« 第20回 ゲンジン先生との対話(2) | トップページ | 第22回 新学期 »

第21回 ゲンジン先生との対話(3)

 私と原先生はコーヒーのおかわりを頼んだ。
原先生 「なるべく悪口は言わないようにしたい、ということは授業で言いましたが……。あと、僕が思うのは、なるべくなら他人の悪口も聞かないようにしよう、ということです。聞かないですむのなら、聞かないほうがいい。それは、誰かの批判に耳をふさぐ、ということとはまた別のことであると思います」
私 「いや、ほんと、聞かないですむなら聞かないほうがいいですよ。テレビで、インターネットで、いま社会では悪口が溢れかえっている状態ですね。これからの時代、子どもたちはよりいっそう、他者への無責任な誹謗・中傷、つまり悪口を目にする機会が増えるでしょう。そういう状態に囲まれてしまうと、内容が自分に関係あるなしに関わらず、気付かないうちにこころも荒れてくるでしょうねえ」
原先生 「特に、いまはやはりネットですよね。テレビより、むしろネットです。僕は、本当に危惧しています。これからの時代、どんどん子どもたちは日常的にインターネットを使うようになっていくのでしょうが……。インターネットにおける言葉というものは、本当にひどいんです」
私 「私もそんなに見たことはないですが、いや、ひどいところはひどいでしょうねえ」
原先生 「はい。先ほど、こころの中のモヤモヤ・トゲトゲという言い方を使いましたが、端的に言うと、ネットの一部において、それら自分の中のわだかまりを、ただ安易に吐き出すだけの場と化しています。そうして、ただ無闇に悪口を吐き出しあっている。僕は本当に、悲しいんです。原人のときに誕生した言葉というものが、ここに来て遂に堕ちるところまで堕ちてしまった」
私 「だから、いまこそ、改めて言葉の力ということを考える必要がありますねえ。いや、先生のそういう意見はこれからますます重要になってくると思いますよ」
原先生 「ただ、僕が子どもたちに言ったのは、悪口を言っている人のこころの中には、何か悲しいものや痛み、つまり様々なモヤモヤ・トゲトゲがあって、それが悪口というかたちとなって吐き出されていることが多いんだ、と。悪口自体はなるべく聞かないほうがいいけど、しかしその悲しみや痛みに耳をふさぐことはないようにしたいよね、と。いや、これは非常に難しいことなのですが……」
 私は頷いた。
私 「先生の話を聞いていると、言葉には力がある。一方で、言葉は無力である。この二つの認識の、そのどちらが欠けても駄目なんだろう、という気持になってきました。これまでの私なんて、言葉は無力である、という認識ばかりだったような気がするなあ」
原先生 「いや、まずそこを出発点にしないと……。言葉の力ばかりを強調しているのは、嘘だと思います」
私 「でも、言葉の無力ばかり言っているのも、それはどこか嘘だね。これは私の反省点だなあ。言葉の無力を強調するということは、つまりは言葉の力あきらめている、ということなのかもしれない。言葉の力への責任を放棄している。それは、ひとりの人間として、他者への働きかけの責任を放棄している、ということにもつながるのではないか……? いや、普段はこんな高尚なこと考えていないよ。でも、先生の話を聞いているとね……そんな気になってきたなあ」
 私はコーヒーをひと口飲んだ。
原先生 「僕は……こう思うんです。自分の言葉が無力だという思いに打ちひしがれたとき、むしろ自分の口をつぐんで、耳を澄まそうと……。僕の言葉は無力ですが、しかし、無力ではない、“何か”が、この世界には確かにある。僕はその、“何か”に耳を澄まそうとします。そうすると、実際に『声』としては吸い込んではいませんが、しかし僕の中にその“何か”が入り込んでくるような気がして……。それを、自分なりの言葉で、僕は再びそっと吐き出す、これが僕の最も理想に考える言葉との関わり方です。ただ、これも非常に難しいのですが……」
 最後の原先生の言葉はちょっと分かりにくかったが、しかし彼の真剣な表情が印象に残った。

私 「原先生も文章で書いていましたが、良くも悪くも『言霊』ということはやはりありますよね」
原先生 「ええ。しかし僕は……。やはり言葉の持つ真の力は、“良い”方向に向いたときにはじめて発揮される、と信じたい気持があるんです。悪口で人が深く傷つくということはもちろんあります。しかし、やはり言霊という言葉は、僕は、“良い”意味で使いたいんです」
私 「良い、ですか。なるほど。私の持つ言霊という言葉のイメージは、むしろネガティブな側面のほうが強い。呪術的な、ね。先史時代にシャーマンが村人にお前はもうすぐ病気になるだろうと予言すると、本当にその村人は数日後に病気になってしまう、とかね」
原先生 「ええ。しかし真の言霊とは……。いや、これは僕が勝手にそうであったらいいなあ、と思っていることに過ぎないのですが」
私 「先生の文章の中で、言葉は『喜び』の中から生まれたのではないか、という記述がありましたね」
原先生 「ええ、言葉は喜びの中で吸い込まれて生まれた……と。吐き出す言葉は、確かにときに痛みや悲しみなどの『叫び』と結びつきます。しかし、吸い込む言葉は……。吸い込む言葉というものは『喜び』の中からでしか生まれ出てこないものなのではないか、と思うんです。そしてその吸い込む言葉は、人間がすべての言葉を吐き出して言うようになった今でも、かたちを変えてしっかりと残っているのではないか。つまり、喜びの言葉は、吐き出す言葉にかたちを変えていまもしっかりと残っている……。と、これはそうであったらいいのになあ、という僕の願いに過ぎないのかもしれませんが」
 原先生はコーヒーを飲んで、
原先生 「あの、その、どうなのでしょうか。このような僕の考えは、専門家でいらっしゃる先生から見て……」
私 「え、ああ、そうだねえ……」
 私は一瞬言葉に詰まった。
私 「申し訳ないけど、君の考えはいまの私にはなんとも判断できない。現段階では、この分野にはまだ様々なデータが足りなさ過ぎる」
原先生 「はい」
私 「いまの私には、まだ君の説の正誤は判断できない。専門家なのに情けないことなんですが……。何より、現時点の脳科学の分野において、残念ながら君の仮説を裏付けられるような証拠が決定的に不足しているんだ」
 私は原稿を取り出してパラパラとめくりながら、それぞれの項目において、疑問に感じた点分からなかった点などの感想をざっと述べた。原先生は頷きつつ、聞いていた。
私 「一番疑問だったのは、やはりホモ・サピエンスの遺伝子変異の部分だね。哺乳遺伝子のスイッチのOFFという部分・・・・・・。あそこはあまりに根拠がなさ過ぎる。他の部分に比べても説得力が乏しい」 
 そう言った後、慌ててフォローするように、
私 「ただ、全体として、『原人型世界認識』というアプローチの仕方は、新鮮で面白かったよ。それぞれの仮説の正誤を別にしても、ね」
 原先生は微笑んで、
原先生 「いや、本当に、わざわざありがとうございます。お忙しい中読んでいただいて、さらにこうして、反応を返していただいて、嬉しいです」
私 「今回の文章は、私以外の人にも読んでもらいましたか?」
原先生 「ええ、ほんの数人ですが……。親しい友人と、あとK大学の先生にも送ってみました。でも、誰からも反響はありませんでした」
 私は、(まあ、そうだろうなあ)と思う。
私 「この文章には、反応を返すのは非常に難しいと思う。結論がまずポンとあって、しかしそれを実証出来るような材料がまだそろってないからね。原先生は資質的に、学者タイプではなく、根っから詩人なんだ。詩的直観でパッと何かを予見しているというか……。現段階では、残念ながらこれらの話は荒唐無稽ということで片付けられてしまうかもしれないけれど」

 この日、初対面にも関わらず原先生との話は大いに盛り上がり、結局私たちは二時間半あまりも喫茶店にいた。帰り際に、私はゲンジン先生と次のようなやりとりをした。
私 「この文章は、いつ書いていたの?」
原先生 「帰宅してから……深夜ですね。あと、日曜日などを使って。この半年ほどで書きました」
私 「ふうむ」
原先生 「僕、言葉やこころの起源について考えるのが好きで……。普段から、そういうことを考えるのが好きなんです。断片的なアイデア自体は、学生時代のときに思いついていたんです。なぜ言葉は吐き出してしか発音されないのか、という疑問とか。でも教育実習やら卒論やらで時間が取られて、実際に文章にすることは出来なかった。いや、当時は文章にすることに関して、それほどの切実さがなかったんです」
私 「アイデアは学生のときに思いついていたんだ」
原先生 「はい。断片的なものですけど……。教師になってからですね、ぜひ文章にしたいと思うようになったのは。教師になって、子どもたちに接するようになって、これは文章にしておきたい、する必要がある、と。何より僕にとって、その必要がある、という気持になってきました」
私 「何か、心境の変化があったわけですか」
原先生 「はい。やはり、子どもたちに出会ったことがとても大きいですね。子どもたちに出会って、自分が本当に文章にしたいことが見つかった……」
 原先生はしばらく考えるようにして、
原先生 「実は、あの文章はまだ途中なんです」
私 「あ、そうなの!?」
原先生 「はい。実はいままた取り掛かっている文章がありまして……。子どもたちひとりひとりを見ていると、僕は」
 原先生の目に、光のようなものが宿ったように見えた。
原先生 「どうしても伝えてみたいことがあるんです」

« 第20回 ゲンジン先生との対話(2) | トップページ | 第22回 新学期 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/537321/20534068

この記事へのトラックバック一覧です: 第21回 ゲンジン先生との対話(3):

« 第20回 ゲンジン先生との対話(2) | トップページ | 第22回 新学期 »