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第38回 ホモ・サピエンス型世界認識(16)

「ホモ・サピエンス型世界認識」の発展形 ~把握~

 内的現実が発達するにつれ、前頭葉は次第に積極的に結びつけをおこうなうようになります。《指さし》のように受動的・反射的なものではなく、能動的・恣意的に「つながり」を見出すようになります。
把握》――
「抽象思考(概念思考)」は、ドイツ語で《把握》を意味します。外的現実を指さすのではなく、むしろ意欲的に把握する。外界は、内的現実でそっと指さすものではなく、むしろ内的現実で把握し、理解する対象と変わり始めます。小鳥を遠くから指さすのではなく、実際に捕まえて籠に入れてしまうのです。外的現実を、内的現実の中に取り入れて閉じ込めてしまう。
 把握する世界認識において重要なのは、外的現実ではなく、むしろ自身の内的現実内における結びつきです。内的現実と内的現実の間に「つながり」が見出されている状態こそが抽象思考である、と言うことも出来ます。把握する世界認識は、「いま・ここ」の外的現実ではなく、自身の「内的現実」に即することで働くというのが特徴です。

指さし(指示思考)》……外的現実と内的現実のつながり/受動的・反射的
把握(抽象思考)》……内的現実と内的現実のつながり/能動的・恣意的

 この把握する「こころ」の層があらわれることにより、「つながり」を見出すものとしての“自我”が、急激に発達していくことになります。把握する層における管理人は、明らかに前頭葉に宿る“自我”です。
 この把握する世界認識から生まれ出た代表的なものに、「時系列」と「所有」というふたつの観念があります。次の項からはこのふたつの観念について、僕なりの考えを述べていこうと思います。

把握》について――
 以下、三木成夫 『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館 1982)より
《「三歳児の世界」
○概念思考~自己の誕生
 これまで“あたま”のことについては、そのつど触れてきました。もちろんまだいろいろわからないことだらけですが、あの内臓不快が煩悩となるのも、季節の風物に遠い生命記憶が甦るのも、すべてはこのはらたきによることはまず間違いないと思います。“いまの此処”に“かつての彼方”が二重映しになる、つまり過去の再現するしくみ――これがどうやら私ども人間の“あたま”すなわち脳味噌の特徴と思われます。
 このはじめの方で、人類とは自然に対して手を加えずにはいられないクセの持ち主であることを申しました。これも、もとをただせば、こうした“過去を映し出す”脳のしくみによるのでしょうが、ではいったいこの「手を加える」とはどうすることか……。すでに申しましたように、最初のそれは「指差し」です。それは自然の一点を、いわば観念的に固定することです。あの時は、窓辺の小鳥を見てオモチャのそれを指差したのですが、それは“同類の指示”だったのです。
 たとえば皆さん、浜辺の波打ちの情景を思い浮かべて下さい。私ども、あの波打ちの音を一つ一つみな同じ波の音として聞いています。波の連なりを見てもみな同じ波として見ています。もちろんそれぞれにかたち大きさみな違うのですが、そのような波の砕けた、あるいは波の盛り上がった一つ一つの頂点に対して“同類の指示”を、ほとんど無意識にやっているのです。それは人間だけのすることでしょう。
 あの茶碗を叩いて拍子をとる……私どもこれを「リズム」に「タクト」を加える、いわゆる「節をつける」といっていますが、こうした拍子づけの行為も、もとをただせば、この同類の指示からはじまったことで、位相のおなじ点に刻みを入れてゆくのです。
 頭のはたらきは、もちろんこれだけではありません。人びとはやがてここから「波」という概念を抽ぎ出す。いわゆる抽象概念です。この概念としての波は、個々の波の顔つきが微妙に異なるのに対してつねに同一です。古今東西を通して波は波です。ですからとうぜん外国語に翻訳することができる。たとえば縁起でもないですが、だれかが死んで、それを知らせる時、死亡・死去・逝去・永眠などから往生・お陀仏まで、いろいろの言葉が使い分けられる。しかし「死」の概念となるとそれはもう万国共通です。こういったことは、どの言葉についてもいえるでしょう。
 ところで、こうした概念を抽出する頭の作業は「概念思考」(筆者注=『抽象思考』)と呼ばれています。ドイツ語で「把握」を意味する。いってみれば“頭で把握する”ということでしょうか……。これはあのはじめの指差しのところの「指示思考」とは、いかにも対照的です。つまり私たちの頭のはたらきには二種の異なったかたちが識別される。その一つは素朴な指差し、他の一つは意欲的な把握――この二つですが、後者のつまり概念思考が、ここからやがて新しい世界を生み落すのです。
 それは自然科学を支えている、あの「数」の世界です。そこでは波の一つ一つが数字の「一」に換算され、一つ二つと数えられる。いわゆる算数ですが、しかしこの辺まではまだよろしい。ここからもっと上の、やれ数学だの物理だのとなるともう大変です。ふつうは、ですから「+・一」とか、せいぜい「○・×」といったところで満足してますね……》

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