をはじめます。“自我”はおのれの内的現実のみに過剰な「つながり」を見出すようになり、そうして、外的現実から離れた「妄想」が拡大していくことになります。
「原人型世界認識」とは、「動物のこころ」と「人間のこころ」の間を執り成す、一枚の皮膜である、ということが出来るのではないでしょうか。この皮膜を喪失すると、「ホモ・サピエンス型世界認識」が暴走したり、また「動物の世界認識」と「ホモ・サピエンス型世界認識」が不自然なかたちで合流してしまったりする、と僕は考えます。
他者への暴力、自己破壊への欲求、「死」としての主客未分への傾倒……それらは、主客未分な「動物の世界認識」と、“自我”が宿る「ホモ・サピエンス世界認識」が不自然なかたちで混ざり合ってしまった結果なのではないでしょうか。
「ホモ・サピエンス型世界認識」は僕たちが手に入れたかけがえのない「知恵」ですし、この認識なしには僕たちは生活していくことは出来ません。しかし、常に「いま・ここ」の私そのもの――という「原人型世界認識」を自分の原点として、「こころ」に留めておく、いつでもそこに立ち戻れるようにしておく、その姿勢が大切であると僕は考えています。
「人間のこころ」の原点に、「原人型世界認識」をすえる――。
「原人型世界認識」を人間の「こころ」の原点に置くということは、「喜び」をその原点に配置するということです。
はじめに「喜び」があった――。
僕たち人間の世界認識の根底にあるのが「喜び」であるとしたら、これほど「ハッピー」なことはないのではないでしょうか。
何かに包まれることで
ぽっかり空いた空間――それが“私”。
あたたかな何かに抱きしめられることで、
確かに感じた輪郭線――それが“私”。
やさしい何かに微笑みかけられることで、
思わずもらした笑い声――それが“私”。
何度も繰り返すようですが、「原人型世界認識」を失った「サピエンス(知恵)」は暴走します。特にここ数百年、(出産を経験しない)「男性」の「サピエンス」の暴走には著しいものがあります。
いま、この世界は「サピエンス」が暴走しています。いや、暴走しきって、むしろ石化しています。暴走するだけ暴走しきって、いまや「サピエンス」はなにものも結び付けない。個と個が互いの「つながり」を見失い、ポツンと孤立しています。「ものとものをつなげる力」こそ、僕たちの「サピエンス」の本質であるのに――。
いまこそ、僕たちは本当の「物語」を取り戻す必要があるのではないでしょうか。本当の、みずみずしい「サピエンス」を、自らのうちに取り戻す必要があるのではないでしょうか。
“ただ結びあわせよ(Only Connect……)”
いまこそ、僕は本当の「物語」の出現を希求しています。

*
ふと、私は思い出した。
ただ結びあわせよ。……(Only Connect……)という言葉……。
これは確か、フォースターの小説、『ハワーズ・エンド』の冒頭に書かれていた言葉だ。
私はノートを広げて、以前書いたメモを見た。
そうだ、これは『ハワーズ・エンド』の冒頭の言葉だ。ずいぶん前にこの小説を読んだとき、扉に書かれたこの言葉が妙に印象的だったのだ
「そうだ」
私は思わず呟いた。
「何?」
信慈が私の顔を見た。
「いや……。ちょっと忘れてたことを思い出してね」
《『ただ結びあわせよ。……(`Only Connect……′)』
イギリスの作家E・M・フォースターは、傑作『ハワーズ・エンド』の扉に、そう書きのこしました。簡潔きわまりないそのことばから、子どもとおとなをめぐる本のもっとも大事な主題を引きだしたのは、魅力にみちたメアリー・ポピンズの物語作者であるP・L・トラヴァースです。
物語作者は言います。本にとって大事なことは、結びあわすこと。一つの世界を別の世界と結びあわすこと。既知のものを未知のものと、激しい懐疑主義と意味を見いだそうとするねがいを結びあわすこと。そうして、子どもたちとおとなたちを結びあわすこと》
(長田弘『すべてきみに宛てた手紙』晶文社 より)



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