第8回 原人型世界認識(5)
サルとヒトを別ったもの ~「側頭葉」上部のはたらき~
僕たち人間ももちろん「哺乳類」ですが――。
哺乳類は、もともとは夜行性でした。遥か昔、およそ2億年前に爬虫類から分かれた哺乳類は、昼間に活動する恐竜を避け主に夜間に行動をしていたようです。夜の闇の中で重要になったのは、「嗅覚」と「聴覚」でした。哺乳類の世界認識には、研ぎ澄まされた「嗅覚」と「聴覚」とが占める割合が大きいようです。
その分、彼らは大脳皮質があまり発達していません。それら嗅覚的な世界認識は、視覚を中心とする僕たち人間の世界認識とはまたまったく異なるものです。哺乳類の世界認識とは、「嗅覚的・聴覚的」と言うことが出来ます※。
※においは、鼻の粘膜の中にある嗅細胞によって受容され、嗅神経によって脳の「嗅球」という部位に送られます。「嗅球」は脳の底、鼻の粘膜の上部のすぐ奥に左右二つあり、ここでにおいの細かな情報が処理されます。鼻の中にある嗅細胞は、ウサギやラットでは何千万個、人間でも数百万個近くあるそうです。
一方、或るとき、樹の上を生活の場としようとしたネズミたちがいました。彼らこそが、後にサルや人間に進化する、僕たち「霊長類」の祖先です。高い樹の上で生活しているので、もはや彼らは恐ろしい恐竜達に襲われる危険は少なくなりました。よって、彼らは進化の途中で、そのほとんどが昼光性となりました。闇夜の生活から一転して、太陽の光のもとでの生活となったのです。
樹上生活では、哺乳類時代の地上生活とは打って変わって視覚が重要となります。樹の枝から枝への移動を正確に行なうには、視覚の部位の発達が必須です。また、食料である木の実を探すにも、「視覚」は重要です(参考:「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《サルやヒトは視覚動物》http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain)。
哺乳類から霊長類に進化する際、特に発達したのは大脳皮質です。哺乳類にも大脳皮質はありますが、霊長類に比べるとその容積はずっと少ない。僕たちホモ・サピエンスの脳のように大脳皮質が左右に分かれる(いわゆる右脳・左脳)のも、霊長類の時代に入ってからです。その大脳皮質には、視覚・聴覚・空間認識など、個別の感覚を受容する部位があると言われています。もちろん、それらは完全に個別に機能しているわけではなく、複雑なネットワークで互いに影響しあっており、厳密に各部位を指定するのは困難ですが、おおまかに区分けすると次の図のようになります。

大脳皮質の後方には「後頭葉」という部位があります。この部位は主に視覚を司っていると言われます。他に視覚を司っている部位としては、「側頭葉」の下部などがあります。樹上生活をする霊長類の時代に発達したのは視覚、ということを考えると、哺乳類から霊長類に進化する際、特に発達したのはこれら視覚を司る大脳皮質部位である、ということが出来ます。サルやチンパンジーなどの霊長類の世界認識とは、「視覚的・嗅覚的」と言うことが出来るのではないでしょうか※。
※「哺乳類」の世界認識の特質とは、「嗅覚的」であること、と私は考えます。サルや「類人猿」は「視覚」を重視しているとはいえ、人間と比較すると、まだ多分に動物的(本能的・自身の『感覚―行動』に無自覚的・主客未分的)な部分を残しています。そういう意味で、私はこの(人間を外した)霊長類の世界認識に、「視覚的」のみならず「嗅覚的」という側面を残しておこうと思います。
ゴリラ・チンパンジーなどの「類人猿」は、僕たちホモ・サピエンスと同じような「色覚」を持つ、と一般的に言われています(「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《旧世界ザルの色覚はヒトと同じ》より)。つまり、「視覚的」な発達に関しては、チンパンジーも人間もそこまでは違いがない、と言うことが出来るかもしれません。樹上の生活において、十分に発達した視覚は必須です。機敏に枝から枝に飛び移る動作は、十分な視覚の発達がないと出来ません。
では、たとえば目の前で樹の葉が揺れているとして、チンパンジーと人間ではその樹が同じように見えているのでしょうか……?
それは、ある側面では、「然り」である、――と僕は考えます。チンパンジーの目でも人間の目でも、目の前の樹の葉は同じような色をし、同じように風に揺れているのではないでしょうか。視覚を司る大脳皮質の発達のみで言えば、類人猿も人間もさほど違いはないからです。しかし、チンパンジーと人間では「見る」ということにおいて、どこかが違う。その感覚の仕方にどこか違いがある。つまり「見る」ことにおいて、チンパンジーと人間では「視覚」を司る大脳皮質以外の部位の働きに、その違いがある。その違いにこそ、「類人猿」と「原人」を別ったものがある、と僕は考えています。
類人猿が「原人(ホモ・エルガステル)」へと進化していくとき、大脳皮質のどこが特に発達していったのかというと、それは「側頭葉」の上部です。と、僕は考えます。もちろん、原人に進化していくに当たって、大脳皮質全体が増量したことには違いないのですが、特にどの部位が特殊に発達したのかというと、それは「側頭葉」の上部である、と僕は考えています。もちろん、これは僕の仮説です。
「側頭葉」の位置は、ちょうど両耳の周辺にあります。「側頭葉」下部は、前述したように主に視覚における形態の感受などを司っています。対して、上部は主に聴覚の感受を司っています。視覚を感受する大脳皮質は「類人猿」の段階ですでに十分発達していたかもしれないということを考えると、類人猿と原人を別ったのは、聴覚を司る「側頭葉」上部の特殊な発達である、ということが出来るのではないでしょうか。
サワサワと揺れる樹の葉を前にして、チンパンジーと原人では、その認識のどこが違うのでしょうか。両者は同等な色覚を持っているのですから、一見、同じように見えているはずです。しかし、どこかが違う。チンパンジーの目から見ると、かたちを持ったさまざまな色のパターン(緑、黄緑、黄色、白……)が、ただ揺れているようにしか見えない(と想像します)。しかし、原人の目から見ると、そのかたちをともなったさまざまな色のパターンが、色彩以上の“何か”に見えるのです。太陽の光のもと、その葉の一枚一枚の輝きが、単なる色彩とかたち以上の“何か”に見えてくる……。
僕は、次のようなことを考えています。
原人(にはじまる人間の世界認識)において、視覚には同時に聴覚が働いているのではないか――。
この聴覚が「同時に」働いているということは、風景を見ながら風の音などの自然音も聴いている、という意味での「同時」ではありません。そうではなくて、風景を見ることそのものに、聴覚が働いているのではないか、という意味での「同時」です。原人において、「見ること」は単に視覚を司る大脳皮質の部位が働いているのみではない。そこに、「聴くこと」を司る「側頭葉」上部も同時に働いているのではないか、と。
夕焼けを前にして、僕たち人間はハッと立ち止まります。その信じられぬくらい美しい、空色と赤と橙色のグラデーションにこころ動かされ、思わず立ち止まることがあります。チンパンジーは夕焼けを前にしても、ハッとして立ち止まることは(おそらく)ないでしょう。暮れていく夕焼けに色彩とかたち以上の“何か”を感じ取り、こころ動かされるのは、僕たち人間だけの特質です。
外界に私たちが感じ取る“何か”――。僕はそれを“声”と表現しようと思います。僕たち人間は、外界に“声”のようなものを感じる。樹の葉のざわめきに、単なる色とかたち以上の、何か“声”のようなものを感じる。暮れていく夕焼け空に、何か自分に語りかけてくる“声”のようなものを感じる。……
そしてその“声”の感受こそが、ものの「自覚」ということにつながっていったのではないか、と僕は考えます。
以前は単なる色彩とかたちでしかなかった樹の葉が、原人の時代になって、何か“声”のような「ひびき」を発しているように感じる。葉が、葉そのものとして、確かな存在感を持って浮かび上がってくるように感じる。そのときはじめて、原人ははっきりと「自覚(意識)した」のではないでしょうか。目の前で揺れる葉が、はっきり「葉」である――と。
その自覚は、視覚のみの働きによるものではないようです。ものがはっきりとものであるという認識には、むしろ聴覚が重要な働きを果たしている。そのことを、僕は自身の実感からも言うことが出来ます。サワサワと揺れる樹の葉。真っ赤に暮れていく夕焼け。その夕陽に照らし出されたテーブルの上のコップの陰影……。それらものを「見ること」において、僕たちは「聴く」ということも行なっている。「見る」と同時に、「聴く」ことをしている。このことを、僕は自身の日々の生活の実感に基づいて述べているのですが……。
僕が考える原人の世界認識とは、「視覚的・聴覚的」と言うことが出来ます。
人間の特質は「意識出来る能力」にある、ということは先ほど述べましたが、その「意識出来る能力」とは、具体的には類人猿から原人に進化するにあたって発達した「側頭葉」上部の特殊な働きに、その出現の秘密が隠されていると推論していくことが出来ます。
サルとヒトを別ったもの――それは聴覚を司る「側頭葉」上部の独自の発達である、と僕は考えます(詳しい説明は、これからゆっくりとしていきます)。
*
動物の世界認識と人間の世界認識が違うということはよく分かる。動物の世界認識とは「嗅覚的」で、人間の世界認識とは「視覚的」である、と。これも分かる。
しかし、その人間の世界認識にも段階がある、と彼は述べている。つまり、まずそのはじめに「原人の世界認識」というものがある、と彼は述べているのだな。
それにしても……。私は窓の外を見るともなしに眺める。
“声”って、一体なんだ……?
玄関から賑やかな声が聞こえてくる。信慈がプールから帰ってきたようだ。
「あー、疲れた!」
リュックをソファーの上に置き、冷蔵庫を勢いよく開ける。コップに麦茶をコポコポと注いで一気に飲み干す。そうして、私の隣に座った。
「あっ、ゲンジン先生の?」
「うん」
信慈は日焼けした顔をほころばす。
「僕もいっしょに読む」
「シャワーは浴びなくていいのかい?」
「いい。向こうで浴びてきた」
そう言いながら原稿を覗き込む。
「読めるのかい?」
信慈は答えずに笑った。
私は読むスピードを落とし、ゆっくりページをめくるようにした。信慈の腕と私の腕が並ぶと、私の腕はずいぶんと白く見える。


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