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第24回 ホモ・サピエンス型世界認識(2)

 新たな視点 ~母親の視点から~

 およそ20万年前にホモ・サピエンスに遺伝子変異が起こった、それは発話に関する「哺乳」スイッチのOFFだった――という仮説を前回の文章で書きました。前回の文章を書き終えてから改めてこの仮説を検討してみたのですが、見直しているうちに、新たな視点が浮き上がってきました。
 前回の『原人型世界認識』という文章は、一貫して「赤ん坊の視点」から「人間のこころ」の誕生というものを見ていきました。包まれているという感覚、吸い込むという感覚、それらはみな、受動の存在としての「赤ん坊の視点」から生まれ出たものでした。
 しかし、「人間のこころ」というものを、一転して、能動の存在としての「母親の視点」から眺めてみたらどうだろうか……?
「母親の視点」とは、抱きしめられるのではなく、むしろ対象を抱きしめるという視点です。受取るのではなく、無償で自分を与えるという視点です。
「哺乳」遺伝子のスイッチのOFFという仮説に、この「母親の視点」を導入したとき、僕のうちにまた新たな考えが浮かび上がってきました。

――

 原人ホモ・エルガステルの時代になって、赤ん坊は無力な状態で生まれてくるようになった、ということは前回書きました。二足歩行の完成によって産道が狭まり、本来の妊娠期間よりも早めに生まれ出る必要性が出てきたというのがその理由でした。

 さて、僕たちホモ・サピエンスの赤ん坊は、ホモ・エルガステルの時代よりもさらに未熟な状態で生まれ出るようになりました。エルガステルの時代よりもさらに無力な状態で誕生し、より長期間に渡る母親の世話を必要とするようになりました。その理由としては、ホモ・サピエンスの脳の容量がエルガステルの時代よりも増量し、出産の時期がさらに早まった、ということが挙げられます。
 すべての哺乳類の中で、最も無力な状態で生まれてくるホモ・サピエンスの赤ん坊――。そのホモ・サピエンスの赤ん坊において特徴的なことは、誕生した瞬間に「産声」を上げる、ということです。
 一般に、サルや類人猿は産声を上げない、と言われています。産声は僕たちホモ・サピエンス特有のものです。ただ、僕たちホモ・サピエンスにおいても、誕生した赤ん坊を静かにそっと母親に抱かせると産声を上げることはない、という説もあるそうです。いずれにせよ、産声を上げるということは、母(なるもの)から離された甚大な「怖れ」が、赤ん坊にそうさせているのだ、ということは言えると思います。
 サルの出産において、母親は赤ん坊が胎内から顔を出すと、赤ん坊の頭や肩を持って自力でスルリと自分の腹の前に引き出すそうです。すると、赤ん坊はすぐに母親にしがみつく。サルの赤ん坊も誕生した瞬間は「怖れ」を感じるのかもしれませんが、泣き声を上げる間もなくすぐに母親の胸に抱かれることになるので、一般に「サルは産声に相当するものを上げない」ということになっているのかもしれません。
 サルの出産に比べ、ホモ・サピエンスの出産はより母体にとって苦しみを伴うものとなりました。僕は男性ですし、もちろん出産も経験したことはないので頭でその苦しみを想像するしかありませんが、その出産に伴う痛み・苦しみは、男性の想像を絶するものであるということは聞きます。その困難さゆえ、ホモ・サピエンスの母親は出産後すぐに赤ん坊を抱く、ということは難しくなったのではないでしょうか。サルの母親ように赤ん坊を自力で取り出してすぐに抱きしめるという動作は、ホモ・サピエンスの母親にはまず出来ないと思います。ホモ・サピエンスの母親は、生まれ出た赤ん坊を見つめながら、無事生まれ出たことに胸を撫で下ろし、そうして改めて赤ん坊をその胸に抱きしめたのではないでしょうか。
 出産して赤ん坊を抱くまでには、それが一瞬の間であるサルに比べ、ホモ・サピエンスの時代になって、数秒から数分の時間が空くようになったのです。そうして、その時間差ゆえに出現したのがホモ・サピエンス特有の産声である、と僕は考えます。一時的に母から離され、未知の空間に投げ出された赤ん坊は、その甚大な「怖れ」ゆえに泣き出すのです。
 この「産声」ということ――。では、原人時代にもこの産声はすでに存在したのでしょうか……?
僕は、当時はまだ、誕生後に赤ん坊が産声を上げるということはなかったのではないか、と考えています。産声は人間の歴史において、ホモ・サピエンスの時代になってはじめて現れるようになった、と。なぜかというと、この産声の出現こそが、およそ20前年前に起こったホモ・サピエンスに起こった遺伝子変化という出来事と深い関わりがあるのではないか、という考えが新たに浮かんできたからです。

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