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第3回 ゲンジン先生からの手紙

 明日から小学校は夏休みである。息子が通信簿と夏休みの宿題と一緒に、私宛の封筒を持って帰ってきた。驚いたことに、原先生からであった。
「いったい、何だろうね」
 私はビールグラスを置いて、原先生からの封筒を手に取った。持った感じでは、冊子か何かが入っているようだった。息子は私の肩に乗りかかって、後ろから封筒を覗き込む。
「分かんない。お父さんに渡してくださいって。中にお手紙も入ってます、って言ってたよ」
 封を開けると、原稿と手紙が入っているのが見えた。
「何?」
 息子は目を輝かせて封筒の中を覗き込む。私は手紙を取り出した。
「読んでいい?」
「まあ、待ちなさい。まずお父さんが読むから」
二つ折りにされた便箋を開くと、習字の見本のような、整った字が並んでいた。

 拝啓

 突然のお手紙、失礼致します。信慈君の担任の原志郎というものです。この度は、鈴木先生にぜひ読んでいただきたい文章があり、お手紙をお送りしました。

 それは、同封致しました原稿なのですが……ヒトの「こころ」や「言葉」の起源について私なりに考え、書いてみたものです。文章の題名は『原人型世界認識』と言います。

 私は古人類学や脳科学にはまったくの無知なのですが、日頃からヒトの「こころ」や「言葉」という問題には関心がありまして、或る日、ふと閃くものがありまして、その直感に基づいて書いてみたのが今回の文章です。

 ヒトの「こころ」の問題を考えるにあたって、「原人」の時代が非常に重要な意味を持っているのではないか、と私は考えておりまして、さらに言えば、原人の時代こそ、私たち人間の「こころ」の原点なのではないか……と私は考えております。原人にとって当時、世界はどう認識されていたのだろうか、ということを、今回の文章において、私なりに推測して書いてみました。

 無知ゆえに、かなり突拍子のない発想をしているかと思うのですが、それをぜひ古人類学の専門家である先生に読んで判断していただきたいと思い、この度は信慈君に文章をお渡ししてもらうことをお願いした次第です。お忙しいところ誠に恐縮ですが、またお時間のあるときに目を通していただければ幸いです。

 突然のお手紙、失礼致しました。暑い日が続きますが、どうぞお体には気をつけてくださいませ。
 敬具 平成20年7月20日 原志郎

  鈴木二郎様


 原人型世界認識……?
 一体、どういうことだろう。私は便箋から目を離した。原人型世界認識とは、まったく聞いたことのない言葉だ。
「何て書いてあったの?」
 信慈(しんじ)が便箋を覗きこむ。
「うーん。どうやら、お父さんに読んでもらいたい文章があるそうだよ」
 手紙の内容に戸惑いながら、封筒から原稿を取り出した。A4サイズの用紙が数十枚分。右端が二点、紐で綴じられている。表紙には確かに、『原人型世界認識』と印刷されている。副題もついていた。原人型世界認識、「いま・ここ」に在る喜び……。
「あっ、ゲンジンだ!」
 信慈が歓声を上げた。
「ほら、ここ。お父さん。ゲンジンって書いてあるよ!」
 題名を指さして、信慈は興奮した面持ちで言った。
「うん。題名、全部読めるかい?」
「えーと、ゲンジンガタ、セカイ……うーん」
「ニンシキ」
「ニンシキって読むの?まだ習ってないよ。えーと、ゲンジンガタセカイニンシキ。えーと、イマ、ココニアル、ヨロコビ」
「うん。そうだね」
 私は原稿をパラパラとめくった。どうやらパッと見た感じ、文章は論文形式のようである。
「見せて、見せて」
 原稿を受取って、信慈は真剣な表情でページをめくりはじめた。後ろの窓から夜の風が吹いてきて、カーテンを揺らした。
「これ、ゲンジン先生が書いたの?」
 顔を上げて、信慈は聞く。
「そうみたいだよ」
 私はもう一度、ゆっくりと手紙を読み返してみた。原人の時代が人間のこころの原点……?そんな説は今までどの論文でも読んだことはないが――。
「これ、お父さんの分だけしかないの?僕も読みたい」
 原稿を大事そうに胸で支えながら、信慈は言った。
「もちろん読んでいいよ。でも、信慈には難しそうだな」
「でも、読みたい」
 私はビールをひと口飲んだ。
「ゲンジンのことが書いてあるんでしょ」
「ゲンジン先生が原人のことを書いてるんだから、確かに読みたいよな。もちろん、読んでもいいよ」
「お父さん、いまから読む?」
「いまから……」
 今日は一日蒸し暑かった。私は今日は、夕方からビールを飲んでいた。夕食も終えたいま、私は少々酔っ払っていた。
「いまからは、ちょっと……な。また今度、読むよ」
「明日読む?」
「明日……か、どうかは分からないけど、近いうち読むよ」
 信慈は原稿を私に返して、
「お父さんが読んだら、次は僕が読むからね」
 手紙と原稿を封筒に戻しながら、
「分かった分かった。近いうち、必ず読むよ」
 と私は答えた。

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