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第28回 ホモ・サピエンス型世界認識(6)

 母なる遺伝子

 もちろん、遺伝子の「ON/OFF」という変化は、本人が意図して出来ることではありません。その変化は、本人の意識を超えたところで起こります。
 ホモ・サピエンスの母親は、ただ一心に、我が子の「産声」を記憶しようとしただけなのかもしれません。しかし、その(我が子を守ろう)という必死の想いが、本人の意識を超えたところで遺伝子レベルの変化を起こさせたのではないか、と僕は考えます。
 ホモ・サピエンスの母親は自分の生において、自身の保全より、我が子の保全を最優先としたのです。母親の、我が子への無償の贈与です。

 オーケストラのチューニングの基準音「A(ラ)」が、赤ん坊の産声と同じ「440ヘルツ」であるというのは有名な話です。実際、それは偶然ではなく、赤ん坊の産声が440ヘルツであるので、1939年の国際会議で国際標準ピッチをそのヘルツに合わせた、という説もあります。赤ん坊の「産声」が、いま現在も全ての音(声)の基準音である――ということも、今まで僕が述べてきたことと関係があるのかもしれません※。
※いま現在のオーケストラでは、442~443ヘルツを基準音にして演奏されることが多いようです。そのほうが、音がきらびやかに聴こえるから、というのが理由だそうです。
 また、世界中の赤ん坊の産声が同じ440ヘルツではない、という説もあります。たとえば、西欧とアジアでは、体格の差からわずかにピッチが違う。440ヘルツというのは、西欧の赤ん坊の産声に共通したピッチである、という説もあります。確かに、体格によってほんのわずかに個人差は出てくるでしょうし、だからこそ母親は記憶した自分の子どもの産声を、他の子のものとはっきりと判別することが出来るのでしょう。世界中の赤ん坊の産声が声質からピッチからまったく同じだったら、母親は自分の子どもを声で判別することは出来なくなってしまいます。

《利己的な遺伝子》という言葉もありますが、このホモ・サピエンスの母親に起こった遺伝子変異に関しては、その言葉はまったく当てはまりません。むしろ反対に、自分の保全よりも他者(我が子)の保全を第一とする、「利他的な遺伝子」です。いわば、我が子を自分の身に代えて守ろうとする、《母なる遺伝子》――。そんな遺伝子が、もしかしたらこの世界には実際に存在するのかもしれません。


 我ながら、ちょっと突拍子がなさすぎるかなあ、とは確かに思います。ここまで述べてきたことは、ほとんど僕の直感に過ぎないことですから……。
 ただ、この説が、僕にとっては一番「ハッピー」なのです。もしこの仮説が少しでも事実に触れ得ているのならば……これほど感動的な事実はないのではないでしょうか。
『原人型世界認識』『ホモ・サピエンス型世界認識』という文章において、僕が描き出そうとしているのは、百数十万年におよぶ「母と子の物語」である、と言えるかもしれません。その中で、僕は自分の考えうる限り、一番ハッピーな「物語」を提示してみたいと思っています。
 人間の「生」について、考えうる限り一番ハッピーな考えを提示すること――それこそが思想における最大の価値であると、僕は信じています。そのとき、それはもはや説の正誤を超えて、自分自身の生きる力となってくれるのではないでしょうか……。
 色々と考えた結果、もはや、開き直って、こう言い切るべきだという気になりました。
 この文章は、僕自身の「物語」なのだ、と――。
 僕は古人類学の専門家でもないし、脳科学の専門家でもありません。根拠ある十分なデータを用意することなど出来ません。この文章は、僕が自分自身の「実感」に基づいて書いた、ひとつの「物語」です。既存の資料と自身の実感を結び合わせてつくった「物語」です。僕は自分の「こころ」を探り探りしながら、原人の時代にはじまるひとつの「母と子の物語」を提示してみたいと思っています。

……


 ここまで読んで、私は原稿から目を離した。
(なるほど、物語……。母と子の物語か……)
 私はホットコーヒーをひと口飲んだ。信慈はおとなしく隣で宿題をしている。
「産声」という視点がいかにもゲンジン先生らしい。遺伝子変化を「母親の視点」から見てみるというのは、こういうことか……。
 私は読んだページを、またパラパラと見返してみた。文章を読みながら、頭の中ではずっと、信慈の赤ん坊だった頃の様々な記憶が繰り返し浮かんでは消えていた。
 私は遺伝子には詳しくないのでよく分からないのだが――記憶の長期的保存のために遺伝子が変異するなんていうことは実際にあり得るのだろうか? そんなことが、人体には起こり得るものなのだろうか?
 またまた、突拍子もないことを考えついたものだ。
 しかし、《母なる遺伝子》というのはなかなかひびきのいい言葉だな。もしも……もしも、本当に、そんな遺伝子があるのなら、確かにとっても「ハッピー」だ。
 脳裏にふと、再びあの光景がよみがえってきた。
 病室、生まれたばかりの信慈……瑞恵の笑顔……信慈をそっと抱く……小さな、でも確かなその感触……こころの震え……。私の人生の中で一番、大切な瞬間――。
 コーヒーを一口飲む。
 何だか胸が一杯になってきた。また続きを読みだすこととしよう。

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