第1回 7月の或る朝

 窓の外をぼんやり眺めていると、後ろで「お父さん」と呼ぶ声がした。振り返ると、パジャマ姿の息子が立っていた。
 息子は微笑みながら、上目遣いで私を見上げる。なぜだか、とても嬉しそうに。そしてまた「お父さん」と呼んだ。
「なんだい」
 そう言いながら、私は少々不思議な気持だった。ニコニコと微笑む息子の顔は、もちろんいつもと変わらない。でもなぜだかいつもとどこか印象が違った。
 よく晴れた、日曜日の朝。窓から吹いてくる風が、息子の髪をかすかに揺らしている。
「お父さん。どうしたの」
 嬉しそうに、息子は言った。
「お前……」
 と言いかけて、私は口をつぐんだが、やはりどこかしら変だ。息子と私を取り囲む周りの空気がいつもと違ったように感じる。
「どうしたの?お父さん」
 さも可笑してたまらない、という風な表情で息子は言う。と、私は息子の声がいつもと違っていることに気付いた。息子はまだ小学3年生だから声も幼いのだが、今日は特に幼い印象を受ける。いつもより声が高く、またか細いようにも感じる。
「なんかお前、今日声が変じゃないか?」
 風邪でもひいたのだろうかと思いながら息子の顔を見るが、特に体調が悪いようには見えない。
 すると、息子は急にたまりかねたように笑い出した。そうして笑いながら、
「気付いた、お父さん!」
 今度は、いつもの声だった。
「どうしたんだ、今朝はなんか変だぞ」
「吸い込んで呼んでみたの」
「吸い込んで?どういうことだい」
 私はよく理解できないまま、息子の顔を見る。息子は目をキラキラと輝かせて、
「もう一度やってみるから、聴いてて」
 息子は一瞬目を閉じて、姿勢を正すようにした。そして
「お父さん」
 私を呼んだ。瞬間、やっと私は理解した。
「ああ! つまり吸い込んで言ってるのかい」
「そうだよ!」
 と息子は小さな体を踊らすようにして言った。
「面白いことをするね」
 言葉を吸い込んで発音するとは――私は面食らった気持で、テーブルの席についた。
「いま、クラスではやってるんだ」
「そうやって吸い込むことがかい?」
「最近、この子こればっかりよ」
 台所から、妻が顔を出した。
「この言い方がよっぽど気に入っているのね。コーヒー飲む?」
「うん」
「でも言いにくいだろ、そうすると」
 息子の顔を見つめながら言う。
「言葉は、言いにくいくらいのほうがいいんだって」
「言いにくいくらいのほうが……?」
「って、ゲンジン先生が言ってた」
 息子はそう言って、向こうのソファーに勢いよく座った。台所からコーヒーの香りが漂ってくる。
妻が両手にコーヒーを持ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「国語の授業で、原先生がそういう風な授業をしたんだって」
 妻が言った。私は、コーヒーをひと口飲んで、
「子どもたちに言葉を吸い込んで発音させる授業を?」
「そう」
「言葉は、言いにくいくらいのほうがいいんだよ!」
 ソファーから、息子が大きな声で言った。
「って、原先生が言ってたんだね。でもヒトのからだは、言葉を自由に吐き出せるようにできているんだよ」
 息子はちょっと考えるようにしてから、言った。
「でも、簡単に言えちゃうから、良くないこともある」
「うん……?」
「ゲンジン先生言ってたの。悪口は、吐き出して言う。悪口はヒトの中から出て来る」
「確かにそうだけど……」
「でも吸い込んで言ったら、人に悪口は言えなくなるんじゃないか、って」
「確かに、吸い込んじゃったら、悪口はみな自分に返ってくるね」
(変わった先生だな)
 熱心に話す息子を見ながら、思った。

                                                                                       

                                                                                                                                                                           

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第2回 ゲンジン先生

 担任の原先生は、子どもたちから「ゲンジン先生」と呼ばれている。まだ年も24歳と若く、子どもたちに人気がある。よく夕食時などに、息子は原先生の話を私と妻にしてくれる。ゲンジン先生が授業でこんなことを言った、休み時間にゲンジン先生とこんなことを話した……など。
 なぜゲンジン先生と呼ばれているかと言えば、学期はじめの或るとき、原先生が「原人」についての話を子どもたちにしたからのようだった。話の内容は難しくて分かりにくかったらしいが、それを話す原先生の独特の熱気に子どもたちは大いに刺激を受けたようで、以来子どもたちは親しみを込めて、原先生を「ゲンジン先生」というニックネームで呼んでいる。
 その日、夕食時にさっそく息子は私に聞いてきた。
「お父さん、ゲンジンについて教えてよ」
「ゲンジンって、あの原人のことかい?」
「ずっとずっと大昔に地球に住んでた、ゲンジン。お父さん詳しいんでしょ。ゲンジンについて」
「お父さんはそういう分野の専門家だから」
と妻が言った。
「いいけど……。でもどうして?」
「今日、先生が話をしてくれたの」
「原人についてかい……?」
 私は大学で古人類学の研究をしているので、人間の進化に関しては一応、専門家である。簡単にかいつまんで、原人や人間の進化について、息子に説明をした。
 説明をし終えると、息子は何故だか腑に落ちないような顔をしていた。
「説明が難しかったかい?」
「ううん、そうじゃないけど……。ゲンジンって、じゃあ今の僕たちとは関係ないの?」
「関係ないことはないよ。だって、大昔に彼らが進化して、いまの僕たちになったんだから」
「じゃあ、僕たちはいまもゲンジンと変わらない?」
「変わらないことはないよ。全然違うよ」
私は笑った。
「原人と僕たちでは脳の構造自体、違うんだから」
 息子はパクッとコロッケを食べたあと、しばらく考えるような顔をしてから、
「僕たちの中には、いまもゲンジンが生きてるかもしれない、って先生言ってたよ」
「どういうことだい?」
 息子はいつになく真剣な顔をしている。
「詳しいことはよく分からなかったけど、でも先生がそう言ってたの。ゲンジンはいまも僕たちのこころの中に生きてるって」
 私はよく分からないまま、ソースを口の端につけた息子の顔を見つめていた。


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第3回 ゲンジン先生からの手紙

 明日から小学校は夏休みである。息子が通信簿と夏休みの宿題と一緒に、私宛の封筒を持って帰ってきた。驚いたことに、原先生からであった。
「いったい、何だろうね」
 私はビールグラスを置いて、原先生からの封筒を手に取った。持った感じでは、冊子か何かが入っているようだった。息子は私の肩に乗りかかって、後ろから封筒を覗き込む。
「分かんない。お父さんに渡してくださいって。中にお手紙も入ってます、って言ってたよ」
 封を開けると、原稿と手紙が入っているのが見えた。
「何?」
 息子は目を輝かせて封筒の中を覗き込む。私は手紙を取り出した。
「読んでいい?」
「まあ、待ちなさい。まずお父さんが読むから」
二つ折りにされた便箋を開くと、習字の見本のような、整った字が並んでいた。

 拝啓

 突然のお手紙、失礼致します。信慈君の担任の原志郎というものです。この度は、鈴木先生にぜひ読んでいただきたい文章があり、お手紙をお送りしました。

 それは、同封致しました原稿なのですが……ヒトの「こころ」や「言葉」の起源について私なりに考え、書いてみたものです。文章の題名は『原人型世界認識』と言います。

 私は古人類学や脳科学にはまったくの無知なのですが、日頃からヒトの「こころ」や「言葉」という問題には関心がありまして、或る日、ふと閃くものがありまして、その直感に基づいて書いてみたのが今回の文章です。

 ヒトの「こころ」の問題を考えるにあたって、「原人」の時代が非常に重要な意味を持っているのではないか、と私は考えておりまして、さらに言えば、原人の時代こそ、私たち人間の「こころ」の原点なのではないか……と私は考えております。原人にとって当時、世界はどう認識されていたのだろうか、ということを、今回の文章において、私なりに推測して書いてみました。

 無知ゆえに、かなり突拍子のない発想をしているかと思うのですが、それをぜひ古人類学の専門家である先生に読んで判断していただきたいと思い、この度は信慈君に文章をお渡ししてもらうことをお願いした次第です。お忙しいところ誠に恐縮ですが、またお時間のあるときに目を通していただければ幸いです。

 突然のお手紙、失礼致しました。暑い日が続きますが、どうぞお体には気をつけてくださいませ。
 敬具 平成20年7月20日 原志郎

  鈴木二郎様


 原人型世界認識……?
 一体、どういうことだろう。私は便箋から目を離した。原人型世界認識とは、まったく聞いたことのない言葉だ。
「何て書いてあったの?」
 信慈(しんじ)が便箋を覗きこむ。
「うーん。どうやら、お父さんに読んでもらいたい文章があるそうだよ」
 手紙の内容に戸惑いながら、封筒から原稿を取り出した。A4サイズの用紙が数十枚分。右端が二点、紐で綴じられている。表紙には確かに、『原人型世界認識』と印刷されている。副題もついていた。原人型世界認識、「いま・ここ」に在る喜び……。
「あっ、ゲンジンだ!」
 信慈が歓声を上げた。
「ほら、ここ。お父さん。ゲンジンって書いてあるよ!」
 題名を指さして、信慈は興奮した面持ちで言った。
「うん。題名、全部読めるかい?」
「えーと、ゲンジンガタ、セカイ……うーん」
「ニンシキ」
「ニンシキって読むの?まだ習ってないよ。えーと、ゲンジンガタセカイニンシキ。えーと、イマ、ココニアル、ヨロコビ」
「うん。そうだね」
 私は原稿をパラパラとめくった。どうやらパッと見た感じ、文章は論文形式のようである。
「見せて、見せて」
 原稿を受取って、信慈は真剣な表情でページをめくりはじめた。後ろの窓から夜の風が吹いてきて、カーテンを揺らした。
「これ、ゲンジン先生が書いたの?」
 顔を上げて、信慈は聞く。
「そうみたいだよ」
 私はもう一度、ゆっくりと手紙を読み返してみた。原人の時代が人間のこころの原点……?そんな説は今までどの論文でも読んだことはないが――。
「これ、お父さんの分だけしかないの?僕も読みたい」
 原稿を大事そうに胸で支えながら、信慈は言った。
「もちろん読んでいいよ。でも、信慈には難しそうだな」
「でも、読みたい」
 私はビールをひと口飲んだ。
「ゲンジンのことが書いてあるんでしょ」
「ゲンジン先生が原人のことを書いてるんだから、確かに読みたいよな。もちろん、読んでもいいよ」
「お父さん、いまから読む?」
「いまから……」
 今日は一日蒸し暑かった。私は今日は、夕方からビールを飲んでいた。夕食も終えたいま、私は少々酔っ払っていた。
「いまからは、ちょっと……な。また今度、読むよ」
「明日読む?」
「明日……か、どうかは分からないけど、近いうち読むよ」
 信慈は原稿を私に返して、
「お父さんが読んだら、次は僕が読むからね」
 手紙と原稿を封筒に戻しながら、
「分かった分かった。近いうち、必ず読むよ」
 と私は答えた。

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第4回 原人型世界認識(1)

 8月になった。連日、快晴の日が続いていた。大学のほうはもう授業はないけれど、学生のレポートを読んだりテストの採点をしなくてはならないので、私はほぼ毎日大学に出勤はしていた。
 原先生の原稿を預かってから10日ほどが過ぎていた。信慈からは毎日、お父さんもう読んだかと聞かれる。預かった原稿の存在は気にはしながらも、学生のレポートを読むだけで私は手一杯な気持だったし、また正直、読むのが幾分面倒な気持もあった。連日の暑さに、からだが少々バテ気味であったのかもしれない。
 が、信慈の催促がうるさいので、大学から帰宅した本日、観念して読みはじめることにした。今日も昼間は蒸し暑かった。日が傾き始めたいま、窓からはやっと涼しい風が入り込んできている。
 冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出した。グラスに氷を入れ、コーヒーを注ぐ。まず1杯飲み干してから、また2杯目を注いだ。
 グラスを片手に、リビングのテーブルに座る。ここが一番風通しがよく、落ち着く気がする。封筒から原稿を取り出す。私はコーヒーをひと口飲んで、原先生の原稿を読み始めた。

 ――


原人型世界認識 ~「いま・ここ」に在る喜び~

                        原志郎

 はじめに

 朝の光――
 窓からそっと、吹いてくる風。
 小鳥の鳴き声。
 コーヒーの香り。
 サワサワと揺れるポプラの葉。
 子どもたちの笑顔。
 一つ一つの輪郭が、みずみずしく光り輝いている、
 いま、この瞬間――。

 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
 
 この当たり前の感覚――。
 この当たり前でみずみずしい感覚は、日々の生活の中のふとした瞬間に、僕たちのこころに湧き上がってくるものです。僕たちは日々、自分の用事をこなすことで忙しい。しかしときに、足を止め、立ち止まってみる瞬間があります。歩き続けていた足をふと、止めてみる。そうして目の前の景色を、ぼんやりと眺めてみる。そんなとき、目の前の一つ一つが、キラキラと輝いて見えることがあります。空に浮かぶ雲。頬をなでる風。ビルの窓に反射する太陽の光。そして、子どもたちの笑顔、歓声――。
 そんなとき、忙しかった自分のこころが、ホッとしたような、何とも言えない安心感に包まれることがあります。いま、自分が自分そのものとして、確かにここにある、というような喜びに包まれることがあります。
 この「いま・ここ」のそのものという感覚を、僕は「人間のこころ」の、その最も根源的なものとして考えています。今回の文章において、僕はこの当たり前の感覚を、「人間のこころ」を形成する、その最も本質的な部分として位置づけてみたいと考えています。これが、今回の文章の趣旨です。
 そのためには、しなければならない作業があります。この当たり前の感覚を「人間のこころ」の本質と位置づけるには、どうして必要な作業があるのです。それは、「人間のこころ」の歴史の拡張――という作業です。
 いま、僕は「人間のこころ」と書きました。その「人間」とは、いったい誰のことでしょうか。それはもちろん、僕たち「ホモ・サピエンス」のことであります。しかし、それのみではない。21世紀になったいま、「人間のこころ」について考えるとき、僕はホモ・サピエンスのみをその対象にするだけではもはや足りない、と考えています。
「人間のこころ」について真に考察しようとするならば、その範囲を広げて“はじめの人間”――「原人」にまでさかのぼって、考えてみなければならない。その「原人」から、「人間のこころ」というものがどう形づくられていったのか、ということを考えていかないと、僕たちの「こころ」についての真の考察へは至れないのではないか、と考えているのです。
 ですから、これから“はじめの人間”――「原人」にまで視点をさかのぼらせ、そこから順に「人間のこころ」というものについて考えていく、という作業をしていこうと思います。まだまだ考察の途上ゆえ、矛盾した点や論理が飛躍する点、また私が思い違いをしている点も多々見られるかと思いますが、どうぞ寛大なお気持ちで、最後までお付き合いください。


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第5回 原人型世界認識(2)

 「いま・ここ」の感覚は、原人の時代にはじまった……?

“はじめの人間”――原人は、およそ百数十万年前に、東アフリカの地で誕生しました。
 原人とは一般に、「ホモ・エレクトス」という名称で呼ばれます。それ以前に地球上に生息していたのは「類人猿」でした。東アフリカの地において、その類人猿は進化を果たし、ついに“はじめの人間”――原人が誕生したのです。
 原人の前段階の類人猿の特徴には、樹上で枝からぶらさがるのに適した長くてよく動く腕、幅広い肩、大きめの脳、しっぽがない、などがあります。今地球上に生存する類人猿は、アフリカにゴリラ、チンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー)の3種、東南アジアにオランウータンとテナガザル約10種がいます。類人猿はおよそ2500万年前ごろに誕生し、いま現存するよりももっと多くの種が、かつてはアジア・アフリカなど広い地域に生息していました。
 ただ、大昔に生息していたそれら多様な類人猿のうち、原人に進化し得たのは、東アフリカに住んでいた類人猿だけでした。東アフリカ以外の地域に住む類人猿は、のちにゴリラやオランウータンなどに分かれていくことになります。
 東アフリカのみで起こった、類人猿から原人への進化――。専門家たちはその要因として、アフリカだけが持つ特有の地形、「アフリカ大地溝帯」(グレート・リフト・バレー)を挙げています。
 アフリカ大地溝帯とは、東アフリカを南北に貫く幅数十キロの深い谷です。その谷は山脈と山脈に挟まれています。中東からエチオピア、ケニア、タンザニアへと続く東部地溝帯と、ウガンダから南下する西部地溝帯からなり、合わせれば延長約6000キロにもなります。高山や大きな湖もこの周辺には多いようです。
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 地溝帯の北部には、大陸をかたちづくる岩盤であるプレート同士が出会う場所があります。ナイル川が走るヌビアプレート、アラビア半島が載るアラビアプレート、ソマリア半島が載るソマリアプレートの3つです。3つのプレートは、それぞれ独自の動きをしています。これらプレート同士の力のせめぎあいによって、周辺の大陸は陥没、また隆起し、そうしてアフリカ大地溝帯は形成されてきました。その形成はおよそ4500万年前の始新世後期に始まり、およそ700万年前頃に、いま現在の東アフリカの地形と同様のかたちとなりました。
 地溝帯の形成は、アフリカの東西の環境に大きな違いをもたらしました。西側は以前と同様の、多雨湿潤気候。一方、東側は以前よりずっと雨が少ない気候となりました。それが、700~800万年前のことです。
「森林のサルがサバンナに出て直立してヒトになった」というサバンナ説。この仮説を、これら環境の変化と関連させ、フランスの人類学者イヴ・コッパンは次のようなシナリオを提出しました。
「アフリカ大地溝帯によってすみかを分断された類人猿は、東西それぞれ独自の進化をすすめるようになった。西では豊かな森で暮らすチンパンジー、ゴリラに。東では新しい、乾燥した気候(サバンナ気候)に適応するよう進化した新しい種――つまり二足歩行する人間に」。
 コッパンはこの人類進化説を、ミュージカル映画『ウェストサイドストーリー』を文字って、《イーストサイドストーリー》と名付けました(参考:『われら以外の人類~猿人からネアンデルタール人まで~』内村直之=著 朝日新聞社 2005)。
 東アフリカで誕生し、その後もそこにとどまりつづけた原人は、後に「ネアンデルタール人」や私たち「ホモ・サピエンス」に進化することになります。一方、東アフリカにとどまらず、その後アジアなどに渡った原人もいました。中国で発見された「北京原人」がその代表例です。
 ただ、現在地球上に住む僕たちホモ・サピエンスの直接の先祖になったのは、東アフリカにとどまり続けた原人グループのみです。その原人は他の「ホモ・エレクトス」と区別され、「ホモ・エルガステル」※という名で呼ばれています。
 言い方を変えると、このホモ・エルガステルは、後にアジアにわたった北京原人などの「ホモ・エレクトス」の初期段階である、ということが出来ます。(『5万年前に人類に何が起きたか?~意識のビッグバン』リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー=著 鈴木淑美=訳 新書館 2004)つまり、このホモ・エルガステルこそが、真の「原人」――“はじめの人間”なのです。
※「ホモ・エルガステル」とは『働くヒト』という意味です。
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 もちろん、実際の進化は、この《イーストサイドストーリー》のように単純に語れるものではないようです。東アフリカの環境は、大地溝帯の出現によっていきなりサバンナになったわけではない。類人猿も、環境の変化によっていきなりホモ・エルガステルになったわけではない。そこにはもちろん段階的な変化があります。
 人間の進化というものに決定的な影響を持つ「二足歩行」の成立――。ここにも、大きく2つの段階があったのではないか、と考えられています(以後参考:『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 熊谷淳子=訳 早川書房 2006)。
 大地溝帯が起こった後も、300万年間くらいは東アフリカの類人猿の樹上の生活は続いたようです。といっても、以前のように、完全に樹上の生活だったわけではない。インディアナ大学のケヴィン・ハントは、当時(たとえば350万~300万年前に生きた類人猿の一種、アウストラロピテクス・アファレンシスは)、果実をとる際に、両足を安定した地面に付けて、片手で枝を、片手で木の実を食べるようにしていたのではないか、と述べています。果実をとるために断続的に二足歩行をしていたのではないか、と。ただ、その頃の二足歩行はまだぎこちなかった。これが、第一段階です。
 第二段階は、200万年前をやや過ぎた頃にはじまります。この頃、東アフリカは大変な乾燥化に見舞われたそうです。そうして、ようやく東アフリカに広大な「サバンナ」様の平原が出現した。それ以前も乾燥した平原はありましたが、このときそれが極端化し、森林も減少した。もはや、類人猿は森林のみに頼る生活は出来なくなった。そうして、完全に現代的な二足歩行をするホモ・エルガステルが出現した。樹から降り、食料を得るために、遠出をしなくてはならなくなった※。
※「二足歩行」によって遠出が可能となり、木の実だけではなく動物の死骸も食料として探索できるようになりました。新しい、肉という栄養豊富な食料が、その後の人間の「大脳皮質」の発達を促進した、という可能性があります。
 リバプール・ジョン・ムアーズ大学のピーター・ホイーラーは、この完全な二足歩行に関して、《立てば爽快(stand tall and stay cool)》という仮説を提唱しているようです。
「樹が少なくなったサバンナという環境では、太陽にさらされる時間も増え、温熱ストレスを減らす必要があった。直立していれば、太陽光線を浴びる面積が少なくてすむし(四足で歩行すると、背中全体が日にさらされる)、地面から離れるほど大気は涼しく、風速も早く、体表からの蒸発による冷却作用を高められる。」
ホイーラーの説が正しいとすると、つまり完全な二足歩行は、サバンナという温熱ストレスの高い、新たな環境に適応していくために発達した、ということになります。
 こうして、完全な二足歩行の出現によって、遂に「サル」は「ヒト」となった――。
 しかし、これはあくまで外面的、身体的変化です。この説明だけでは私にとって、人間の進化についての何の解答にもなっていません。僕が本当に考えてみたいのは、もう一方の、内面的な変化という現象なのです。類人猿から原人になるに当たって、確かに身体的には完全な二足歩行というものになった。では一方で、「こころ」というものはどう変化したのか?これこそ、僕が問うてみたい問題なのです。類人猿から原人になるにあたって、その世界認識はどう変化したのか……?
 もちろん、内面の変化には身体的な変化の影響が欠かせませんし、その身体的な変化への考察は必須でしょう。しかし、この文章で本当に考えてみたいのは、あくまで「人間のこころ」の問題である、ということはここで明記しておきたいと思います。

 朝の光――
 窓からそっと、吹いてくる風。
 小鳥の鳴き声。
 コーヒーの香り。
 サワサワと揺れるポプラの葉。
 子どもたちの笑顔。
 一つ一つの輪郭が、みずみずしく光り輝いている、
 いま、この瞬間――。

 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 突然ですが、この「いま・ここ」の私そのものという感覚が、「原人(ホモ・エルガステル)」の時代にはじまった、としたらどうでしょう。もちろん原人はコーヒーは飲みませんが、しかしこの感受性自体は、遥か原人の時代にはじまったとしたら、どうでしょう。いきなり最も重要な命題が出てきてしまって恐縮ですが、この世界認識が原人の時代に端を発したのだとしたら……?
 この大切な「いま・ここ」の感覚は、私たち「ホモ・サピエンス」特有のものではない、と僕は考えています。はじめて人が人となったホモ・エルガステルの時代から、百数十万年間に渡って変わらずずっと、「人間のこころ」の本質を形づくってきたものである。そしてこの世界認識こそが、類人猿と原人の「こころ」を別った秘密なのだ、と。
 なんだか突拍子もない説に聞こえるかもしれません。しかし、僕はこの考えに対して、自分なりに確信を持っています。ただこれだけではあまりに抽象的な物言いなので、この「いま・ここ」の感覚とは、具体的にどういうものなのか、僕たちの「こころ」にとってそれはどういった存在なのか、この感覚が原人に由来するという根拠は何なのか――という事を、脳科学からの見地も交えながら、これから具体的に述べていこうと思います。


 ここまで読んで、私は窓の外を見た。
「いま・ここ」の感覚が、原人の時代に始まった……?この青年はどうしてそんなことが言えるんだろう?こんな説は聞いたことがないが。やはり、彼が勝手に考え付いたものなのだろうが、それにしても何故?また、何を根拠に……?
 窓の外では、ポプラの葉が風に揺れている。
Popura_5
 まあ、詳しいことはこれから述べていくのだろうけれど、果たしてそれを裏付ける根拠など、存在するのだろうか。
 私はアイスコーヒーをひと口飲んだ。
(やっぱり変わった先生だな)

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第6回 原人型世界認識(3)

サルとヒトを別ったもの ~意識出来る能力~

 サル(新・旧世界ザル)・チンパンジー(類人猿)・ヒト(原人~ホモ・サピエンス)などの「霊長類」の脳は、大きく別けて3つの器官に分かれます。表面から下にいくほど、その器官の起源は古くなります。
 容積の大部分を占めるのは「大脳」。その下にちょこんとぶらさがっているのが「小脳」。それら「大脳」「小脳」を下から支えるのが「脳幹」。
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 最も古い「脳幹」は、動物の生命維持にとって欠かせない根本的な働きを受け持っています。視床、視床下部、脳下垂体、中脳、延髄などから構成され、呼吸や体温の調節など、生命活活動の中枢を受け持っています。
「小脳」は動作の記憶や平衡感覚など、身体感覚をコントロールする役割を受け持っています。動物では、特に鳥類において「小脳」は発達しています。
「大脳」は大きく別けて3つの層に分けられます。
 一番古層にあるのは「大脳基底核」で、身体がスムーズに動くように調節する役割を担っています。たとえば、身体が徐々に動かなくなるパーキンソン病は、この大脳基底核の障害によります。
 中間に位置するのは「大脳辺縁系」。扁桃体、海馬などからなり、本能や情動などに関する働きを受け持っています。哺乳類の多くはこの大脳辺縁系に即して生活しており、この部位は「動物の脳」といわれることがあります。
 そしてそれらを包み込むのがご存知、「大脳皮質」で、視覚・聴覚などの五感認識や思考を司る働きを受け持っています。大脳皮質は、特に霊長類において発達しています。大脳皮質は中心で左右に割れており、それがいわゆる右脳・左脳に当たります。分離した右脳と左脳は、割れ目の底の「脳梁」と呼ばれる交通繊維でつながっています。この脳梁が、右脳の働きと左脳の働きを結びつけています。
 脳の各部位が感覚したものを、大脳皮質がいかに統合し、処理するか――。この働きの差に、サルとヒトを別ったものがあります。人間をはじめて人間とならしめたのは大脳皮質の独自の発達である、ということはどなたも異論のないことでありましょう。では、その具体的な働きとはなにか。遥か数百万年前に、類人猿と人間を別けた大脳皮質の具体的働きとは何か――。
 それは「意識出来る能力」である、と僕は考えます。「感受する外界を、はっきりと意識出来る能力」です。

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第7回 原人型世界認識(4)

「人間のこころ」

「こころ」とは何でしょうか。僕たちが日常でよく使う「こころ」という言葉とは――。分かっているようで、よく分からない。いったん深く考え出すと、この「こころ」という言葉ほど、分かりにくく、不可思議なものはありません。
 僕は、すべての生きものは「こころ」を持っていると考えています。ただ、その「こころ」には幾つかの層がある、とも考えています。僕たち人間で言えば、一番表層にあるのはもちろん「人間のこころ」です。その下の層には、「動物のこころ」があります。
 では一番下の層にあるのは何かというと、それは昼夜のリズム、四季のリズム、潮汐リズム――など、天体のリズムに支配されている、いわば宇宙的な“生命のリズム”です。
 この“生命のリズム”を、僕は生命の持つ最も根源的な「こころ」の層として、この文章において定義したいと思います。それは一般に私たちが普段使う「感情」とか「気持」とかいうものとはまた全く違う意味での「こころ」です。
 植物が持っているものこそ、この“生命のリズム”としての「こころ」です。“生命のリズム”そのものを体現して生きる植物――。彼らは、誰に教えられることもなく、春になると芽を出し、花を咲かせ、秋になると種を実らせます。つまり彼らは、“生命のリズム”としての「こころ」そのものを生きています。そういう意味で、最も根源的なこの「こころ」とは、「植物的なこころ」と言うことが出来ます。
〝生命のリズム〟は植物において、「栄養―生殖」という働きになってあらわれます。植物は根から水や栄養分を吸い上げ、葉にて光合成をし(栄養)、そして花を咲かせ実を実らせ、新たな命を大地に蒔きます(生殖)。
 では、動物のからだにおいてはどうでしょうか……?
 動物のからだにおいて、それら植物的な働き(こころ)は心臓や腸、生殖器などの「内臓系」の働きに相当します。栄養は胃腸によって消化吸収され、新たな生命は生殖器によって生み出されます。そしてそれら「栄養―生殖」にとってなくてはならないのが血液の流れ――心臓の働きです。心臓に代表される内臓器官は《植物性器官》と呼ぶことが出来ます。
 これら植物的な「こころ」に相対するもの、それが、「あたま」の働き――「」に代表される神経系の働きです。動物において、それらは「感覚―運動」という働きになってあらわれます。根を失った動物は、栄養を得るために動き回らなくてなりません。栄養を求めて、動物は外界を「感覚」し、またその知覚に基づいて「運動」しなくてはなりません。「」などの神経系器官に代表されるこれら動物特有の器官は、《動物性器官》と呼ぶことが出来ます※。
※これら《植物性器官》《動物性器官》という概念は、解剖学者・三木成夫氏の著作から得たものです。詳しくは、『ヒトのからだ――生物史的考察』(うぶすな書院 1997)、『胎児の世界』(中公新書 1983)にあります。この文章は、これら三木成夫氏の著作に大いに影響を受けています。“生命のリズム”こそを「こころ」の根源とするという定義も、もともとは三木成夫氏の著作によるものです。

 鳥類や哺乳類は主に、大脳皮質の下にある、本能や情動などを司る大脳辺縁系や、運動能力に欠かせない小脳に即して行動をしています。動物的な「本能」は、植物的な「こころ」と直に結びついています。植物的な「栄養―生殖」という務めを果たすために、動物的な本能が形成された、とも言えます。それらは植物的な“生命のリズム”に即しています。動物的な勘――いわゆる、第六感の世界です。地震を事前に察知して移動しはじめる小動物たち。季節ごとに、はるかな距離を正確に移動する白鳥たち。それら人智を超えた力は、宇宙的・植物的な“生命のリズム”に即することによって生み出されています。
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(はるかな距離を正確に移動する渡り鳥カオジロガン 画像出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 その分、彼らは表層の大脳皮質があまり発達していません。よって、彼らはその生において、自身が「感覚―運動」したことをはっきりと意識するということがありません。「意識出来る能力」を司る、大脳皮質があまり発達していないからです。その、動物的な「脳」が、植物的な「こころ」に即したかたちで、自然に(無自覚的に)相互作用している状態を、私はこの文章において「動物のこころ」と呼ぼうと思います。
 彼らはその生において、自身が「感覚―運動」したことを意識するということがありません。逆の言い方をすれば、無自覚だから、意識していないからこそ、動物はあれほど人智を超えた能力(本能的な第六感)を発揮出来るのだ、と言うことが出来ます。「動物のこころ」とは、周囲の環境と自身が一体化した、主客未分的な「こころ」と言えるのではないでしょうか※。
※かく言う僕たち人間も、たとえば祭りの神輿担ぎに熱狂しているとき、自分と周りの境界が曖昧な、主客未分な「動物のこころ」に戻っています。祭りというものは、「人間のこころ」の時代を飛び越えて、主客未分な「動物のこころ」を取り戻そうという行為でもあるようです。

 一方、大脳皮質が独自に発達した人間は、自分が感覚したことを、はっきりと「意識出来る」ようになりました。ゴリラ・チンパンジーなどの類人猿の大脳皮質は、ほかの哺乳類に比べ発達しているとは言え、しかし人間に比べるとまだその度合いは少ない。彼ら類人猿はかなり人間に近いとは言え、まだ多分に主客未分な「動物のこころ」に、即するかたちで行動しています。
 つまり、人間以外の動物は、ものごとをもちろん感覚はしてはいるけれども(“生命のリズム”に則って、ときに人間より遥かに繊細に)しかし、「自分がそのようにして感覚している」ということを意識することはないようです。一方、大脳皮質が独自に発達した人間は、感受しているものごとを、「いま・ここで自分が感覚している」と意識出来るようになった。「感覚(入力)」したものの一つ一つを、はっきりと大脳皮質において意識出来るようになった。
 いまこの瞬間この場において、外界がはっきりと輪郭を伴って認識される――。
 このような「明晰な」感覚は、他の脊椎動物にはない、人間特有の感覚であると言えます。この人間特有の明晰な感覚こそ、類人猿から人間になったときはじめて生まれ出たものであり、そして今現在も僕たち「人間のこころ」の層の、その原点に位置するものであると僕は考えます。
 もちろん「原人(ホモ・エルガステル)」も、獲物を探している最中は「動物のこころ」に戻っていたでしょうし、いつでも恒常的にこの明晰な「人間のこころ」でいたわけではないでしょう。しかしたとえば或る原人の男性が夕方、食事を終えた後、ふと洞窟から外に出て、湖の向こうに沈んでいく夕日を眺める。隣には妻と子どもたちがいる※。そうして、三人でじっと夕焼けを見つめている。気がつくと、彼の目からは涙が流れ出ている……。このような光景が、原人の時代になってはじめて見られるようになったのではないか、などと僕は想像します。
※「ホモ・エルガステル」は一夫一妻制だったのではないか、という説があります(『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 熊谷淳子=訳)。

 ただ、この「明晰さ」とは、もちろん僕たち「人間」※の世界認識から見た明晰さです。僕が自身の「こころ」を素材として、何とか掘り下げていくことが出来るのはおそらく原人までで、それ以下の「動物のこころ」の層のことは、実感を離れて、ただ推測するしかありません。僕の言うこの明晰さとは、あくまで「視覚」を中心とする人間にとっての明晰さです。「嗅覚」を中心とする動物にとっての明晰さとは、またまったく別の次元の話になるでしょう。ここでは話を分かりやすくするために、あえて「動物のこころ」を「明晰でない」と表現させてもらっています。
 さて、次の項からは、「感覚(入力)」したことを「意識出来る能力」とは、ではいったい具体的に大脳皮質のどの部位の働きによるものか――ということを述べていこうと思います。
※僕がこの文章において「人間」という語を使うとき、「原人」から「ホモ・サピエンス」に至る人類全般のことを指そうとしています。指した対象が「ホモ・サピエンス」のみに限る場合は「ホモ・サピエンス」と表記いたします。



 私はノートにメモを取りだした。
 ちょっと文章が分かりにくいが……、つまり、植物に代表される“生命のリズム”をまず「こころ」の根本とし、それに則って自然に働いているのが「動物のこころ」と捉えている訳だな。そしてその「動物のこころ」に、意識出来る能力が発現して、新しく生まれ出たのが「人間のこころ」であるという訳か。
 動物に「こころ」はあるのか、という議論は昔からよくなされてきたが……“生命のリズム”をまずそもそもの根本的な「こころ」と位置づける定義は、確かに面白いな。
 つまり、彼は「こころ」をのようなものとして捉えているわけか……。
「動物のこころ」と「人間のこころ」をまったく別物として考えているのではなく、古い「動物のこころ」に新しい「人間のこころ」がかぶさっている、と考えている。
 そしてその新しい「人間のこころ」を形作る要因となったのが意識出来る能力で、そしてその能力とは、冒頭に述べられた「いま・ここ」の私そのものという感覚とイコールである……と。
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 私はペンを置いて、アイスコーヒーを口に含んだ。
 しかし、この辺りの問題は、非常に難しいな。彼は専門家ではないから、このように簡単に「こころ」の定義が出来てしまうのだろうが……。


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第8回 原人型世界認識(5)

 サルとヒトを別ったもの ~「側頭葉」上部のはたらき~

 僕たち人間ももちろん「哺乳類」ですが――。
 哺乳類は、もともとは夜行性でした。遥か昔、およそ2億年前に爬虫類から分かれた哺乳類は、昼間に活動する恐竜を避け主に夜間に行動をしていたようです。夜の闇の中で重要になったのは、「嗅覚」と「聴覚」でした。哺乳類の世界認識には、研ぎ澄まされた「嗅覚」と「聴覚」とが占める割合が大きいようです。
 その分、彼らは大脳皮質があまり発達していません。それら嗅覚的な世界認識は、視覚を中心とする僕たち人間の世界認識とはまたまったく異なるものです。哺乳類の世界認識とは、「嗅覚的・聴覚的」と言うことが出来ます※。
※においは、鼻の粘膜の中にある嗅細胞によって受容され、嗅神経によって脳の「嗅球」という部位に送られます。「嗅球」は脳の底、鼻の粘膜の上部のすぐ奥に左右二つあり、ここでにおいの細かな情報が処理されます。鼻の中にある嗅細胞は、ウサギやラットでは何千万個、人間でも数百万個近くあるそうです。

 一方、或るとき、樹の上を生活の場としようとしたネズミたちがいました。彼らこそが、後にサルや人間に進化する、僕たち「霊長類」の祖先です。高い樹の上で生活しているので、もはや彼らは恐ろしい恐竜達に襲われる危険は少なくなりました。よって、彼らは進化の途中で、そのほとんどが昼光性となりました。闇夜の生活から一転して、太陽の光のもとでの生活となったのです。
 樹上生活では、哺乳類時代の地上生活とは打って変わって視覚が重要となります。樹の枝から枝への移動を正確に行なうには、視覚の部位の発達が必須です。また、食料である木の実を探すにも、「視覚」は重要です(参考:「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《サルやヒトは視覚動物》http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain)。
 哺乳類から霊長類に進化する際、特に発達したのは大脳皮質です。哺乳類にも大脳皮質はありますが、霊長類に比べるとその容積はずっと少ない。僕たちホモ・サピエンスの脳のように大脳皮質が左右に分かれる(いわゆる右脳・左脳)のも、霊長類の時代に入ってからです。その大脳皮質には、視覚・聴覚・空間認識など、個別の感覚を受容する部位があると言われています。もちろん、それらは完全に個別に機能しているわけではなく、複雑なネットワークで互いに影響しあっており、厳密に各部位を指定するのは困難ですが、おおまかに区分けすると次の図のようになります。
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 大脳皮質の後方には「後頭葉」という部位があります。この部位は主に視覚を司っていると言われます。他に視覚を司っている部位としては、「側頭葉」の下部などがあります。樹上生活をする霊長類の時代に発達したのは視覚、ということを考えると、哺乳類から霊長類に進化する際、特に発達したのはこれら視覚を司る大脳皮質部位である、ということが出来ます。サルやチンパンジーなどの霊長類の世界認識とは、「視覚的・嗅覚的」と言うことが出来るのではないでしょうか※。
※「哺乳類」の世界認識の特質とは、「嗅覚的」であること、と私は考えます。サルや「類人猿」は「視覚」を重視しているとはいえ、人間と比較すると、まだ多分に動物的(本能的・自身の『感覚―行動』に無自覚的・主客未分的)な部分を残しています。そういう意味で、私はこの(人間を外した)霊長類の世界認識に、「視覚的」のみならず「嗅覚的」という側面を残しておこうと思います。

 ゴリラ・チンパンジーなどの「類人猿」は、僕たちホモ・サピエンスと同じような「色覚」を持つ、と一般的に言われています(「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《旧世界ザルの色覚はヒトと同じ》より)。つまり、「視覚的」な発達に関しては、チンパンジーも人間もそこまでは違いがない、と言うことが出来るかもしれません。樹上の生活において、十分に発達した視覚は必須です。機敏に枝から枝に飛び移る動作は、十分な視覚の発達がないと出来ません。
 では、たとえば目の前で樹の葉が揺れているとして、チンパンジーと人間ではその樹が同じように見えているのでしょうか……?
 それは、ある側面では、「然り」である、――と僕は考えます。チンパンジーの目でも人間の目でも、目の前の樹の葉は同じような色をし、同じように風に揺れているのではないでしょうか。視覚を司る大脳皮質の発達のみで言えば、類人猿も人間もさほど違いはないからです。しかし、チンパンジーと人間では「見る」ということにおいて、どこかが違う。その感覚の仕方にどこか違いがある。つまり「見る」ことにおいて、チンパンジーと人間では「視覚」を司る大脳皮質以外の部位の働きに、その違いがある。その違いにこそ、「類人猿」と「原人」を別ったものがある、と僕は考えています。
 類人猿が「原人(ホモ・エルガステル)」へと進化していくとき、大脳皮質のどこが特に発達していったのかというと、それは「側頭葉」の上部です。と、僕は考えます。もちろん、原人に進化していくに当たって、大脳皮質全体が増量したことには違いないのですが、特にどの部位が特殊に発達したのかというと、それは「側頭葉」の上部である、と僕は考えています。もちろん、これは僕の仮説です。
「側頭葉」の位置は、ちょうど両耳の周辺にあります。「側頭葉」下部は、前述したように主に視覚における形態の感受などを司っています。対して、上部は主に聴覚の感受を司っています。視覚を感受する大脳皮質は「類人猿」の段階ですでに十分発達していたかもしれないということを考えると、類人猿と原人を別ったのは、聴覚を司る「側頭葉」上部の特殊な発達である、ということが出来るのではないでしょうか。
 サワサワと揺れる樹の葉を前にして、チンパンジーと原人では、その認識のどこが違うのでしょうか。両者は同等な色覚を持っているのですから、一見、同じように見えているはずです。しかし、どこかが違う。チンパンジーの目から見ると、かたちを持ったさまざまな色のパターン(緑、黄緑、黄色、白……)が、ただ揺れているようにしか見えない(と想像します)。しかし、原人の目から見ると、そのかたちをともなったさまざまな色のパターンが、色彩以上の“何か”に見えるのです。太陽の光のもと、その葉の一枚一枚の輝きが、単なる色彩とかたち以上の“何か”に見えてくる……。
 僕は、次のようなことを考えています。
 原人(にはじまる人間の世界認識)において、視覚には同時に聴覚が働いているのではないか――。
 この聴覚が「同時に」働いているということは、風景を見ながら風の音などの自然音も聴いている、という意味での「同時」ではありません。そうではなくて、風景を見ることそのものに、聴覚が働いているのではないか、という意味での「同時」です。原人において、「見ること」は単に視覚を司る大脳皮質の部位が働いているのみではない。そこに、「聴くこと」を司る「側頭葉」上部も同時に働いているのではないか、と。
 夕焼けを前にして、僕たち人間はハッと立ち止まります。その信じられぬくらい美しい、空色と赤と橙色のグラデーションにこころ動かされ、思わず立ち止まることがあります。チンパンジーは夕焼けを前にしても、ハッとして立ち止まることは(おそらく)ないでしょう。暮れていく夕焼けに色彩とかたち以上の“何か”を感じ取り、こころ動かされるのは、僕たち人間だけの特質です。
 外界に私たちが感じ取る“何か”――。僕はそれを“”と表現しようと思います。僕たち人間は、外界に“声”のようなものを感じる。樹の葉のざわめきに、単なる色とかたち以上の、何か“声”のようなものを感じる。暮れていく夕焼け空に、何か自分に語りかけてくる“声”のようなものを感じる。……
 そしてその“声”の感受こそが、ものの「自覚」ということにつながっていったのではないか、と僕は考えます。
以前は単なる色彩とかたちでしかなかった樹の葉が、原人の時代になって、何か“声”のような「ひびき」を発しているように感じる。葉が、葉そのものとして、確かな存在感を持って浮かび上がってくるように感じる。そのときはじめて、原人ははっきりと「自覚(意識)した」のではないでしょうか。目の前で揺れる葉が、はっきり「葉」である――と。
 その自覚は、視覚のみの働きによるものではないようです。ものがはっきりとものであるという認識には、むしろ聴覚が重要な働きを果たしている。そのことを、僕は自身の実感からも言うことが出来ます。サワサワと揺れる樹の葉。真っ赤に暮れていく夕焼け。その夕陽に照らし出されたテーブルの上のコップの陰影……。それらものを「見ること」において、僕たちは「聴く」ということも行なっている。「見る」と同時に、「聴く」ことをしている。このことを、僕は自身の日々の生活の実感に基づいて述べているのですが……。 
 僕が考える原人の世界認識とは、「視覚的・聴覚的」と言うことが出来ます。

 人間の特質は「意識出来る能力」にある、ということは先ほど述べましたが、その「意識出来る能力」とは、具体的には類人猿から原人に進化するにあたって発達した「側頭葉」上部の特殊な働きに、その出現の秘密が隠されていると推論していくことが出来ます。
 サルとヒトを別ったもの――それは聴覚を司る「側頭葉」上部の独自の発達である、と僕は考えます(詳しい説明は、これからゆっくりとしていきます)。


 動物の世界認識と人間の世界認識が違うということはよく分かる。動物の世界認識とは「嗅覚的」で、人間の世界認識とは「視覚的」である、と。これも分かる。
 しかし、その人間の世界認識にも段階がある、と彼は述べている。つまり、まずそのはじめに「原人の世界認識」というものがある、と彼は述べているのだな。
 それにしても……。私は窓の外を見るともなしに眺める。
“声”って、一体なんだ……?

 玄関から賑やかな声が聞こえてくる。信慈がプールから帰ってきたようだ。
「あー、疲れた!」
 リュックをソファーの上に置き、冷蔵庫を勢いよく開ける。コップに麦茶をコポコポと注いで一気に飲み干す。そうして、私の隣に座った。
「あっ、ゲンジン先生の?」
「うん」
 信慈は日焼けした顔をほころばす。
「僕もいっしょに読む」
「シャワーは浴びなくていいのかい?」
「いい。向こうで浴びてきた」
 そう言いながら原稿を覗き込む。
「読めるのかい?」
 信慈は答えずに笑った。
 私は読むスピードを落とし、ゆっくりページをめくるようにした。信慈の腕と私の腕が並ぶと、私の腕はずいぶんと白く見える。


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第9回 原人型世界認識(6)

「人間の言葉」 ~名詞としての言葉~

言葉」とは何でしょうか。僕たち人間の生に絶対に欠かすこと出来ない言葉とは――。言葉とは、人間だけが持つものなのでしょうか。人間だけが持ち、人間だけが話しているものなのでしょうか。
 僕は、生きものの発するすべての音声は言葉である、と考えています。カラスが「カァ」と鳴くのは言葉です。別のカラスがそれに「カァ」と応じるのは、もちろん言葉です。イヌが夜中に遠吠えするのも言葉です。スズメがチュンチュンと囀るのも、さらに言えば、夏の盛りのセミの鳴き声も言葉です。生きものの発する音声はすべて言葉――この文章において、まず僕はこう定義したいと思います。
 ある一羽のカラスが鳴き、ほかのカラスがそれに鳴いて応じるのは、「意思伝達としての言葉」です。何らかの意思伝達、コミュニケーションとしての言葉です。音声で意思伝達をするのは、何も人間に限ったことではありません。危険の示唆、異性へのアピールなどを、多くの生きものが音声を用いて意思伝達作業を行なっています。
 犬の遠吠えは、「こころの異和としての言葉」です。夜中に犬が切なそうに鳴くのは、何かしら異和を「こころ」に感じているからで、その止むに止まれぬ表現としての言葉である、と考えることが出来ます。熱いものに触って人間が思わず「熱い!」と叫ぶのも、「こころの異和としての言葉」です。これらはいわば反射的・突発的な「叫声」の部類に入る言葉です。
 スズメがチュンチュンと囀るのは、「生の充溢としての言葉」です。こちらも、半ば反射的ですが、これは僕たちの言うところの「歌」に限りなく近い言葉であるということも出来ます(言い方を変えれば、『歌としての言葉』ということも出来るでしょう)。朝焼けの中の小鳥の囀り。一週間という命を存分に鳴いて過ごす蝉の声。それらはみな、半ば反射的な「生の充溢としての言葉」である、と僕は考えます。基本的にこれら「生の充溢としての言葉」は、突発的な「叫声」とは違い、継続的・恒常的です。

 では「人間の言葉」とは何でしょうか。人間しか持たない、人間特有の言葉とは――。僕はそれは、「名詞としての言葉」である、と考えています。目の前のものそのものをはっきりと明示する、「名詞としての言葉」です。
 僕は先ほど、原人は「見ること」と同時に、そこに“”のようなものを感じていたのではないか、ということを書きました。その“声”を感受した結果、生まれたのがものそのものの「名詞」というものなのではないでしょうか。
 視覚に聴覚が働いた結果、単なる色彩とかたちでしかなかった樹の葉が、何か“声”のような「ひびき」を発しているように感じる。葉が葉そのものとして、形容しがたい存在感を持って浮かび上がってくるように感じる。そのとき、人間ははっきりと、目の前で揺れる葉が「葉」であると「自覚(意識)」する。そうして人間ははじめて、目の前に揺れる葉を、「葉」という「人間の言葉」で呼んだ――。

 ベルベットモンキーは、種類の違う捕食者(ヒョウ、ワシ、ヘビなど)に対して、音響的にはっきりと区別できる警戒音(アラームコール)を使い分けるそうです。ヒョウを見ると《大声で吠えながら木に登り、仲間にも同じようにして危険を避けるよううながす》。ワシを見ると、《短い二重音節の咳音を発する》。ヘビの場合は、《舌打ちのような音を出す》(『歌うネアンデルタール』スティーヴン・ミズン)。このベルベットモンキーの「言葉(警戒音)」は一見、「名詞としての言葉」に相当するように思われます。ヒョウにはヒョウに対応する言葉を、ワシにはワシに対応する言葉を。とすると、「名詞としての言葉」は人間特有のものである、という僕の説は正しくないことになります。
 カーディフ大学の言語学者アリソン・レイは、ベルベットモンキーの発声について次のように解釈をしたそうです。ベルベットモンキーの警戒音は、人間の「名詞」のような「指示的」なものではなく、相手の注意を喚起しようとする「操作的」なメッセージだ、と。つまり、《ヘビを見たときの舌打ちのような音は、『ヘビ』というベルベットモンキーの単語と考えるべきではなく、『ヘビに注意しろ』といったものとしてとらえるべき》。同様に、《ワシの場合の咳音は、ワシという単語ではなく、『ワシに注意しろ』というようなメッセージと解釈すべき》である、と(『歌うネアンデルタール』)。
 アリソン・レイの解釈が正しいとすれば、つまりこれはベルベットモンキーの言葉は「名詞としての言葉」ではなく、「意思伝達としての言葉」ということが出来ます。とすると、僕の説は(まだ今のところ)訂正する必要はないのかもしれません。
 ベルベットモンキーの「言葉(警戒音)」と、人間の「名詞としての言葉」には、明確な違いがあります。まず、前者は相手を操作することが第一義ですが、後者の「名詞としての言葉」は、自分自身に確認することが第一義であるという点。
 次に、前者の言葉は注意を促す対象の範囲が不明確ですが、後者の人間の「名詞としての言葉」は指示する対象の範囲(輪郭)が非常に明確であるという点。
 範囲(輪郭)が不明確という点に関しては、特に霊長類以外の「哺乳類」の世界認識において当てはまることです。彼ら哺乳類の世界認識は「嗅覚」が中心です。その研ぎ澄まされた嗅覚で匂いの「在りか」を認識する能力は卓越していますが、しかしその分、匂いの主の「姿かたち」を認識する能力には長けてはいません。哺乳類は匂いを敏感に感じ取りますが、しかしその匂いを発する主がどういう姿かたちをし、またどういう色彩を伴っているかということには、さほど敏感ではない(関心も無い)らしいのです。
 また、匂いというものは単一ではなく、基本的にさまざまな匂いと複雑に交じり合っています。彼らにとって見れば、世界というものは人間がするようにはっきり一つ一つ「名詞」で区分け出来るものではないのでしょう。ベルベットモンキーは「視覚的動物」である霊長類の一種ですが、しかしその世界認識には多分に「範囲が不明確な」嗅覚的な部分が残っており、だからこそ彼らの生はいまだ「動物的」である、と言うことも出来ます。

 もちろん、嗅覚的な世界認識と視覚的な世界認識と、そのどちらが長けている、と言うことは出来ません。僕たち人間の生活においても、嗅覚というものはかけがえのないものです。食事をするにも匂いがあるからおいしいのだし、またときに匂いは、他の感覚の何にも増して、過去の記憶を僕に強烈に想起させます。哺乳類に比べ鼻の中の嗅細胞の数がずいぶん減少したとはいえ、僕たち人間もまた私たちなりの嗅覚を生きています。僕たち「人間のこころ」の層の下には、まぎれもなく嗅覚的な「動物のこころ」が豊かに息づいています。(『人間のこころ』は、古層の『動物のこころ』に支えられている、と言うことも出来るでしょう。)
 ただ、嗅覚的・動物的な世界認識からは、ものの範囲を明確にする、(視覚的・人間的な)「名詞としての言葉」は生まれようがない、ということは言えるのではないでしょうか。また、その「名詞」の誕生には、先ほども述べたように、独自に発達した聴覚的な「側頭葉」上部の働きが重要である、と僕は考えています。


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第10回 原人型世界認識(7)

 ウェルニッケ野

 聴覚を司る「側頭葉」の上部――。
 しかし、以上のようなことを考えると、類人猿と原人を分かったものというのは、単なる聴覚ではない、ということになります。そもそも、外界の音を聴き取る意味での純粋な聴覚であれば、人間以外の哺乳類のほうが発達しているでしょう※。
※人間の可聴音は、低いほうで20ヘルツ、高いほうで2万ヘルツくらいまでと言われています。哺乳類には人間が聴きとれない音域を聴きとることができる種がたくさんいます。たとえば、イヌの可聴音域は15ヘルツから5万ヘルツです。イルカに至っては、最大15万ヘルツもの音域で、互いに会話をしているそうです。

 類人猿が「原人(ホモ・エルガステル)」に進化していくに当たって、単なる聴覚ではない、特殊に発達していった「側頭葉」上部があるようです。そしてその部位こそが、類人猿を“はじめの人間”――原人とならしめたものであった――。
 僕は先ほど、原人の時代になって、僕たち人間は、外界に“”のようなものを感じるようになったのではないか、ということを述べました。その“声”とは、哺乳類が通常外界から聴き取っている自然音とはまた別種のものです。では、この“声”とはいったい何か――。
 申し遅れましたが、この特殊に発達した「側頭葉」上部には名前がついています。非常に有名な名ですが……、そう!「ウェルニッケ野」です。

 ウェルニッケ野――「側頭葉」にあるこの部位は、「感覚性言語野」とも呼ばれ、一般に“言語の理解”に重要な働きをしているとされています。ただし、右脳・左脳両方の側頭葉にあるのではなく、片方の左脳だけにあります。この部位が損傷すると、言語によるコミュニケーション(他者の言葉の聴き取り・理解)が困難になると言われています。
 そして実は、僕はこのウェルニッケ野こそ、類人猿と原人とを別ったものである――と考えています。
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 ウェルニッケ野は、1874年にドイツの医師カール・ウェルニッケにとって見出されました。この部位が侵されると、喋ることは出来るけれど、その言葉は意味をなさず、また他人の喋っている言葉も理解出来ない、という現象が起こるようです。
 脳にはウェルニッケ野の他に、もうひとつ代表的な言語野があります。それは発見者のフランスの医師ポール・ブローカの名を取って、「ブローカ野」と呼ばれています。ブローカ野は「運動性言語野」とも呼ばれ、一般に“言語の発話”に重要な働きをしているとされています。位置としては、左脳の「前頭葉」の後方に当たります※。このブローカ野は、ウェルニッケ野に十数年ほどさきがける1861年に発見されました。
※人間は10人中9人は、言語野を「左側」の大脳半球に持つと考えられています。
 ブローカ野が侵されると、言葉を理解することは出来るけれど、うまく発話したり文字を書いたりすることが出来ない、という現象が起きるようです。カール・ウェルニッケは、この十数年前のブローカの発見を受けて、次のような仮説を立てました。
「ブローカが見出したのは、言語に関する“出力”領域に過ぎない。脳にはもう一つ、言語の“入力”領域というものがあるはずだ。脳の行なう最も大きな働きとは、その『入力―出力』という橋渡し作業をすることである※」。
※その橋渡し作業を、彼は《連合》と呼びました。

「脳」などの神経系を代表とする《動物性器官》は、大きく分ければ「感覚―運動」という働きになって現れるということは、先ほど【人間のこころ】の項で書きましたが、つまりブローカが発見したブローカ野は、この「感覚(入力)―運動(出力)」の、「運動(出力)」部を司る役割を果たしている、とウェルニッケは考えたのです。言語はもちろん、聴覚と密接な関係を持っています。人間の赤ん坊は、母親をはじめとする周囲の大人たちが喋っているのを聴いて、言語を習得してきます。だから、言語を入力(感覚)する部位は、聴覚の受容部位(『側頭葉』上部)に近いところにあるはずだ※、とウェルニッケは見当をつけました。脳の聴覚受容部位に、言語受容(入力)用に特殊に分化した領域があるはずだ、と。
 そして実際、言語以外の認知能力には問題はないけれど、言語の受容(聴き取り・理解)に困難のあるとされる患者さんの脳を死後解剖した結果、受容部位があると予想していたとおりの場所に、病変が見つかったそうです。すなわち、「側頭葉」上部に、異変部が見つかった。こうして、言語野には「入力―出力」のそれぞれの部位があるというウェルニッケの仮説はいったん証明されるかたちとなり、その“入力”部位は「ウェルニッケ野」と呼ばれるようになったのです(参考:『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005)
※当時(1874年)、側頭葉のあたりに「聴覚」に関係する部位があることは既に分かっていたそうです。

 さて、およそ百数十万年前に、類人猿と「原人(ホモ・エルガステル)」とを別ったその要因である、と僕が考えるウェルニッケ野――。
 起源で言うと、ブローカ野よりこのウェルニッケ野の方が古いようです。ブローカ野がいま現在の僕たちと同等なものとなって完成したのは、割と最近、古くても20万年ほど前のことではないか、という説もあります※。
※「原人(ホモ・エルガステル)」が活動していたのは、およそ百数十万年前から60万年前ごろであるとされています。つまり、彼らが生きて生活していたのは、完全な「ブローカ野」が出現するずっと以前の時代です。

 ではそもそも、どうやってこのウェルニッケ野は人間の「側頭葉」上部に生成されていったのでしょうか。先ほどチラリと述べました、「外界に“声”を感じる」とは、いったいどういうことなのでしょうか。また、ウェルニッケ野とつながるブローカ野とは本来、どのような部位なのでしょうか。その結果、人間に引き起こされる「運動」とはどういったものなのでしょうか。
……
 次から述べるのは、僕が組み立ててみた仮説です(いよいよ、問題の核心部です)。この仮説が、この『原人型世界認識』という文章の柱となり、また根拠となっていくものです。
 仮説は、7つの段階からなっています。段階が進んでいくほど、もしかしたらあなたに突飛な印象を与えるようになっていくかもしれません。しかしどうか、ご寛大な気持ちでゆっくりと読み進めてみてください。
ではではまずは、仮説の第1段階、ウェルニッケ野の起源から――。


「お父さん、読むの早すぎる」
 信慈(しんじ)が口をとがらせて言った。
「だいぶゆっくり読んでたぞ」
 私は残っているアイスコーヒーを飲み干した。
「で、何が書いてあったの?」
「読んでなかったのかい。あんな真剣な顔して」
「だって、難しいんだもの」
「まあ、確かにな。まだ信慈には難しいよ」
 ウェルニッケ野が人間の言語の発生と不可分である、というのは一般に言われることだが、しかしウェルニッケ野が「類人猿」と「原人」を別ける直接の要因となった、と言う説は聞いたことがないな。これも、彼の思いつきなのだろうか。
 それにしても、外界に“声”を感じるとは、一体どういうことなんだろう?この“声”の感受にウェルニッケ野が関わっている、と彼は書いているが……。
 窓から、夕日を浴びて立つポプラの樹が見える。
「人間の脳にはね、言葉の聴き取りに深い関わりを持っているウェルニッケ野という部位があるんだけどね」
「ウェルニッケ野?どんな字を書くの?」
「カタカナでウェルニッケと書いて、あとは漢字で、野原の野だよ」
 信慈はテーブルに置いてあるメモ用紙に、ゆっくりと「ウェルニッケ野」と記した。
「そう、それでね、原先生はこのウェルニッケ野に注目しているようでね、このウェルニッケ野の誕生が、サルとヒトを別けた要因だって先生は考えてるみたいなんだよ」
「そのウェルニッケ野は、えーと、言葉と関係があるんだったっけ?」
「そう、言葉を聴き取ることと」
「じゃあ、サルとヒトを別けたのは、言葉だってことになるね」
 信慈は鼻の頭に小さく汗をかいている。
「お前、なかなか鋭いな。うん、でもね、原先生の変わっている、いや、面白いところは、言葉はそもそも、人間だけではなくてサルも動物も持っている、と考えているところだよ」
「動物も言葉を持ってるの?」
「と、先生は考えてるみたいだね。イヌがワンと吠えたり、鳥がチュンチュンと鳴いたりするのも言葉であると……」
 私はハンカチで信慈の鼻の頭の汗を拭いた。
「でも、ヒトだけしか持っていない種類の言葉がある、と先生は考えていて……。それが名詞としての言葉だと先生は言ってるみたいだね」
「名詞?」
「そう。ものの名前だね。とか、コップとか、ノートとか、樹とか花とか」
「名詞を持っているのは、人間だけなの?」
「その点に関しては、お父さんも同じ考えだな。確かに、名詞に相当するものはサルも持っていない……と考えていいと思うよ」
 信慈は、目の前のコップを指さして、「コップ」と小さく呟いた。そうして、しばらくふたりで黙っていた。
 ふと思い立って、
「信慈、窓の外の……」
 私は外を指さした。
「何?」
「ほら、すぐそこのポプラ。見てみてどう思う?」
「……」
「お父さん、原先生の文章読んで、よく分からないところがあってね」
「うん」
 信慈は立ち上がって窓のすぐそばまで来た。そうして外のポプラの樹をじっと見つめた。
「原先生は、揺れる樹の葉っぱを見て、“声”を感じるって言うんだよ」
 明るい夕日を浴びて立つポプラの樹――。
「その、“声”を感じることが、人間だけが持つ名詞の誕生につながった、と先生は書いてるんだけどね」
「うん」
「お父さんは、よく分からないんだけど……。信慈は“声”みたいなもの、感じるかい?」
「うん」
「え?」
 私はびっくりして信慈の横顔を見つめた。
「信慈は“声”を感じるのかい?」
「うん!」
 信慈は窓ガラスから顔を離し、また私の隣に座った。
「どんなふうに?」
「うまく言えないけど……」
 信慈は目の前の空間を見つめながら言った。
「うまく言葉に出来ないけど、でも何か感じるよ!」
「ポプラの葉っぱに?」
「うん。葉っぱだけじゃないけど。空とか、雲とか……」
 私は少々狼狽しながら訊ねた
「それらは、何て言っているの?」
 信慈は私の顔を見て、
「うーん、よく分かんない。でも、いまも感じたよ」
「それは、前から?」
「うーんと……。あ!」
信慈の顔がパッと輝いた。と、玄関から物音がした。瑞恵(みずえ)が買い物から帰ってきたようだ。
「ただいま」
「おかえり。ジュース買ってきた?」
 すかさず信慈は後ろを振り返って訊ねる。買い物袋を提げた瑞恵は私と信慈を見て、
「ただいま。二人してお勉強?」
「うん。ゲンジン先生の本、読んでるの」
「あら。信慈も?」
「うん」
 買ってきた食材を冷蔵庫にしまいながら、
「いいわねえ」
「ジュース買ってきた?」
「買ってきたわよ。いま飲むの?」
「うん」
 ジュースをコップに注ぎながら、
「プールからはいつ帰ってきたの?」
「ちょっと前。30分くらい」
 瑞恵はテーブルまでやってきて、ジュースの入ったコップを信慈に渡した。
「ありがと」
「たくさん泳いだ?」
「うん。泳いだ。疲れたー」
 信慈はジュースをのどを鳴らして飲んだ。
「いまからお米を炊くから、夕食は7時過ぎになりそうだわ」
 瑞恵は私にそう言って、奥の洗面所に入っていった。
「信慈、さっきの話だけど……」
 信慈は素早くコップを置いて、
「うん!あ、でもほんとうに、樹が喋ったわけじゃないよ」
 信慈は真顔で、
「雲が、やあ、とか喋ったわけじゃないよ」
 私は笑って、
「そりゃ、そうだろう」
「ほんとに声がしてるわけじゃないんだけど。そう、それでね、この前」
 私はグラスの底に残った氷をひとつ、口に流し込んだ。
「この前、遠足に行ったときにね」
「モエレ沼公園にかい?」
 確か信慈たちは先月、遠足でモエレ沼公園に行ったはずだ。
「うん、そう。モエレ沼公園に行ったときね、山の上でね、お弁当食べてたとき……。道に、ずーっとポプラが並んでてね、僕それを見てたの」
「ほう」
「すごくいい天気でね、風がサーッと吹いてね、そしたら葉っぱがこう……」
 信慈は小さな両手を星のように振りながら、
「キラキラ光って、すごく綺麗だったの」
「うん」
「お弁当食べながら、それに気付いて……。僕、そのときはじめて気付いたの。あ、綺麗!……って。そのとき僕、はじめてポプラが綺麗だって気付いたの。それで、何か、ドキドキして、思わず隣の英くんと遼くんに伝えたの」
「仲良しの英くんと遼くん、だね」
「そしたら英くんも遼くんも、ほんとだ、綺麗って……。そしたら他のみんなも、そう言えば綺麗だねえ、って」
「信慈だけでなくて、クラスのみんなもそう言ったんだ」
「みんなかどうか分かんないけど。誰か後ろの女の子が、宝石みたい!って言ってた」
「ポプラの葉っぱがかい……?」
 私は子どもたちの感受性に、ちょっと圧倒された思いだった。40歳を過ぎた私は、ポプラを見ても何もこころが動くことなんてない。
「先生は、そのときなんて言ったんだい」
「いや、そのとき後ろの方にいたゲンジン先生は何も言わずに……でも、ニコニコしてたかなあ。帰り道にね、ゲンジン先生が、僕と英くんと遼くんにね、ポプラが綺麗だったんだね、って言ったの」
 私はまた氷を口に入れた。
「僕たち、とても綺麗だった、と言った。そしたらゲンジン先生がね、ポプラから何か“声”は感じなかった?って。」
 私は小さくなった氷をポリポリと噛んだ。
「“声”って何って聞いたら……ほんとに声がしてるわけじゃないけど、でも声みたいなものを感じなかったかな、って」
「難しいな、禅問答みたい。お父さん、そこがよく分からないんだよなあ」
 信慈は私の目を見つめながら、
「でも、僕も英くんも遼くんも、はい、って答えたの」
「本当に?嘘じゃなくて?」
「うん、ほんとに。そう言われれば、そうだなあ!って。ああ、キラキラが“声”だ、って……」
「ん、何だって?」
「キラキラが、“声”。キラキラが“声”なんだ、って分かったの」
 私は信慈の言っていることについていけなくなっていた。小学3年生の信慈の口から、こんな禅問答のような言葉が飛び出すとは思わなかった。原先生と子どもたちの間には、私たちには理解できないような、独自のコミュニケーションのルートが存在しているのだろうか。
「うーん、よく分からないけど。キラキラして見えるのが、“声”なのか……?うーん」
 私は原稿に目を遣った。
「とりあえず、いまから続きを読むから、信慈はまたお父さんの分からないところがあったら解説してくれよ」


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第11回 原人型世界認識(8)

 仮説①「ウェルニッケ野」の誕生 ~語りかける母の“声”~

「アフリカ大地溝帯」が形成された後、300万年間くらいは、東アフリカの類人猿は果実をとるために断続的に「二足歩行」をしていた、ということは既に書きました。その後、今から200万年前をやや過ぎた頃、東アフリカは大変な乾燥化に見舞われた。そうして、東アフリカに広大な「サバンナ」様の平原が出現した。東アフリカの類人猿は、サバンナという環境において耐熱ストレスを減らすため二足歩行を発達させていった。そうして、二足歩行が完成したのが、百数十万年前の「原人(ホモ・エルガステル)」の時代である、ということも既に書きました。
 二足歩行の完成――それが人間に、どういう影響を与えたのでしょうか。
 さまざまな、重大な影響があったでしょう。二足歩行により、遠出が出来るようになった。それは果実のみならず、動物の肉(死骸)を得ることにもつながった。そうして人間は動物も食料とするようになった。その豊かなたんぱく質・糖分等の栄養の摂取が、その後の大脳皮質のさらなる発達を促進していった、という可能性は大いにあり得ます。
 またもちろん、両手が完全に自由になった、ということも重要です。両手が自由になることにより、道具を作る技術が発達した。

 しかし、ここで僕が特に注目したいのは、二足歩行の母体の影響、および赤ん坊の発達への影響です。
 二足歩行が進化したことにより、骨盤が狭くなり、女性の産道は細くなりました。そのため、出産時の赤ん坊の大きさ、特に脳の大きさに制限が課せられるようになりました。この事態に対処するため、赤ん坊は実際よりも、未熟な状態で生まれ出てくるようになりました。そうして、生後1年は、母親のお腹の外で、胎児並みの急成長を続けるようになったのです。よって、「原人(ホモ・エルガステル)」以降、赤ん坊の世話はそれ以前の類人猿の時代に比べて手間ひまがかかるようになり、またその育児期間も長くなりました。
 哺乳類の赤ん坊は生まれ出てからすぐに立ち上がります。類人猿の赤ん坊は、哺乳類の赤ん坊に比べれば、生まれ出てくるときの状態は未熟でその世話も時間がかかります。しかし、この二足歩行をするホモ・エルガステルの時代になり、赤ん坊はさらに「無力な」状態で母体から生まれ出てくるようになりました。母親が赤ん坊の世話をする期間も、より長くなりました(参考:『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 2006)。
 これら、二足歩行の完成が母体と赤ん坊に与えた影響に、この度僕は注目してみたいと思います。

 類人猿の母親も人間の母親も、赤ん坊にすることは一緒です。いつでも赤ん坊を腕で抱き、そして必要あらば乳を与える。
 母親が赤ん坊をしっかりと抱きしめる……その母と子の“結びつき”は、サルも類人猿も人間も変わりがありません。赤ん坊は母親の腕の中で、安心して身を委ねています。母親の腕の中で安心して眠っている赤ん坊の表情、またその子をじっと見つめる母親の表情は、サルも類人猿も人間も共通しているものがあります。
 数ヶ月たつと、チンパンジーやボノボの赤ん坊は母親の背中によじのぼり、体毛につかまって自分の力で乗っていられるまでに成長します。よって、ちょっとした移動も、赤ん坊は母親の背中に乗って一緒にすることが出来、母親のほうも手間がはぶけて楽になります。一方、ホモ・エルガステルの赤ん坊は、生後1年たっても、そのようなことをすることは出来ません。直立した背中へよじ登るような握力もまだ無いし、また母親の背中にはもはや、つかむことの出来る体毛が無いからです。
 二足歩行の進化と、体毛の喪失は平行して進行していった可能性が高い、とスティーヴン・ミズンは言います(参考:『歌うネアンデルタール』)。おそらく、僕たちの祖先は160万年前までに、(いまの僕たちに近いほどまでに)その体毛を失っていたのではないか、と。
 赤ん坊を背負うための「衣服」(子守帯)が登場したのは、60万年前に登場する「ホモ・ハイデルベルゲンシス」の頃のことではないか、とミズンは予測しています。とすると、このホモ・エルガステルの時代は、「類人猿」のような長い体毛もなく、また子守帯もないということで、赤ん坊を世話する母親にとっては最も大変な時代であった、と言うことが出来ます。
 霊長類の赤ん坊は、常に母親との密なる接触を必要とします。ちょっとでも離れると、赤ん坊は泣き出します。チンパンジーの赤ん坊も、地面に降ろされると、母親との接触を求めて「フー」音を出す傾向があるそうです。声が繰り返されて、それが泣き声の一部になることもある。チンパンジーよりも無力なホモ・エルガステルの赤ん坊は、母親から離されると、接触を求めてさらに切実に泣き出したことでしょう。
 では、ホモ・エルガステルの母親は、未熟な赤ん坊の世話と、その他の作業(果実の採取、食料の調理、石器の製作など)をどう両立させていったのでしょうか……?
 ミズンはその解決策のひとつとして、母親の目と声が届く範囲で赤ん坊を短時間《地面に降ろす(putting down)》ということを挙げています。赤ん坊を地面に降ろせば、母親の両手は空き、調理などさまざまな作業をすることが出来ます。ただもちろん、それだけでは赤ん坊はすぐに泣き出してしまいます。
 この解決法でミズンが強調しているのは、母親はただ地面に赤ん坊を降ろすだけではなくて、常に赤ん坊に気を配り、安心させるために歌いかけ、語りかけていたのではないか――という点です。抱きしめる変わりに、母親は発声や身振りや表情を豊かに使って、地面に降ろした赤ん坊をあやしていた。(お母さんはここにいるよ。あなたを見ているよ。そばにいるよ。大丈夫よ……)
 母親の腕から離れた赤ん坊は、自分にやさしく語りかけてくる母親の“声”を聴き取ると、安心した。
 フロリダ州立大学人類学教授のディーン・フォークは、この《地面に降ろす(putting down)》方法が実際に当時用いられ、またそれは「前言語コミュニケーション」の発達に欠かせなかったのではないか、と考えているそうです。赤ん坊をあやす母親の表情や“声”は、《体から分離した母親のあたたかい腕》である、とフォークは言います。

 さて、僕の仮説ですが――。
 それは、こうした母と子のコミュニケーションを通して独自に形成されていったものこそが、ウェルニッケ野なのではないか、という説です。
 未熟な原人の赤ん坊が、自分に語りかける母親の“声”を聴き取り、その意図・想いを理解すると言う作業を通して、左脳の「側頭葉」上部に徐々に形成されていったものこそが、ウェルニッケ野である――と。
 未熟な原人の子が、母親の“声”を懸命に「聴き取り」、「理解」しようとする作業を通して、聴覚部位(『側頭葉』上部)に特殊に発達していった部位がウェルニッケ野であった、と僕は考えます。類人猿の時代に比べてずっと「未熟な」ホモ・エルガステルの赤ん坊とその母親との、切なるコミュニケーションを通して、ウェルニッケ野は生成されていった――。
 赤ん坊は自分に語りかける母親の“声”を懸命に「聴き取り」、そしてその意図・想いを「理解」した。
(お母さんはここにいるよ
 あなたを見ているよ。
 そばにいるよ。大丈夫よ……)
 そうすると、たとえ母親の腕から地面に降ろされていても、
(お母さんはここにいる!)
 と赤ん坊は安心し、泣き出さずにいることが出来た。

 赤ん坊も必死ですが――決して楽ではない、むしろ苛酷な環境の中、手間のかかる育児と生きるための雑務を両立しなければならないホモ・エルガステルの母親もまた、懸命であったのではないでしょうか。育児に伴うこのような困難は、それ以前の類人猿の時代にはなかった。類人猿の時代はまだ森林も多く、環境が穏和だった。また、子どもも早熟で、数ヶ月すると勝手に母親の背中に自力でひっついていてくれた。また、それ以後のホモ・ハイデルベルゲンシスの時代にも、これほどの育児に関する困難はなかった。ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代には「衣服」も製作され、母親は赤ん坊を子守帯で自分に結び付けておくことが出来た。このホモ・エルガステルの時代こそが、赤ん坊を育てる母親にとっては一番忍耐を要する、大変な時期だったようです。
 僕は、ウェルニッケ野の形成の背後には、そのような母と子の、互いに懸命な、そして硬い“結びつき”があったのだ、と考えています。母親の赤ん坊へのと、赤ん坊の母親への信頼がないと、このウェルニッケ野はそもそも存在し得なかった……。
 そうして、母親の“声”を「聴き取り」、そしてなおかつその意図・想いを「理解する」能力を専門とするウェルニッケ野という言語野が、ホモ・エルガステルの脳に形成されていったのではないでしょうか。左脳「側頭葉」上部が単なる聴覚ではなく、人間の言語の「聴き取り・理解」という能力を司っているのは、遡れば以上のような由来があったからである、と僕は考えています。
 ここまでが僕の仮説の第一段階です。


 ウェルニッケ野の生成か……。私は原稿を見るともなしに眺める。
 納得出来るような納得出来ないような……微妙な感じである。もちろん、どんな仮説を立てようがそれは個人の自由だが、このままではそれを立証出来る客観的なデータがあまりにも少ない。というより現時点において、彼のこの仮説を裏付けられるようなデータは、脳科学の世界には皆無なのではないか。それとも私が不勉強なだけで、探せば見つかるのかもしれないが……。まあ、小学校の一教師である彼に、我々を納得させることができるようなデータを用意しろ、と言うのも無理な話ではある。
 ウェルニッケ野についての本格的な考察は、まだまだこれからはじまっていくという段階である。この第一の仮説について、私は現時点において何とも言えない。古人類学の専門家として、まことに不甲斐ない話であるが……。
 ただ、着眼点は面白い。発想することにおいて、プロも素人も区別はない。余分な知識に邪魔されない分、むしろ素人のほうがときに本質を突いた発想をすることがある。
 などと考えながら、私は信慈の赤ん坊の頃のことを思い出していた。あの頃は、信慈は本当に小さかった。私は日焼けした信慈の顔をそっと盗み見る。
 まだまだ子どもとはいえ、しかしそれでもずいぶん大きくなったことだ。