第11回 原人型世界認識(8)
仮説①「ウェルニッケ野」の誕生 ~語りかける母の“声”~
「アフリカ大地溝帯」が形成された後、300万年間くらいは、東アフリカの類人猿は果実をとるために断続的に「二足歩行」をしていた、ということは既に書きました。その後、今から200万年前をやや過ぎた頃、東アフリカは大変な乾燥化に見舞われた。そうして、東アフリカに広大な「サバンナ」様の平原が出現した。東アフリカの類人猿は、サバンナという環境において耐熱ストレスを減らすため二足歩行を発達させていった。そうして、二足歩行が完成したのが、百数十万年前の「原人(ホモ・エルガステル)」の時代である、ということも既に書きました。
二足歩行の完成――それが人間に、どういう影響を与えたのでしょうか。
さまざまな、重大な影響があったでしょう。二足歩行により、遠出が出来るようになった。それは果実のみならず、動物の肉(死骸)を得ることにもつながった。そうして人間は動物も食料とするようになった。その豊かなたんぱく質・糖分等の栄養の摂取が、その後の大脳皮質のさらなる発達を促進していった、という可能性は大いにあり得ます。
またもちろん、両手が完全に自由になった、ということも重要です。両手が自由になることにより、道具を作る技術が発達した。
しかし、ここで僕が特に注目したいのは、二足歩行の母体の影響、および赤ん坊の発達への影響です。
二足歩行が進化したことにより、骨盤が狭くなり、女性の産道は細くなりました。そのため、出産時の赤ん坊の大きさ、特に脳の大きさに制限が課せられるようになりました。この事態に対処するため、赤ん坊は実際よりも、未熟な状態で生まれ出てくるようになりました。そうして、生後1年は、母親のお腹の外で、胎児並みの急成長を続けるようになったのです。よって、「原人(ホモ・エルガステル)」以降、赤ん坊の世話はそれ以前の類人猿の時代に比べて手間ひまがかかるようになり、またその育児期間も長くなりました。
哺乳類の赤ん坊は生まれ出てからすぐに立ち上がります。類人猿の赤ん坊は、哺乳類の赤ん坊に比べれば、生まれ出てくるときの状態は未熟でその世話も時間がかかります。しかし、この二足歩行をするホモ・エルガステルの時代になり、赤ん坊はさらに「無力な」状態で母体から生まれ出てくるようになりました。母親が赤ん坊の世話をする期間も、より長くなりました(参考:『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 2006)。
これら、二足歩行の完成が母体と赤ん坊に与えた影響に、この度僕は注目してみたいと思います。
類人猿の母親も人間の母親も、赤ん坊にすることは一緒です。いつでも赤ん坊を腕で抱き、そして必要あらば乳を与える。
母親が赤ん坊をしっかりと抱きしめる……その母と子の“結びつき”は、サルも類人猿も人間も変わりがありません。赤ん坊は母親の腕の中で、安心して身を委ねています。母親の腕の中で安心して眠っている赤ん坊の表情、またその子をじっと見つめる母親の表情は、サルも類人猿も人間も共通しているものがあります。
数ヶ月たつと、チンパンジーやボノボの赤ん坊は母親の背中によじのぼり、体毛につかまって自分の力で乗っていられるまでに成長します。よって、ちょっとした移動も、赤ん坊は母親の背中に乗って一緒にすることが出来、母親のほうも手間がはぶけて楽になります。一方、ホモ・エルガステルの赤ん坊は、生後1年たっても、そのようなことをすることは出来ません。直立した背中へよじ登るような握力もまだ無いし、また母親の背中にはもはや、つかむことの出来る体毛が無いからです。
二足歩行の進化と、体毛の喪失は平行して進行していった可能性が高い、とスティーヴン・ミズンは言います(参考:『歌うネアンデルタール』)。おそらく、僕たちの祖先は160万年前までに、(いまの僕たちに近いほどまでに)その体毛を失っていたのではないか、と。
赤ん坊を背負うための「衣服」(子守帯)が登場したのは、60万年前に登場する「ホモ・ハイデルベルゲンシス」の頃のことではないか、とミズンは予測しています。とすると、このホモ・エルガステルの時代は、「類人猿」のような長い体毛もなく、また子守帯もないということで、赤ん坊を世話する母親にとっては最も大変な時代であった、と言うことが出来ます。
霊長類の赤ん坊は、常に母親との密なる接触を必要とします。ちょっとでも離れると、赤ん坊は泣き出します。チンパンジーの赤ん坊も、地面に降ろされると、母親との接触を求めて「フー」音を出す傾向があるそうです。声が繰り返されて、それが泣き声の一部になることもある。チンパンジーよりも無力なホモ・エルガステルの赤ん坊は、母親から離されると、接触を求めてさらに切実に泣き出したことでしょう。
では、ホモ・エルガステルの母親は、未熟な赤ん坊の世話と、その他の作業(果実の採取、食料の調理、石器の製作など)をどう両立させていったのでしょうか……?
ミズンはその解決策のひとつとして、母親の目と声が届く範囲で赤ん坊を短時間《地面に降ろす(putting down)》ということを挙げています。赤ん坊を地面に降ろせば、母親の両手は空き、調理などさまざまな作業をすることが出来ます。ただもちろん、それだけでは赤ん坊はすぐに泣き出してしまいます。
この解決法でミズンが強調しているのは、母親はただ地面に赤ん坊を降ろすだけではなくて、常に赤ん坊に気を配り、安心させるために歌いかけ、語りかけていたのではないか――という点です。抱きしめる変わりに、母親は発声や身振りや表情を豊かに使って、地面に降ろした赤ん坊をあやしていた。(お母さんはここにいるよ。あなたを見ているよ。そばにいるよ。大丈夫よ……)
母親の腕から離れた赤ん坊は、自分にやさしく語りかけてくる母親の“声”を聴き取ると、安心した。
フロリダ州立大学人類学教授のディーン・フォークは、この《地面に降ろす(putting down)》方法が実際に当時用いられ、またそれは「前言語コミュニケーション」の発達に欠かせなかったのではないか、と考えているそうです。赤ん坊をあやす母親の表情や“声”は、《体から分離した母親のあたたかい腕》である、とフォークは言います。
さて、僕の仮説ですが――。
それは、こうした母と子のコミュニケーションを通して独自に形成されていったものこそが、ウェルニッケ野なのではないか、という説です。
未熟な原人の赤ん坊が、自分に語りかける母親の“声”を聴き取り、その意図・想いを理解すると言う作業を通して、左脳の「側頭葉」上部に徐々に形成されていったものこそが、ウェルニッケ野である――と。
未熟な原人の子が、母親の“声”を懸命に「聴き取り」、「理解」しようとする作業を通して、聴覚部位(『側頭葉』上部)に特殊に発達していった部位がウェルニッケ野であった、と僕は考えます。類人猿の時代に比べてずっと「未熟な」ホモ・エルガステルの赤ん坊とその母親との、切なるコミュニケーションを通して、ウェルニッケ野は生成されていった――。
赤ん坊は自分に語りかける母親の“声”を懸命に「聴き取り」、そしてその意図・想いを「理解」した。
(お母さんはここにいるよ。
あなたを見ているよ。
そばにいるよ。大丈夫よ……)
そうすると、たとえ母親の腕から地面に降ろされていても、
(お母さんはここにいる!)
と赤ん坊は安心し、泣き出さずにいることが出来た。
赤ん坊も必死ですが――決して楽ではない、むしろ苛酷な環境の中、手間のかかる育児と生きるための雑務を両立しなければならないホモ・エルガステルの母親もまた、懸命であったのではないでしょうか。育児に伴うこのような困難は、それ以前の類人猿の時代にはなかった。類人猿の時代はまだ森林も多く、環境が穏和だった。また、子どもも早熟で、数ヶ月すると勝手に母親の背中に自力でひっついていてくれた。また、それ以後のホモ・ハイデルベルゲンシスの時代にも、これほどの育児に関する困難はなかった。ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代には「衣服」も製作され、母親は赤ん坊を子守帯で自分に結び付けておくことが出来た。このホモ・エルガステルの時代こそが、赤ん坊を育てる母親にとっては一番忍耐を要する、大変な時期だったようです。
僕は、ウェルニッケ野の形成の背後には、そのような母と子の、互いに懸命な、そして硬い“結びつき”があったのだ、と考えています。母親の赤ん坊への愛と、赤ん坊の母親への信頼がないと、このウェルニッケ野はそもそも存在し得なかった……。
そうして、母親の“声”を「聴き取り」、そしてなおかつその意図・想いを「理解する」能力を専門とするウェルニッケ野という言語野が、ホモ・エルガステルの脳に形成されていったのではないでしょうか。左脳「側頭葉」上部が単なる聴覚ではなく、人間の言語の「聴き取り・理解」という能力を司っているのは、遡れば以上のような由来があったからである、と僕は考えています。
ここまでが僕の仮説の第一段階です。
*
ウェルニッケ野の生成か……。私は原稿を見るともなしに眺める。
納得出来るような納得出来ないような……微妙な感じである。もちろん、どんな仮説を立てようがそれは個人の自由だが、このままではそれを立証出来る客観的なデータがあまりにも少ない。というより現時点において、彼のこの仮説を裏付けられるようなデータは、脳科学の世界には皆無なのではないか。それとも私が不勉強なだけで、探せば見つかるのかもしれないが……。まあ、小学校の一教師である彼に、我々を納得させることができるようなデータを用意しろ、と言うのも無理な話ではある。
ウェルニッケ野についての本格的な考察は、まだまだこれからはじまっていくという段階である。この第一の仮説について、私は現時点において何とも言えない。古人類学の専門家として、まことに不甲斐ない話であるが……。
ただ、着眼点は面白い。発想することにおいて、プロも素人も区別はない。余分な知識に邪魔されない分、むしろ素人のほうがときに本質を突いた発想をすることがある。
などと考えながら、私は信慈の赤ん坊の頃のことを思い出していた。あの頃は、信慈は本当に小さかった。私は日焼けした信慈の顔をそっと盗み見る。
まだまだ子どもとはいえ、しかしそれでもずいぶん大きくなったことだ。私はふと、信慈の頭を撫でた。信慈は突然頭を撫でられ、少しビックリした顔をした。


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