第1回 7月の或る朝

 窓の外をぼんやり眺めていると、後ろで「お父さん」と呼ぶ声がした。振り返ると、パジャマ姿の息子が立っていた。
 息子は微笑みながら、上目遣いで私を見上げる。なぜだか、とても嬉しそうに。そしてまた「お父さん」と呼んだ。
「なんだい」
 そう言いながら、私は少々不思議な気持だった。ニコニコと微笑む息子の顔は、もちろんいつもと変わらない。でもなぜだかいつもとどこか印象が違った。
 よく晴れた、日曜日の朝。窓から吹いてくる風が、息子の髪をかすかに揺らしている。
「お父さん。どうしたの」
 嬉しそうに、息子は言った。
「お前……」
 と言いかけて、私は口をつぐんだが、やはりどこかしら変だ。息子と私を取り囲む周りの空気がいつもと違ったように感じる。
「どうしたの?お父さん」
 さも可笑してたまらない、という風な表情で息子は言う。と、私は息子の声がいつもと違っていることに気付いた。息子はまだ小学3年生だから声も幼いのだが、今日は特に幼い印象を受ける。いつもより声が高く、またか細いようにも感じる。
「なんかお前、今日声が変じゃないか?」
 風邪でもひいたのだろうかと思いながら息子の顔を見るが、特に体調が悪いようには見えない。
 すると、息子は急にたまりかねたように笑い出した。そうして笑いながら、
「気付いた、お父さん!」
 今度は、いつもの声だった。
「どうしたんだ、今朝はなんか変だぞ」
「吸い込んで呼んでみたの」
「吸い込んで?どういうことだい」
 私はよく理解できないまま、息子の顔を見る。息子は目をキラキラと輝かせて、
「もう一度やってみるから、聴いてて」
 息子は一瞬目を閉じて、姿勢を正すようにした。そして
「お父さん」
 私を呼んだ。瞬間、やっと私は理解した。
「ああ! つまり吸い込んで言ってるのかい」
「そうだよ!」
 と息子は小さな体を踊らすようにして言った。
「面白いことをするね」
 言葉を吸い込んで発音するとは――私は面食らった気持で、テーブルの席についた。
「いま、クラスではやってるんだ」
「そうやって吸い込むことがかい?」
「最近、この子こればっかりよ」
 台所から、妻が顔を出した。
「この言い方がよっぽど気に入っているのね。コーヒー飲む?」
「うん」
「でも言いにくいだろ、そうすると」
 息子の顔を見つめながら言う。
「言葉は、言いにくいくらいのほうがいいんだって」
「言いにくいくらいのほうが……?」
「って、ゲンジン先生が言ってた」
 息子はそう言って、向こうのソファーに勢いよく座った。台所からコーヒーの香りが漂ってくる。
妻が両手にコーヒーを持ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「国語の授業で、原先生がそういう風な授業をしたんだって」
 妻が言った。私は、コーヒーをひと口飲んで、
「子どもたちに言葉を吸い込んで発音させる授業を?」
「そう」
「言葉は、言いにくいくらいのほうがいいんだよ!」
 ソファーから、息子が大きな声で言った。
「って、原先生が言ってたんだね。でもヒトのからだは、言葉を自由に吐き出せるようにできているんだよ」
 息子はちょっと考えるようにしてから、言った。
「でも、簡単に言えちゃうから、良くないこともある」
「うん……?」
「ゲンジン先生言ってたの。悪口は、吐き出して言う。悪口はヒトの中から出て来る」
「確かにそうだけど……」
「でも吸い込んで言ったら、人に悪口は言えなくなるんじゃないか、って」
「確かに、吸い込んじゃったら、悪口はみな自分に返ってくるね」
(変わった先生だな)
 熱心に話す息子を見ながら、思った。

                                                                                       

                                                                                                                                                                           

| コメント (6) | トラックバック (0)

第2回 ゲンジン先生

 担任の原先生は、子どもたちから「ゲンジン先生」と呼ばれている。まだ年も24歳と若く、子どもたちに人気がある。よく夕食時などに、息子は原先生の話を私と妻にしてくれる。ゲンジン先生が授業でこんなことを言った、休み時間にゲンジン先生とこんなことを話した……など。
 なぜゲンジン先生と呼ばれているかと言えば、学期はじめの或るとき、原先生が「原人」についての話を子どもたちにしたからのようだった。話の内容は難しくて分かりにくかったらしいが、それを話す原先生の独特の熱気に子どもたちは大いに刺激を受けたようで、以来子どもたちは親しみを込めて、原先生を「ゲンジン先生」というニックネームで呼んでいる。
 その日、夕食時にさっそく息子は私に聞いてきた。
「お父さん、ゲンジンについて教えてよ」
「ゲンジンって、あの原人のことかい?」
「ずっとずっと大昔に地球に住んでた、ゲンジン。お父さん詳しいんでしょ。ゲンジンについて」
「お父さんはそういう分野の専門家だから」
と妻が言った。
「いいけど……。でもどうして?」
「今日、先生が話をしてくれたの」
「原人についてかい……?」
 私は大学で古人類学の研究をしているので、人間の進化に関しては一応、専門家である。簡単にかいつまんで、原人や人間の進化について、息子に説明をした。
 説明をし終えると、息子は何故だか腑に落ちないような顔をしていた。
「説明が難しかったかい?」
「ううん、そうじゃないけど……。ゲンジンって、じゃあ今の僕たちとは関係ないの?」
「関係ないことはないよ。だって、大昔に彼らが進化して、いまの僕たちになったんだから」
「じゃあ、僕たちはいまもゲンジンと変わらない?」
「変わらないことはないよ。全然違うよ」
私は笑った。
「原人と僕たちでは脳の構造自体、違うんだから」
 息子はパクッとコロッケを食べたあと、しばらく考えるような顔をしてから、
「僕たちの中には、いまもゲンジンが生きてるかもしれない、って先生言ってたよ」
「どういうことだい?」
 息子はいつになく真剣な顔をしている。
「詳しいことはよく分からなかったけど、でも先生がそう言ってたの。ゲンジンはいまも僕たちのこころの中に生きてるって」
 私はよく分からないまま、ソースを口の端につけた息子の顔を見つめていた。


| コメント (0) | トラックバック (0)

第3回 ゲンジン先生からの手紙

 明日から小学校は夏休みである。息子が通信簿と夏休みの宿題と一緒に、私宛の封筒を持って帰ってきた。驚いたことに、原先生からであった。
「いったい、何だろうね」
 私はビールグラスを置いて、原先生からの封筒を手に取った。持った感じでは、冊子か何かが入っているようだった。息子は私の肩に乗りかかって、後ろから封筒を覗き込む。
「分かんない。お父さんに渡してくださいって。中にお手紙も入ってます、って言ってたよ」
 封を開けると、原稿と手紙が入っているのが見えた。
「何?」
 息子は目を輝かせて封筒の中を覗き込む。私は手紙を取り出した。
「読んでいい?」
「まあ、待ちなさい。まずお父さんが読むから」
二つ折りにされた便箋を開くと、習字の見本のような、整った字が並んでいた。

 拝啓

 突然のお手紙、失礼致します。信慈君の担任の原志郎というものです。この度は、鈴木先生にぜひ読んでいただきたい文章があり、お手紙をお送りしました。

 それは、同封致しました原稿なのですが……ヒトの「こころ」や「言葉」の起源について私なりに考え、書いてみたものです。文章の題名は『原人型世界認識』と言います。

 私は古人類学や脳科学にはまったくの無知なのですが、日頃からヒトの「こころ」や「言葉」という問題には関心がありまして、或る日、ふと閃くものがありまして、その直感に基づいて書いてみたのが今回の文章です。

 ヒトの「こころ」の問題を考えるにあたって、「原人」の時代が非常に重要な意味を持っているのではないか、と私は考えておりまして、さらに言えば、原人の時代こそ、私たち人間の「こころ」の原点なのではないか……と私は考えております。原人にとって当時、世界はどう認識されていたのだろうか、ということを、今回の文章において、私なりに推測して書いてみました。

 無知ゆえに、かなり突拍子のない発想をしているかと思うのですが、それをぜひ古人類学の専門家である先生に読んで判断していただきたいと思い、この度は信慈君に文章をお渡ししてもらうことをお願いした次第です。お忙しいところ誠に恐縮ですが、またお時間のあるときに目を通していただければ幸いです。

 突然のお手紙、失礼致しました。暑い日が続きますが、どうぞお体には気をつけてくださいませ。
 敬具 平成20年7月20日 原志郎

  鈴木二郎様


 原人型世界認識……?
 一体、どういうことだろう。私は便箋から目を離した。原人型世界認識とは、まったく聞いたことのない言葉だ。
「何て書いてあったの?」
 信慈(しんじ)が便箋を覗きこむ。
「うーん。どうやら、お父さんに読んでもらいたい文章があるそうだよ」
 手紙の内容に戸惑いながら、封筒から原稿を取り出した。A4サイズの用紙が数十枚分。右端が二点、紐で綴じられている。表紙には確かに、『原人型世界認識』と印刷されている。副題もついていた。原人型世界認識、「いま・ここ」に在る喜び……。
「あっ、ゲンジンだ!」
 信慈が歓声を上げた。
「ほら、ここ。お父さん。ゲンジンって書いてあるよ!」
 題名を指さして、信慈は興奮した面持ちで言った。
「うん。題名、全部読めるかい?」
「えーと、ゲンジンガタ、セカイ……うーん」
「ニンシキ」
「ニンシキって読むの?まだ習ってないよ。えーと、ゲンジンガタセカイニンシキ。えーと、イマ、ココニアル、ヨロコビ」
「うん。そうだね」
 私は原稿をパラパラとめくった。どうやらパッと見た感じ、文章は論文形式のようである。
「見せて、見せて」
 原稿を受取って、信慈は真剣な表情でページをめくりはじめた。後ろの窓から夜の風が吹いてきて、カーテンを揺らした。
「これ、ゲンジン先生が書いたの?」
 顔を上げて、信慈は聞く。
「そうみたいだよ」
 私はもう一度、ゆっくりと手紙を読み返してみた。原人の時代が人間のこころの原点……?そんな説は今までどの論文でも読んだことはないが――。
「これ、お父さんの分だけしかないの?僕も読みたい」
 原稿を大事そうに胸で支えながら、信慈は言った。
「もちろん読んでいいよ。でも、信慈には難しそうだな」
「でも、読みたい」
 私はビールをひと口飲んだ。
「ゲンジンのことが書いてあるんでしょ」
「ゲンジン先生が原人のことを書いてるんだから、確かに読みたいよな。もちろん、読んでもいいよ」
「お父さん、いまから読む?」
「いまから……」
 今日は一日蒸し暑かった。私は今日は、夕方からビールを飲んでいた。夕食も終えたいま、私は少々酔っ払っていた。
「いまからは、ちょっと……な。また今度、読むよ」
「明日読む?」
「明日……か、どうかは分からないけど、近いうち読むよ」
 信慈は原稿を私に返して、
「お父さんが読んだら、次は僕が読むからね」
 手紙と原稿を封筒に戻しながら、
「分かった分かった。近いうち、必ず読むよ」
 と私は答えた。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第4回 原人型世界認識(1)

 8月になった。連日、快晴の日が続いていた。大学のほうはもう授業はないけれど、学生のレポートを読んだりテストの採点をしなくてはならないので、私はほぼ毎日大学に出勤はしていた。
 原先生の原稿を預かってから10日ほどが過ぎていた。信慈からは毎日、お父さんもう読んだかと聞かれる。預かった原稿の存在は気にはしながらも、学生のレポートを読むだけで私は手一杯な気持だったし、また正直、読むのが幾分面倒な気持もあった。連日の暑さに、からだが少々バテ気味であったのかもしれない。
 が、信慈の催促がうるさいので、大学から帰宅した本日、観念して読みはじめることにした。今日も昼間は蒸し暑かった。日が傾き始めたいま、窓からはやっと涼しい風が入り込んできている。
 冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出した。グラスに氷を入れ、コーヒーを注ぐ。まず1杯飲み干してから、また2杯目を注いだ。
 グラスを片手に、リビングのテーブルに座る。ここが一番風通しがよく、落ち着く気がする。封筒から原稿を取り出す。私はコーヒーをひと口飲んで、原先生の原稿を読み始めた。

 ――


原人型世界認識 ~「いま・ここ」に在る喜び~

                        原志郎

 はじめに

 朝の光――
 窓からそっと、吹いてくる風。
 小鳥の鳴き声。
 コーヒーの香り。
 サワサワと揺れるポプラの葉。
 子どもたちの笑顔。
 一つ一つの輪郭が、みずみずしく光り輝いている、
 いま、この瞬間――。

 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
 
 この当たり前の感覚――。
 この当たり前でみずみずしい感覚は、日々の生活の中のふとした瞬間に、僕たちのこころに湧き上がってくるものです。僕たちは日々、自分の用事をこなすことで忙しい。しかしときに、足を止め、立ち止まってみる瞬間があります。歩き続けていた足をふと、止めてみる。そうして目の前の景色を、ぼんやりと眺めてみる。そんなとき、目の前の一つ一つが、キラキラと輝いて見えることがあります。空に浮かぶ雲。頬をなでる風。ビルの窓に反射する太陽の光。そして、子どもたちの笑顔、歓声――。
 そんなとき、忙しかった自分のこころが、ホッとしたような、何とも言えない安心感に包まれることがあります。いま、自分が自分そのものとして、確かにここにある、というような喜びに包まれることがあります。
 この「いま・ここ」のそのものという感覚を、僕は「人間のこころ」の、その最も根源的なものとして考えています。今回の文章において、僕はこの当たり前の感覚を、「人間のこころ」を形成する、その最も本質的な部分として位置づけてみたいと考えています。これが、今回の文章の趣旨です。
 そのためには、しなければならない作業があります。この当たり前の感覚を「人間のこころ」の本質と位置づけるには、どうして必要な作業があるのです。それは、「人間のこころ」の歴史の拡張――という作業です。
 いま、僕は「人間のこころ」と書きました。その「人間」とは、いったい誰のことでしょうか。それはもちろん、僕たち「ホモ・サピエンス」のことであります。しかし、それのみではない。21世紀になったいま、「人間のこころ」について考えるとき、僕はホモ・サピエンスのみをその対象にするだけではもはや足りない、と考えています。
「人間のこころ」について真に考察しようとするならば、その範囲を広げて“はじめの人間”――「原人」にまでさかのぼって、考えてみなければならない。その「原人」から、「人間のこころ」というものがどう形づくられていったのか、ということを考えていかないと、僕たちの「こころ」についての真の考察へは至れないのではないか、と考えているのです。
 ですから、これから“はじめの人間”――「原人」にまで視点をさかのぼらせ、そこから順に「人間のこころ」というものについて考えていく、という作業をしていこうと思います。まだまだ考察の途上ゆえ、矛盾した点や論理が飛躍する点、また私が思い違いをしている点も多々見られるかと思いますが、どうぞ寛大なお気持ちで、最後までお付き合いください。


| コメント (0) | トラックバック (0)

第5回 原人型世界認識(2)

 「いま・ここ」の感覚は、原人の時代にはじまった……?

“はじめの人間”――原人は、およそ百数十万年前に、東アフリカの地で誕生しました。
 原人とは一般に、「ホモ・エレクトス」という名称で呼ばれます。それ以前に地球上に生息していたのは「類人猿」でした。東アフリカの地において、その類人猿は進化を果たし、ついに“はじめの人間”――原人が誕生したのです。
 原人の前段階の類人猿の特徴には、樹上で枝からぶらさがるのに適した長くてよく動く腕、幅広い肩、大きめの脳、しっぽがない、などがあります。今地球上に生存する類人猿は、アフリカにゴリラ、チンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー)の3種、東南アジアにオランウータンとテナガザル約10種がいます。類人猿はおよそ2500万年前ごろに誕生し、いま現存するよりももっと多くの種が、かつてはアジア・アフリカなど広い地域に生息していました。
 ただ、大昔に生息していたそれら多様な類人猿のうち、原人に進化し得たのは、東アフリカに住んでいた類人猿だけでした。東アフリカ以外の地域に住む類人猿は、のちにゴリラやオランウータンなどに分かれていくことになります。
 東アフリカのみで起こった、類人猿から原人への進化――。専門家たちはその要因として、アフリカだけが持つ特有の地形、「アフリカ大地溝帯」(グレート・リフト・バレー)を挙げています。
 アフリカ大地溝帯とは、東アフリカを南北に貫く幅数十キロの深い谷です。その谷は山脈と山脈に挟まれています。中東からエチオピア、ケニア、タンザニアへと続く東部地溝帯と、ウガンダから南下する西部地溝帯からなり、合わせれば延長約6000キロにもなります。高山や大きな湖もこの周辺には多いようです。
Photo_3

 地溝帯の北部には、大陸をかたちづくる岩盤であるプレート同士が出会う場所があります。ナイル川が走るヌビアプレート、アラビア半島が載るアラビアプレート、ソマリア半島が載るソマリアプレートの3つです。3つのプレートは、それぞれ独自の動きをしています。これらプレート同士の力のせめぎあいによって、周辺の大陸は陥没、また隆起し、そうしてアフリカ大地溝帯は形成されてきました。その形成はおよそ4500万年前の始新世後期に始まり、およそ700万年前頃に、いま現在の東アフリカの地形と同様のかたちとなりました。
 地溝帯の形成は、アフリカの東西の環境に大きな違いをもたらしました。西側は以前と同様の、多雨湿潤気候。一方、東側は以前よりずっと雨が少ない気候となりました。それが、700~800万年前のことです。
「森林のサルがサバンナに出て直立してヒトになった」というサバンナ説。この仮説を、これら環境の変化と関連させ、フランスの人類学者イヴ・コッパンは次のようなシナリオを提出しました。
「アフリカ大地溝帯によってすみかを分断された類人猿は、東西それぞれ独自の進化をすすめるようになった。西では豊かな森で暮らすチンパンジー、ゴリラに。東では新しい、乾燥した気候(サバンナ気候)に適応するよう進化した新しい種――つまり二足歩行する人間に」。
 コッパンはこの人類進化説を、ミュージカル映画『ウェストサイドストーリー』を文字って、《イーストサイドストーリー》と名付けました(参考:『われら以外の人類~猿人からネアンデルタール人まで~』内村直之=著 朝日新聞社 2005)。
 東アフリカで誕生し、その後もそこにとどまりつづけた原人は、後に「ネアンデルタール人」や私たち「ホモ・サピエンス」に進化することになります。一方、東アフリカにとどまらず、その後アジアなどに渡った原人もいました。中国で発見された「北京原人」がその代表例です。
 ただ、現在地球上に住む僕たちホモ・サピエンスの直接の先祖になったのは、東アフリカにとどまり続けた原人グループのみです。その原人は他の「ホモ・エレクトス」と区別され、「ホモ・エルガステル」※という名で呼ばれています。
 言い方を変えると、このホモ・エルガステルは、後にアジアにわたった北京原人などの「ホモ・エレクトス」の初期段階である、ということが出来ます。(『5万年前に人類に何が起きたか?~意識のビッグバン』リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー=著 鈴木淑美=訳 新書館 2004)つまり、このホモ・エルガステルこそが、真の「原人」――“はじめの人間”なのです。
※「ホモ・エルガステル」とは『働くヒト』という意味です。
Photo_4

 もちろん、実際の進化は、この《イーストサイドストーリー》のように単純に語れるものではないようです。東アフリカの環境は、大地溝帯の出現によっていきなりサバンナになったわけではない。類人猿も、環境の変化によっていきなりホモ・エルガステルになったわけではない。そこにはもちろん段階的な変化があります。
 人間の進化というものに決定的な影響を持つ「二足歩行」の成立――。ここにも、大きく2つの段階があったのではないか、と考えられています(以後参考:『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 熊谷淳子=訳 早川書房 2006)。
 大地溝帯が起こった後も、300万年間くらいは東アフリカの類人猿の樹上の生活は続いたようです。といっても、以前のように、完全に樹上の生活だったわけではない。インディアナ大学のケヴィン・ハントは、当時(たとえば350万~300万年前に生きた類人猿の一種、アウストラロピテクス・アファレンシスは)、果実をとる際に、両足を安定した地面に付けて、片手で枝を、片手で木の実を食べるようにしていたのではないか、と述べています。果実をとるために断続的に二足歩行をしていたのではないか、と。ただ、その頃の二足歩行はまだぎこちなかった。これが、第一段階です。
 第二段階は、200万年前をやや過ぎた頃にはじまります。この頃、東アフリカは大変な乾燥化に見舞われたそうです。そうして、ようやく東アフリカに広大な「サバンナ」様の平原が出現した。それ以前も乾燥した平原はありましたが、このときそれが極端化し、森林も減少した。もはや、類人猿は森林のみに頼る生活は出来なくなった。そうして、完全に現代的な二足歩行をするホモ・エルガステルが出現した。樹から降り、食料を得るために、遠出をしなくてはならなくなった※。
※「二足歩行」によって遠出が可能となり、木の実だけではなく動物の死骸も食料として探索できるようになりました。新しい、肉という栄養豊富な食料が、その後の人間の「大脳皮質」の発達を促進した、という可能性があります。
 リバプール・ジョン・ムアーズ大学のピーター・ホイーラーは、この完全な二足歩行に関して、《立てば爽快(stand tall and stay cool)》という仮説を提唱しているようです。
「樹が少なくなったサバンナという環境では、太陽にさらされる時間も増え、温熱ストレスを減らす必要があった。直立していれば、太陽光線を浴びる面積が少なくてすむし(四足で歩行すると、背中全体が日にさらされる)、地面から離れるほど大気は涼しく、風速も早く、体表からの蒸発による冷却作用を高められる。」
ホイーラーの説が正しいとすると、つまり完全な二足歩行は、サバンナという温熱ストレスの高い、新たな環境に適応していくために発達した、ということになります。
 こうして、完全な二足歩行の出現によって、遂に「サル」は「ヒト」となった――。
 しかし、これはあくまで外面的、身体的変化です。この説明だけでは私にとって、人間の進化についての何の解答にもなっていません。僕が本当に考えてみたいのは、もう一方の、内面的な変化という現象なのです。類人猿から原人になるに当たって、確かに身体的には完全な二足歩行というものになった。では一方で、「こころ」というものはどう変化したのか?これこそ、僕が問うてみたい問題なのです。類人猿から原人になるにあたって、その世界認識はどう変化したのか……?
 もちろん、内面の変化には身体的な変化の影響が欠かせませんし、その身体的な変化への考察は必須でしょう。しかし、この文章で本当に考えてみたいのは、あくまで「人間のこころ」の問題である、ということはここで明記しておきたいと思います。

 朝の光――
 窓からそっと、吹いてくる風。
 小鳥の鳴き声。
 コーヒーの香り。
 サワサワと揺れるポプラの葉。
 子どもたちの笑顔。
 一つ一つの輪郭が、みずみずしく光り輝いている、
 いま、この瞬間――。

 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 突然ですが、この「いま・ここ」の私そのものという感覚が、「原人(ホモ・エルガステル)」の時代にはじまった、としたらどうでしょう。もちろん原人はコーヒーは飲みませんが、しかしこの感受性自体は、遥か原人の時代にはじまったとしたら、どうでしょう。いきなり最も重要な命題が出てきてしまって恐縮ですが、この世界認識が原人の時代に端を発したのだとしたら……?
 この大切な「いま・ここ」の感覚は、私たち「ホモ・サピエンス」特有のものではない、と僕は考えています。はじめて人が人となったホモ・エルガステルの時代から、百数十万年間に渡って変わらずずっと、「人間のこころ」の本質を形づくってきたものである。そしてこの世界認識こそが、類人猿と原人の「こころ」を別った秘密なのだ、と。
 なんだか突拍子もない説に聞こえるかもしれません。しかし、僕はこの考えに対して、自分なりに確信を持っています。ただこれだけではあまりに抽象的な物言いなので、この「いま・ここ」の感覚とは、具体的にどういうものなのか、僕たちの「こころ」にとってそれはどういった存在なのか、この感覚が原人に由来するという根拠は何なのか――という事を、脳科学からの見地も交えながら、これから具体的に述べていこうと思います。


 ここまで読んで、私は窓の外を見た。
「いま・ここ」の感覚が、原人の時代に始まった……?この青年はどうしてそんなことが言えるんだろう?こんな説は聞いたことがないが。やはり、彼が勝手に考え付いたものなのだろうが、それにしても何故?また、何を根拠に……?
 窓の外では、ポプラの葉が風に揺れている。
Popura_5
 まあ、詳しいことはこれから述べていくのだろうけれど、果たしてそれを裏付ける根拠など、存在するのだろうか。
 私はアイスコーヒーをひと口飲んだ。
(やっぱり変わった先生だな)

| コメント (0) | トラックバック (0)

第6回 原人型世界認識(3)

サルとヒトを別ったもの ~意識出来る能力~

 サル(新・旧世界ザル)・チンパンジー(類人猿)・ヒト(原人~ホモ・サピエンス)などの「霊長類」の脳は、大きく別けて3つの器官に分かれます。表面から下にいくほど、その器官の起源は古くなります。
 容積の大部分を占めるのは「大脳」。その下にちょこんとぶらさがっているのが「小脳」。それら「大脳」「小脳」を下から支えるのが「脳幹」。
Photo_2
 最も古い「脳幹」は、動物の生命維持にとって欠かせない根本的な働きを受け持っています。視床、視床下部、脳下垂体、中脳、延髄などから構成され、呼吸や体温の調節など、生命活活動の中枢を受け持っています。
「小脳」は動作の記憶や平衡感覚など、身体感覚をコントロールする役割を受け持っています。動物では、特に鳥類において「小脳」は発達しています。
「大脳」は大きく別けて3つの層に分けられます。
 一番古層にあるのは「大脳基底核」で、身体がスムーズに動くように調節する役割を担っています。たとえば、身体が徐々に動かなくなるパーキンソン病は、この大脳基底核の障害によります。
 中間に位置するのは「大脳辺縁系」。扁桃体、海馬などからなり、本能や情動などに関する働きを受け持っています。哺乳類の多くはこの大脳辺縁系に即して生活しており、この部位は「動物の脳」といわれることがあります。
 そしてそれらを包み込むのがご存知、「大脳皮質」で、視覚・聴覚などの五感認識や思考を司る働きを受け持っています。大脳皮質は、特に霊長類において発達しています。大脳皮質は中心で左右に割れており、それがいわゆる右脳・左脳に当たります。分離した右脳と左脳は、割れ目の底の「脳梁」と呼ばれる交通繊維でつながっています。この脳梁が、右脳の働きと左脳の働きを結びつけています。
 脳の各部位が感覚したものを、大脳皮質がいかに統合し、処理するか――。この働きの差に、サルとヒトを別ったものがあります。人間をはじめて人間とならしめたのは大脳皮質の独自の発達である、ということはどなたも異論のないことでありましょう。では、その具体的な働きとはなにか。遥か数百万年前に、類人猿と人間を別けた大脳皮質の具体的働きとは何か――。
 それは「意識出来る能力」である、と僕は考えます。「感受する外界を、はっきりと意識出来る能力」です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第7回 原人型世界認識(4)

「人間のこころ」

「こころ」とは何でしょうか。僕たちが日常でよく使う「こころ」という言葉とは――。分かっているようで、よく分からない。いったん深く考え出すと、この「こころ」という言葉ほど、分かりにくく、不可思議なものはありません。
 僕は、すべての生きものは「こころ」を持っていると考えています。ただ、その「こころ」には幾つかの層がある、とも考えています。僕たち人間で言えば、一番表層にあるのはもちろん「人間のこころ」です。その下の層には、「動物のこころ」があります。
 では一番下の層にあるのは何かというと、それは昼夜のリズム、四季のリズム、潮汐リズム――など、天体のリズムに支配されている、いわば宇宙的な“生命のリズム”です。
 この“生命のリズム”を、僕は生命の持つ最も根源的な「こころ」の層として、この文章において定義したいと思います。それは一般に私たちが普段使う「感情」とか「気持」とかいうものとはまた全く違う意味での「こころ」です。
 植物が持っているものこそ、この“生命のリズム”としての「こころ」です。“生命のリズム”そのものを体現して生きる植物――。彼らは、誰に教えられることもなく、春になると芽を出し、花を咲かせ、秋になると種を実らせます。つまり彼らは、“生命のリズム”としての「こころ」そのものを生きています。そういう意味で、最も根源的なこの「こころ」とは、「植物的なこころ」と言うことが出来ます。
〝生命のリズム〟は植物において、「栄養―生殖」という働きになってあらわれます。植物は根から水や栄養分を吸い上げ、葉にて光合成をし(栄養)、そして花を咲かせ実を実らせ、新たな命を大地に蒔きます(生殖)。
 では、動物のからだにおいてはどうでしょうか……?
 動物のからだにおいて、それら植物的な働き(こころ)は心臓や腸、生殖器などの「内臓系」の働きに相当します。栄養は胃腸によって消化吸収され、新たな生命は生殖器によって生み出されます。そしてそれら「栄養―生殖」にとってなくてはならないのが血液の流れ――心臓の働きです。心臓に代表される内臓器官は《植物性器官》と呼ぶことが出来ます。
 これら植物的な「こころ」に相対するもの、それが、「あたま」の働き――「」に代表される神経系の働きです。動物において、それらは「感覚―運動」という働きになってあらわれます。根を失った動物は、栄養を得るために動き回らなくてなりません。栄養を求めて、動物は外界を「感覚」し、またその知覚に基づいて「運動」しなくてはなりません。「」などの神経系器官に代表されるこれら動物特有の器官は、《動物性器官》と呼ぶことが出来ます※。
※これら《植物性器官》《動物性器官》という概念は、解剖学者・三木成夫氏の著作から得たものです。詳しくは、『ヒトのからだ――生物史的考察』(うぶすな書院 1997)、『胎児の世界』(中公新書 1983)にあります。この文章は、これら三木成夫氏の著作に大いに影響を受けています。“生命のリズム”こそを「こころ」の根源とするという定義も、もともとは三木成夫氏の著作によるものです。

 鳥類や哺乳類は主に、大脳皮質の下にある、本能や情動などを司る大脳辺縁系や、運動能力に欠かせない小脳に即して行動をしています。動物的な「本能」は、植物的な「こころ」と直に結びついています。植物的な「栄養―生殖」という務めを果たすために、動物的な本能が形成された、とも言えます。それらは植物的な“生命のリズム”に即しています。動物的な勘――いわゆる、第六感の世界です。地震を事前に察知して移動しはじめる小動物たち。季節ごとに、はるかな距離を正確に移動する白鳥たち。それら人智を超えた力は、宇宙的・植物的な“生命のリズム”に即することによって生み出されています。
Brantaleucopsismigration
(はるかな距離を正確に移動する渡り鳥カオジロガン 画像出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 その分、彼らは表層の大脳皮質があまり発達していません。よって、彼らはその生において、自身が「感覚―運動」したことをはっきりと意識するということがありません。「意識出来る能力」を司る、大脳皮質があまり発達していないからです。その、動物的な「脳」が、植物的な「こころ」に即したかたちで、自然に(無自覚的に)相互作用している状態を、私はこの文章において「動物のこころ」と呼ぼうと思います。
 彼らはその生において、自身が「感覚―運動」したことを意識するということがありません。逆の言い方をすれば、無自覚だから、意識していないからこそ、動物はあれほど人智を超えた能力(本能的な第六感)を発揮出来るのだ、と言うことが出来ます。「動物のこころ」とは、周囲の環境と自身が一体化した、主客未分的な「こころ」と言えるのではないでしょうか※。
※かく言う僕たち人間も、たとえば祭りの神輿担ぎに熱狂しているとき、自分と周りの境界が曖昧な、主客未分な「動物のこころ」に戻っています。祭りというものは、「人間のこころ」の時代を飛び越えて、主客未分な「動物のこころ」を取り戻そうという行為でもあるようです。

 一方、大脳皮質が独自に発達した人間は、自分が感覚したことを、はっきりと「意識出来る」ようになりました。ゴリラ・チンパンジーなどの類人猿の大脳皮質は、ほかの哺乳類に比べ発達しているとは言え、しかし人間に比べるとまだその度合いは少ない。彼ら類人猿はかなり人間に近いとは言え、まだ多分に主客未分な「動物のこころ」に、即するかたちで行動しています。
 つまり、人間以外の動物は、ものごとをもちろん感覚はしてはいるけれども(“生命のリズム”に則って、ときに人間より遥かに繊細に)しかし、「自分がそのようにして感覚している」ということを意識することはないようです。一方、大脳皮質が独自に発達した人間は、感受しているものごとを、「いま・ここで自分が感覚している」と意識出来るようになった。「感覚(入力)」したものの一つ一つを、はっきりと大脳皮質において意識出来るようになった。
 いまこの瞬間この場において、外界がはっきりと輪郭を伴って認識される――。
 このような「明晰な」感覚は、他の脊椎動物にはない、人間特有の感覚であると言えます。この人間特有の明晰な感覚こそ、類人猿から人間になったときはじめて生まれ出たものであり、そして今現在も僕たち「人間のこころ」の層の、その原点に位置するものであると僕は考えます。
 もちろん「原人(ホモ・エルガステル)」も、獲物を探している最中は「動物のこころ」に戻っていたでしょうし、いつでも恒常的にこの明晰な「人間のこころ」でいたわけではないでしょう。しかしたとえば或る原人の男性が夕方、食事を終えた後、ふと洞窟から外に出て、湖の向こうに沈んでいく夕日を眺める。隣には妻と子どもたちがいる※。そうして、三人でじっと夕焼けを見つめている。気がつくと、彼の目からは涙が流れ出ている……。このような光景が、原人の時代になってはじめて見られるようになったのではないか、などと僕は想像します。
※「ホモ・エルガステル」は一夫一妻制だったのではないか、という説があります(『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 熊谷淳子=訳)。

 ただ、この「明晰さ」とは、もちろん僕たち「人間」※の世界認識から見た明晰さです。僕が自身の「こころ」を素材として、何とか掘り下げていくことが出来るのはおそらく原人までで、それ以下の「動物のこころ」の層のことは、実感を離れて、ただ推測するしかありません。僕の言うこの明晰さとは、あくまで「視覚」を中心とする人間にとっての明晰さです。「嗅覚」を中心とする動物にとっての明晰さとは、またまったく別の次元の話になるでしょう。ここでは話を分かりやすくするために、あえて「動物のこころ」を「明晰でない」と表現させてもらっています。
 さて、次の項からは、「感覚(入力)」したことを「意識出来る能力」とは、ではいったい具体的に大脳皮質のどの部位の働きによるものか――ということを述べていこうと思います。
※僕がこの文章において「人間」という語を使うとき、「原人」から「ホモ・サピエンス」に至る人類全般のことを指そうとしています。指した対象が「ホモ・サピエンス」のみに限る場合は「ホモ・サピエンス」と表記いたします。



 私はノートにメモを取りだした。
 ちょっと文章が分かりにくいが……、つまり、植物に代表される“生命のリズム”をまず「こころ」の根本とし、それに則って自然に働いているのが「動物のこころ」と捉えている訳だな。そしてその「動物のこころ」に、意識出来る能力が発現して、新しく生まれ出たのが「人間のこころ」であるという訳か。
 動物に「こころ」はあるのか、という議論は昔からよくなされてきたが……“生命のリズム”をまずそもそもの根本的な「こころ」と位置づける定義は、確かに面白いな。
 つまり、彼は「こころ」をのようなものとして捉えているわけか……。
「動物のこころ」と「人間のこころ」をまったく別物として考えているのではなく、古い「動物のこころ」に新しい「人間のこころ」がかぶさっている、と考えている。
 そしてその新しい「人間のこころ」を形作る要因となったのが意識出来る能力で、そしてその能力とは、冒頭に述べられた「いま・ここ」の私そのものという感覚とイコールである……と。
Photo_3
 私はペンを置いて、アイスコーヒーを口に含んだ。
 しかし、この辺りの問題は、非常に難しいな。彼は専門家ではないから、このように簡単に「こころ」の定義が出来てしまうのだろうが……。


| コメント (0) | トラックバック (0)

第8回 原人型世界認識(5)

 サルとヒトを別ったもの ~「側頭葉」上部のはたらき~

 僕たち人間ももちろん「哺乳類」ですが――。
 哺乳類は、もともとは夜行性でした。遥か昔、およそ2億年前に爬虫類から分かれた哺乳類は、昼間に活動する恐竜を避け主に夜間に行動をしていたようです。夜の闇の中で重要になったのは、「嗅覚」と「聴覚」でした。哺乳類の世界認識には、研ぎ澄まされた「嗅覚」と「聴覚」とが占める割合が大きいようです。
 その分、彼らは大脳皮質があまり発達していません。それら嗅覚的な世界認識は、視覚を中心とする僕たち人間の世界認識とはまたまったく異なるものです。哺乳類の世界認識とは、「嗅覚的・聴覚的」と言うことが出来ます※。
※においは、鼻の粘膜の中にある嗅細胞によって受容され、嗅神経によって脳の「嗅球」という部位に送られます。「嗅球」は脳の底、鼻の粘膜の上部のすぐ奥に左右二つあり、ここでにおいの細かな情報が処理されます。鼻の中にある嗅細胞は、ウサギやラットでは何千万個、人間でも数百万個近くあるそうです。

 一方、或るとき、樹の上を生活の場としようとしたネズミたちがいました。彼らこそが、後にサルや人間に進化する、僕たち「霊長類」の祖先です。高い樹の上で生活しているので、もはや彼らは恐ろしい恐竜達に襲われる危険は少なくなりました。よって、彼らは進化の途中で、そのほとんどが昼光性となりました。闇夜の生活から一転して、太陽の光のもとでの生活となったのです。
 樹上生活では、哺乳類時代の地上生活とは打って変わって視覚が重要となります。樹の枝から枝への移動を正確に行なうには、視覚の部位の発達が必須です。また、食料である木の実を探すにも、「視覚」は重要です(参考:「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《サルやヒトは視覚動物》http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain)。
 哺乳類から霊長類に進化する際、特に発達したのは大脳皮質です。哺乳類にも大脳皮質はありますが、霊長類に比べるとその容積はずっと少ない。僕たちホモ・サピエンスの脳のように大脳皮質が左右に分かれる(いわゆる右脳・左脳)のも、霊長類の時代に入ってからです。その大脳皮質には、視覚・聴覚・空間認識など、個別の感覚を受容する部位があると言われています。もちろん、それらは完全に個別に機能しているわけではなく、複雑なネットワークで互いに影響しあっており、厳密に各部位を指定するのは困難ですが、おおまかに区分けすると次の図のようになります。
Photo_4
 大脳皮質の後方には「後頭葉」という部位があります。この部位は主に視覚を司っていると言われます。他に視覚を司っている部位としては、「側頭葉」の下部などがあります。樹上生活をする霊長類の時代に発達したのは視覚、ということを考えると、哺乳類から霊長類に進化する際、特に発達したのはこれら視覚を司る大脳皮質部位である、ということが出来ます。サルやチンパンジーなどの霊長類の世界認識とは、「視覚的・嗅覚的」と言うことが出来るのではないでしょうか※。
※「哺乳類」の世界認識の特質とは、「嗅覚的」であること、と私は考えます。サルや「類人猿」は「視覚」を重視しているとはいえ、人間と比較すると、まだ多分に動物的(本能的・自身の『感覚―行動』に無自覚的・主客未分的)な部分を残しています。そういう意味で、私はこの(人間を外した)霊長類の世界認識に、「視覚的」のみならず「嗅覚的」という側面を残しておこうと思います。

 ゴリラ・チンパンジーなどの「類人猿」は、僕たちホモ・サピエンスと同じような「色覚」を持つ、と一般的に言われています(「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《旧世界ザルの色覚はヒトと同じ》より)。つまり、「視覚的」な発達に関しては、チンパンジーも人間もそこまでは違いがない、と言うことが出来るかもしれません。樹上の生活において、十分に発達した視覚は必須です。機敏に枝から枝に飛び移る動作は、十分な視覚の発達がないと出来ません。
 では、たとえば目の前で樹の葉が揺れているとして、チンパンジーと人間ではその樹が同じように見えているのでしょうか……?
 それは、ある側面では、「然り」である、――と僕は考えます。チンパンジーの目でも人間の目でも、目の前の樹の葉は同じような色をし、同じように風に揺れているのではないでしょうか。視覚を司る大脳皮質の発達のみで言えば、類人猿も人間もさほど違いはないからです。しかし、チンパンジーと人間では「見る」ということにおいて、どこかが違う。その感覚の仕方にどこか違いがある。つまり「見る」ことにおいて、チンパンジーと人間では「視覚」を司る大脳皮質以外の部位の働きに、その違いがある。その違いにこそ、「類人猿」と「原人」を別ったものがある、と僕は考えています。
 類人猿が「原人(ホモ・エルガステル)」へと進化していくとき、大脳皮質のどこが特に発達していったのかというと、それは「側頭葉」の上部です。と、僕は考えます。もちろん、原人に進化していくに当たって、大脳皮質全体が増量したことには違いないのですが、特にどの部位が特殊に発達したのかというと、それは「側頭葉」の上部である、と僕は考えています。もちろん、これは僕の仮説です。
「側頭葉」の位置は、ちょうど両耳の周辺にあります。「側頭葉」下部は、前述したように主に視覚における形態の感受などを司っています。対して、上部は主に聴覚の感受を司っています。視覚を感受する大脳皮質は「類人猿」の段階ですでに十分発達していたかもしれないということを考えると、類人猿と原人を別ったのは、聴覚を司る「側頭葉」上部の特殊な発達である、ということが出来るのではないでしょうか。
 サワサワと揺れる樹の葉を前にして、チンパンジーと原人では、その認識のどこが違うのでしょうか。両者は同等な色覚を持っているのですから、一見、同じように見えているはずです。しかし、どこかが違う。チンパンジーの目から見ると、かたちを持ったさまざまな色のパターン(緑、黄緑、黄色、白……)が、ただ揺れているようにしか見えない(と想像します)。しかし、原人の目から見ると、そのかたちをともなったさまざまな色のパターンが、色彩以上の“何か”に見えるのです。太陽の光のもと、その葉の一枚一枚の輝きが、単なる色彩とかたち以上の“何か”に見えてくる……。
 僕は、次のようなことを考えています。
 原人(にはじまる人間の世界認識)において、視覚には同時に聴覚が働いているのではないか――。
 この聴覚が「同時に」働いているということは、風景を見ながら風の音などの自然音も聴いている、という意味での「同時」ではありません。そうではなくて、風景を見ることそのものに、聴覚が働いているのではないか、という意味での「同時」です。原人において、「見ること」は単に視覚を司る大脳皮質の部位が働いているのみではない。そこに、「聴くこと」を司る「側頭葉」上部も同時に働いているのではないか、と。
 夕焼けを前にして、僕たち人間はハッと立ち止まります。その信じられぬくらい美しい、空色と赤と橙色のグラデーションにこころ動かされ、思わず立ち止まることがあります。チンパンジーは夕焼けを前にしても、ハッとして立ち止まることは(おそらく)ないでしょう。暮れていく夕焼けに色彩とかたち以上の“何か”を感じ取り、こころ動かされるのは、僕たち人間だけの特質です。
 外界に私たちが感じ取る“何か”――。僕はそれを“”と表現しようと思います。僕たち人間は、外界に“声”のようなものを感じる。樹の葉のざわめきに、単なる色とかたち以上の、何か“声”のようなものを感じる。暮れていく夕焼け空に、何か自分に語りかけてくる“声”のようなものを感じる。……
 そしてその“声”の感受こそが、ものの「自覚」ということにつながっていったのではないか、と僕は考えます。
以前は単なる色彩とかたちでしかなかった樹の葉が、原人の時代になって、何か“声”のような「ひびき」を発しているように感じる。葉が、葉そのものとして、確かな存在感を持って浮かび上がってくるように感じる。そのときはじめて、原人ははっきりと「自覚(意識)した」のではないでしょうか。目の前で揺れる葉が、はっきり「葉」である――と。
 その自覚は、視覚のみの働きによるものではないようです。ものがはっきりとものであるという認識には、むしろ聴覚が重要な働きを果たしている。そのことを、僕は自身の実感からも言うことが出来ます。サワサワと揺れる樹の葉。真っ赤に暮れていく夕焼け。その夕陽に照らし出されたテーブルの上のコップの陰影……。それらものを「見ること」において、僕たちは「聴く」ということも行なっている。「見る」と同時に、「聴く」ことをしている。このことを、僕は自身の日々の生活の実感に基づいて述べているのですが……。 
 僕が考える原人の世界認識とは、「視覚的・聴覚的」と言うことが出来ます。

 人間の特質は「意識出来る能力」にある、ということは先ほど述べましたが、その「意識出来る能力」とは、具体的には類人猿から原人に進化するにあたって発達した「側頭葉」上部の特殊な働きに、その出現の秘密が隠されていると推論していくことが出来ます。
 サルとヒトを別ったもの――それは聴覚を司る「側頭葉」上部の独自の発達である、と僕は考えます(詳しい説明は、これからゆっくりとしていきます)。


 動物の世界認識と人間の世界認識が違うということはよく分かる。動物の世界認識とは「嗅覚的」で、人間の世界認識とは「視覚的」である、と。これも分かる。
 しかし、その人間の世界認識にも段階がある、と彼は述べている。つまり、まずそのはじめに「原人の世界認識」というものがある、と彼は述べているのだな。
 それにしても……。私は窓の外を見るともなしに眺める。
“声”って、一体なんだ……?

 玄関から賑やかな声が聞こえてくる。信慈がプールから帰ってきたようだ。
「あー、疲れた!」
 リュックをソファーの上に置き、冷蔵庫を勢いよく開ける。コップに麦茶をコポコポと注いで一気に飲み干す。そうして、私の隣に座った。
「あっ、ゲンジン先生の?」
「うん」
 信慈は日焼けした顔をほころばす。
「僕もいっしょに読む」
「シャワーは浴びなくていいのかい?」
「いい。向こうで浴びてきた」
 そう言いながら原稿を覗き込む。
「読めるのかい?」
 信慈は答えずに笑った。
 私は読むスピードを落とし、ゆっくりページをめくるようにした。信慈の腕と私の腕が並ぶと、私の腕はずいぶんと白く見える。


| コメント (0) | トラックバック (0)

第9回 原人型世界認識(6)

「人間の言葉」 ~名詞としての言葉~

言葉」とは何でしょうか。僕たち人間の生に絶対に欠かすこと出来ない言葉とは――。言葉とは、人間だけが持つものなのでしょうか。人間だけが持ち、人間だけが話しているものなのでしょうか。
 僕は、生きものの発するすべての音声は言葉である、と考えています。カラスが「カァ」と鳴くのは言葉です。別のカラスがそれに「カァ」と応じるのは、もちろん言葉です。イヌが夜中に遠吠えするのも言葉です。スズメがチュンチュンと囀るのも、さらに言えば、夏の盛りのセミの鳴き声も言葉です。生きものの発する音声はすべて言葉――この文章において、まず僕はこう定義したいと思います。
 ある一羽のカラスが鳴き、ほかのカラスがそれに鳴いて応じるのは、「意思伝達としての言葉」です。何らかの意思伝達、コミュニケーションとしての言葉です。音声で意思伝達をするのは、何も人間に限ったことではありません。危険の示唆、異性へのアピールなどを、多くの生きものが音声を用いて意思伝達作業を行なっています。
 犬の遠吠えは、「こころの異和としての言葉」です。夜中に犬が切なそうに鳴くのは、何かしら異和を「こころ」に感じているからで、その止むに止まれぬ表現としての言葉である、と考えることが出来ます。熱いものに触って人間が思わず「熱い!」と叫ぶのも、「こころの異和としての言葉」です。これらはいわば反射的・突発的な「叫声」の部類に入る言葉です。
 スズメがチュンチュンと囀るのは、「生の充溢としての言葉」です。こちらも、半ば反射的ですが、これは僕たちの言うところの「歌」に限りなく近い言葉であるということも出来ます(言い方を変えれば、『歌としての言葉』ということも出来るでしょう)。朝焼けの中の小鳥の囀り。一週間という命を存分に鳴いて過ごす蝉の声。それらはみな、半ば反射的な「生の充溢としての言葉」である、と僕は考えます。基本的にこれら「生の充溢としての言葉」は、突発的な「叫声」とは違い、継続的・恒常的です。

 では「人間の言葉」とは何でしょうか。人間しか持たない、人間特有の言葉とは――。僕はそれは、「名詞としての言葉」である、と考えています。目の前のものそのものをはっきりと明示する、「名詞としての言葉」です。
 僕は先ほど、原人は「見ること」と同時に、そこに“”のようなものを感じていたのではないか、ということを書きました。その“声”を感受した結果、生まれたのがものそのものの「名詞」というものなのではないでしょうか。
 視覚に聴覚が働いた結果、単なる色彩とかたちでしかなかった樹の葉が、何か“声”のような「ひびき」を発しているように感じる。葉が葉そのものとして、形容しがたい存在感を持って浮かび上がってくるように感じる。そのとき、人間ははっきりと、目の前で揺れる葉が「葉」であると「自覚(意識)」する。そうして人間ははじめて、目の前に揺れる葉を、「葉」という「人間の言葉」で呼んだ――。

 ベルベットモンキーは、種類の違う捕食者(ヒョウ、ワシ、ヘビなど)に対して、音響的にはっきりと区別できる警戒音(アラームコール)を使い分けるそうです。ヒョウを見ると《大声で吠えながら木に登り、仲間にも同じようにして危険を避けるよううながす》。ワシを見ると、《短い二重音節の咳音を発する》。ヘビの場合は、《舌打ちのような音を出す》(『歌うネアンデルタール』スティーヴン・ミズン)。このベルベットモンキーの「言葉(警戒音)」は一見、「名詞としての言葉」に相当するように思われます。ヒョウにはヒョウに対応する言葉を、ワシにはワシに対応する言葉を。とすると、「名詞としての言葉」は人間特有のものである、という僕の説は正しくないことになります。
 カーディフ大学の言語学者アリソン・レイは、ベルベットモンキーの発声について次のように解釈をしたそうです。ベルベットモンキーの警戒音は、人間の「名詞」のような「指示的」なものではなく、相手の注意を喚起しようとする「操作的」なメッセージだ、と。つまり、《ヘビを見たときの舌打ちのような音は、『ヘビ』というベルベットモンキーの単語と考えるべきではなく、『ヘビに注意しろ』といったものとしてとらえるべき》。同様に、《ワシの場合の咳音は、ワシという単語ではなく、『ワシに注意しろ』というようなメッセージと解釈すべき》である、と(『歌うネアンデルタール』)。
 アリソン・レイの解釈が正しいとすれば、つまりこれはベルベットモンキーの言葉は「名詞としての言葉」ではなく、「意思伝達としての言葉」ということが出来ます。とすると、僕の説は(まだ今のところ)訂正する必要はないのかもしれません。
 ベルベットモンキーの「言葉(警戒音)」と、人間の「名詞としての言葉」には、明確な違いがあります。まず、前者は相手を操作することが第一義ですが、後者の「名詞としての言葉」は、自分自身に確認することが第一義であるという点。
 次に、前者の言葉は注意を促す対象の範囲が不明確ですが、後者の人間の「名詞としての言葉」は指示する対象の範囲(輪郭)が非常に明確であるという点。
 範囲(輪郭)が不明確という点に関しては、特に霊長類以外の「哺乳類」の世界認識において当てはまることです。彼ら哺乳類の世界認識は「嗅覚」が中心です。その研ぎ澄まされた嗅覚で匂いの「在りか」を認識する能力は卓越していますが、しかしその分、匂いの主の「姿かたち」を認識する能力には長けてはいません。哺乳類は匂いを敏感に感じ取りますが、しかしその匂いを発する主がどういう姿かたちをし、またどういう色彩を伴っているかということには、さほど敏感ではない(関心も無い)らしいのです。
 また、匂いというものは単一ではなく、基本的にさまざまな匂いと複雑に交じり合っています。彼らにとって見れば、世界というものは人間がするようにはっきり一つ一つ「名詞」で区分け出来るものではないのでしょう。ベルベットモンキーは「視覚的動物」である霊長類の一種ですが、しかしその世界認識には多分に「範囲が不明確な」嗅覚的な部分が残っており、だからこそ彼らの生はいまだ「動物的」である、と言うことも出来ます。

 もちろん、嗅覚的な世界認識と視覚的な世界認識と、そのどちらが長けている、と言うことは出来ません。僕たち人間の生活においても、嗅覚というものはかけがえのないものです。食事をするにも匂いがあるからおいしいのだし、またときに匂いは、他の感覚の何にも増して、過去の記憶を僕に強烈に想起させます。哺乳類に比べ鼻の中の嗅細胞の数がずいぶん減少したとはいえ、僕たち人間もまた私たちなりの嗅覚を生きています。僕たち「人間のこころ」の層の下には、まぎれもなく嗅覚的な「動物のこころ」が豊かに息づいています。(『人間のこころ』は、古層の『動物のこころ』に支えられている、と言うことも出来るでしょう。)
 ただ、嗅覚的・動物的な世界認識からは、ものの範囲を明確にする、(視覚的・人間的な)「名詞としての言葉」は生まれようがない、ということは言えるのではないでしょうか。また、その「名詞」の誕生には、先ほども述べたように、独自に発達した聴覚的な「側頭葉」上部の働きが重要である、と僕は考えています。


| コメント (0) | トラックバック (0)

第10回 原人型世界認識(7)

 ウェルニッケ野

 聴覚を司る「側頭葉」の上部――。
 しかし、以上のようなことを考えると、類人猿と原人を分かったものというのは、単なる聴覚ではない、ということになります。そもそも、外界の音を聴き取る意味での純粋な聴覚であれば、人間以外の哺乳類のほうが発達しているでしょう※。
※人間の可聴音は、低いほうで20ヘルツ、高いほうで2万ヘルツくらいまでと言われています。哺乳類には人間が聴きとれない音域を聴きとることができる種がたくさんいます。たとえば、イヌの可聴音域は15ヘルツから5万ヘルツです。イルカに至っては、最大15万ヘルツもの音域で、互いに会話をしているそうです。

 類人猿が「原人(ホモ・エルガステル)」に進化していくに当たって、単なる聴覚ではない、特殊に発達していった「側頭葉」上部があるようです。そしてその部位こそが、類人猿を“はじめの人間”――原人とならしめたものであった――。
 僕は先ほど、原人の時代になって、僕たち人間は、外界に“”のようなものを感じるようになったのではないか、ということを述べました。その“声”とは、哺乳類が通常外界から聴き取っている自然音とはまた別種のものです。では、この“声”とはいったい何か――。
 申し遅れましたが、この特殊に発達した「側頭葉」上部には名前がついています。非常に有名な名ですが……、そう!「ウェルニッケ野」です。

 ウェルニッケ野――「側頭葉」にあるこの部位は、「感覚性言語野」とも呼ばれ、一般に“言語の理解”に重要な働きをしているとされています。ただし、右脳・左脳両方の側頭葉にあるのではなく、片方の左脳だけにあります。この部位が損傷すると、言語によるコミュニケーション(他者の言葉の聴き取り・理解)が困難になると言われています。
 そして実は、僕はこのウェルニッケ野こそ、類人猿と原人とを別ったものである――と考えています。
Photo
 ウェルニッケ野は、1874年にドイツの医師カール・ウェルニッケにとって見出されました。この部位が侵されると、喋ることは出来るけれど、その言葉は意味をなさず、また他人の喋っている言葉も理解出来ない、という現象が起こるようです。
 脳にはウェルニッケ野の他に、もうひとつ代表的な言語野があります。それは発見者のフランスの医師ポール・ブローカの名を取って、「ブローカ野」と呼ばれています。ブローカ野は「運動性言語野」とも呼ばれ、一般に“言語の発話”に重要な働きをしているとされています。位置としては、左脳の「前頭葉」の後方に当たります※。このブローカ野は、ウェルニッケ野に十数年ほどさきがける1861年に発見されました。
※人間は10人中9人は、言語野を「左側」の大脳半球に持つと考えられています。
 ブローカ野が侵されると、言葉を理解することは出来るけれど、うまく発話したり文字を書いたりすることが出来ない、という現象が起きるようです。カール・ウェルニッケは、この十数年前のブローカの発見を受けて、次のような仮説を立てました。
「ブローカが見出したのは、言語に関する“出力”領域に過ぎない。脳にはもう一つ、言語の“入力”領域というものがあるはずだ。脳の行なう最も大きな働きとは、その『入力―出力』という橋渡し作業をすることである※」。
※その橋渡し作業を、彼は《連合》と呼びました。

「脳」などの神経系を代表とする《動物性器官》は、大きく分ければ「感覚―運動」という働きになって現れるということは、先ほど【人間のこころ】の項で書きましたが、つまりブローカが発見したブローカ野は、この「感覚(入力)―運動(出力)」の、「運動(出力)」部を司る役割を果たしている、とウェルニッケは考えたのです。言語はもちろん、聴覚と密接な関係を持っています。人間の赤ん坊は、母親をはじめとする周囲の大人たちが喋っているのを聴いて、言語を習得してきます。だから、言語を入力(感覚)する部位は、聴覚の受容部位(『側頭葉』上部)に近いところにあるはずだ※、とウェルニッケは見当をつけました。脳の聴覚受容部位に、言語受容(入力)用に特殊に分化した領域があるはずだ、と。
 そして実際、言語以外の認知能力には問題はないけれど、言語の受容(聴き取り・理解)に困難のあるとされる患者さんの脳を死後解剖した結果、受容部位があると予想していたとおりの場所に、病変が見つかったそうです。すなわち、「側頭葉」上部に、異変部が見つかった。こうして、言語野には「入力―出力」のそれぞれの部位があるというウェルニッケの仮説はいったん証明されるかたちとなり、その“入力”部位は「ウェルニッケ野」と呼ばれるようになったのです(参考:『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005)
※当時(1874年)、側頭葉のあたりに「聴覚」に関係する部位があることは既に分かっていたそうです。

 さて、およそ百数十万年前に、類人猿と「原人(ホモ・エルガステル)」とを別ったその要因である、と僕が考えるウェルニッケ野――。
 起源で言うと、ブローカ野よりこのウェルニッケ野の方が古いようです。ブローカ野がいま現在の僕たちと同等なものとなって完成したのは、割と最近、古くても20万年ほど前のことではないか、という説もあります※。
※「原人(ホモ・エルガステル)」が活動していたのは、およそ百数十万年前から60万年前ごろであるとされています。つまり、彼らが生きて生活していたのは、完全な「ブローカ野」が出現するずっと以前の時代です。

 ではそもそも、どうやってこのウェルニッケ野は人間の「側頭葉」上部に生成されていったのでしょうか。先ほどチラリと述べました、「外界に“声”を感じる」とは、いったいどういうことなのでしょうか。また、ウェルニッケ野とつながるブローカ野とは本来、どのような部位なのでしょうか。その結果、人間に引き起こされる「運動」とはどういったものなのでしょうか。
……
 次から述べるのは、僕が組み立ててみた仮説です(いよいよ、問題の核心部です)。この仮説が、この『原人型世界認識』という文章の柱となり、また根拠となっていくものです。
 仮説は、7つの段階からなっています。段階が進んでいくほど、もしかしたらあなたに突飛な印象を与えるようになっていくかもしれません。しかしどうか、ご寛大な気持ちでゆっくりと読み進めてみてください。
ではではまずは、仮説の第1段階、ウェルニッケ野の起源から――。


「お父さん、読むの早すぎる」
 信慈(しんじ)が口をとがらせて言った。
「だいぶゆっくり読んでたぞ」
 私は残っているアイスコーヒーを飲み干した。
「で、何が書いてあったの?」
「読んでなかったのかい。あんな真剣な顔して」
「だって、難しいんだもの」
「まあ、確かにな。まだ信慈には難しいよ」
 ウェルニッケ野が人間の言語の発生と不可分である、というのは一般に言われることだが、しかしウェルニッケ野が「類人猿」と「原人」を別ける直接の要因となった、と言う説は聞いたことがないな。これも、彼の思いつきなのだろうか。
 それにしても、外界に“声”を感じるとは、一体どういうことなんだろう?この“声”の感受にウェルニッケ野が関わっている、と彼は書いているが……。
 窓から、夕日を浴びて立つポプラの樹が見える。
「人間の脳にはね、言葉の聴き取りに深い関わりを持っているウェルニッケ野という部位があるんだけどね」
「ウェルニッケ野?どんな字を書くの?」
「カタカナでウェルニッケと書いて、あとは漢字で、野原の野だよ」
 信慈はテーブルに置いてあるメモ用紙に、ゆっくりと「ウェルニッケ野」と記した。
「そう、それでね、原先生はこのウェルニッケ野に注目しているようでね、このウェルニッケ野の誕生が、サルとヒトを別けた要因だって先生は考えてるみたいなんだよ」
「そのウェルニッケ野は、えーと、言葉と関係があるんだったっけ?」
「そう、言葉を聴き取ることと」
「じゃあ、サルとヒトを別けたのは、言葉だってことになるね」
 信慈は鼻の頭に小さく汗をかいている。
「お前、なかなか鋭いな。うん、でもね、原先生の変わっている、いや、面白いところは、言葉はそもそも、人間だけではなくてサルも動物も持っている、と考えているところだよ」
「動物も言葉を持ってるの?」
「と、先生は考えてるみたいだね。イヌがワンと吠えたり、鳥がチュンチュンと鳴いたりするのも言葉であると……」
 私はハンカチで信慈の鼻の頭の汗を拭いた。
「でも、ヒトだけしか持っていない種類の言葉がある、と先生は考えていて……。それが名詞としての言葉だと先生は言ってるみたいだね」
「名詞?」
「そう。ものの名前だね。とか、コップとか、ノートとか、樹とか花とか」
「名詞を持っているのは、人間だけなの?」
「その点に関しては、お父さんも同じ考えだな。確かに、名詞に相当するものはサルも持っていない……と考えていいと思うよ」
 信慈は、目の前のコップを指さして、「コップ」と小さく呟いた。そうして、しばらくふたりで黙っていた。
 ふと思い立って、
「信慈、窓の外の……」
 私は外を指さした。
「何?」
「ほら、すぐそこのポプラ。見てみてどう思う?」
「……」
「お父さん、原先生の文章読んで、よく分からないところがあってね」
「うん」
 信慈は立ち上がって窓のすぐそばまで来た。そうして外のポプラの樹をじっと見つめた。
「原先生は、揺れる樹の葉っぱを見て、“声”を感じるって言うんだよ」
 明るい夕日を浴びて立つポプラの樹――。
「その、“声”を感じることが、人間だけが持つ名詞の誕生につながった、と先生は書いてるんだけどね」
「うん」
「お父さんは、よく分からないんだけど……。信慈は“声”みたいなもの、感じるかい?」
「うん」
「え?」
 私はびっくりして信慈の横顔を見つめた。
「信慈は“声”を感じるのかい?」
「うん!」
 信慈は窓ガラスから顔を離し、また私の隣に座った。
「どんなふうに?」
「うまく言えないけど……」
 信慈は目の前の空間を見つめながら言った。
「うまく言葉に出来ないけど、でも何か感じるよ!」
「ポプラの葉っぱに?」
「うん。葉っぱだけじゃないけど。空とか、雲とか……」
 私は少々狼狽しながら訊ねた
「それらは、何て言っているの?」
 信慈は私の顔を見て、
「うーん、よく分かんない。でも、いまも感じたよ」
「それは、前から?」
「うーんと……。あ!」
信慈の顔がパッと輝いた。と、玄関から物音がした。瑞恵(みずえ)が買い物から帰ってきたようだ。
「ただいま」
「おかえり。ジュース買ってきた?」
 すかさず信慈は後ろを振り返って訊ねる。買い物袋を提げた瑞恵は私と信慈を見て、
「ただいま。二人してお勉強?」
「うん。ゲンジン先生の本、読んでるの」
「あら。信慈も?」
「うん」
 買ってきた食材を冷蔵庫にしまいながら、
「いいわねえ」
「ジュース買ってきた?」
「買ってきたわよ。いま飲むの?」
「うん」
 ジュースをコップに注ぎながら、
「プールからはいつ帰ってきたの?」
「ちょっと前。30分くらい」
 瑞恵はテーブルまでやってきて、ジュースの入ったコップを信慈に渡した。
「ありがと」
「たくさん泳いだ?」
「うん。泳いだ。疲れたー」
 信慈はジュースをのどを鳴らして飲んだ。
「いまからお米を炊くから、夕食は7時過ぎになりそうだわ」
 瑞恵は私にそう言って、奥の洗面所に入っていった。
「信慈、さっきの話だけど……」
 信慈は素早くコップを置いて、
「うん!あ、でもほんとうに、樹が喋ったわけじゃないよ」
 信慈は真顔で、
「雲が、やあ、とか喋ったわけじゃないよ」
 私は笑って、
「そりゃ、そうだろう」
「ほんとに声がしてるわけじゃないんだけど。そう、それでね、この前」
 私はグラスの底に残った氷をひとつ、口に流し込んだ。
「この前、遠足に行ったときにね」
「モエレ沼公園にかい?」
 確か信慈たちは先月、遠足でモエレ沼公園に行ったはずだ。
「うん、そう。モエレ沼公園に行ったときね、山の上でね、お弁当食べてたとき……。道に、ずーっとポプラが並んでてね、僕それを見てたの」
「ほう」
「すごくいい天気でね、風がサーッと吹いてね、そしたら葉っぱがこう……」
 信慈は小さな両手を星のように振りながら、
「キラキラ光って、すごく綺麗だったの」
「うん」
「お弁当食べながら、それに気付いて……。僕、そのときはじめて気付いたの。あ、綺麗!……って。そのとき僕、はじめてポプラが綺麗だって気付いたの。それで、何か、ドキドキして、思わず隣の英くんと遼くんに伝えたの」
「仲良しの英くんと遼くん、だね」
「そしたら英くんも遼くんも、ほんとだ、綺麗って……。そしたら他のみんなも、そう言えば綺麗だねえ、って」
「信慈だけでなくて、クラスのみんなもそう言ったんだ」
「みんなかどうか分かんないけど。誰か後ろの女の子が、宝石みたい!って言ってた」
「ポプラの葉っぱがかい……?」
 私は子どもたちの感受性に、ちょっと圧倒された思いだった。40歳を過ぎた私は、ポプラを見ても何もこころが動くことなんてない。
「先生は、そのときなんて言ったんだい」
「いや、そのとき後ろの方にいたゲンジン先生は何も言わずに……でも、ニコニコしてたかなあ。帰り道にね、ゲンジン先生が、僕と英くんと遼くんにね、ポプラが綺麗だったんだね、って言ったの」
 私はまた氷を口に入れた。
「僕たち、とても綺麗だった、と言った。そしたらゲンジン先生がね、ポプラから何か“声”は感じなかった?って。」
 私は小さくなった氷をポリポリと噛んだ。
「“声”って何って聞いたら……ほんとに声がしてるわけじゃないけど、でも声みたいなものを感じなかったかな、って」
「難しいな、禅問答みたい。お父さん、そこがよく分からないんだよなあ」
 信慈は私の目を見つめながら、
「でも、僕も英くんも遼くんも、はい、って答えたの」
「本当に?嘘じゃなくて?」
「うん、ほんとに。そう言われれば、そうだなあ!って。ああ、キラキラが“声”だ、って……」
「ん、何だって?」
「キラキラが、“声”。キラキラが“声”なんだ、って分かったの」
 私は信慈の言っていることについていけなくなっていた。小学3年生の信慈の口から、こんな禅問答のような言葉が飛び出すとは思わなかった。原先生と子どもたちの間には、私たちには理解できないような、独自のコミュニケーションのルートが存在しているのだろうか。
「うーん、よく分からないけど。キラキラして見えるのが、“声”なのか……?うーん」
 私は原稿に目を遣った。
「とりあえず、いまから続きを読むから、信慈はまたお父さんの分からないところがあったら解説してくれよ」


| コメント (0) | トラックバック (0)

第11回 原人型世界認識(8)

 仮説①「ウェルニッケ野」の誕生 ~語りかける母の“声”~

「アフリカ大地溝帯」が形成された後、300万年間くらいは、東アフリカの類人猿は果実をとるために断続的に「二足歩行」をしていた、ということは既に書きました。その後、今から200万年前をやや過ぎた頃、東アフリカは大変な乾燥化に見舞われた。そうして、東アフリカに広大な「サバンナ」様の平原が出現した。東アフリカの類人猿は、サバンナという環境において耐熱ストレスを減らすため二足歩行を発達させていった。そうして、二足歩行が完成したのが、百数十万年前の「原人(ホモ・エルガステル)」の時代である、ということも既に書きました。
 二足歩行の完成――それが人間に、どういう影響を与えたのでしょうか。
 さまざまな、重大な影響があったでしょう。二足歩行により、遠出が出来るようになった。それは果実のみならず、動物の肉(死骸)を得ることにもつながった。そうして人間は動物も食料とするようになった。その豊かなたんぱく質・糖分等の栄養の摂取が、その後の大脳皮質のさらなる発達を促進していった、という可能性は大いにあり得ます。
 またもちろん、両手が完全に自由になった、ということも重要です。両手が自由になることにより、道具を作る技術が発達した。

 しかし、ここで僕が特に注目したいのは、二足歩行の母体の影響、および赤ん坊の発達への影響です。
 二足歩行が進化したことにより、骨盤が狭くなり、女性の産道は細くなりました。そのため、出産時の赤ん坊の大きさ、特に脳の大きさに制限が課せられるようになりました。この事態に対処するため、赤ん坊は実際よりも、未熟な状態で生まれ出てくるようになりました。そうして、生後1年は、母親のお腹の外で、胎児並みの急成長を続けるようになったのです。よって、「原人(ホモ・エルガステル)」以降、赤ん坊の世話はそれ以前の類人猿の時代に比べて手間ひまがかかるようになり、またその育児期間も長くなりました。
 哺乳類の赤ん坊は生まれ出てからすぐに立ち上がります。類人猿の赤ん坊は、哺乳類の赤ん坊に比べれば、生まれ出てくるときの状態は未熟でその世話も時間がかかります。しかし、この二足歩行をするホモ・エルガステルの時代になり、赤ん坊はさらに「無力な」状態で母体から生まれ出てくるようになりました。母親が赤ん坊の世話をする期間も、より長くなりました(参考:『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 2006)。
 これら、二足歩行の完成が母体と赤ん坊に与えた影響に、この度僕は注目してみたいと思います。

 類人猿の母親も人間の母親も、赤ん坊にすることは一緒です。いつでも赤ん坊を腕で抱き、そして必要あらば乳を与える。
 母親が赤ん坊をしっかりと抱きしめる……その母と子の“結びつき”は、サルも類人猿も人間も変わりがありません。赤ん坊は母親の腕の中で、安心して身を委ねています。母親の腕の中で安心して眠っている赤ん坊の表情、またその子をじっと見つめる母親の表情は、サルも類人猿も人間も共通しているものがあります。
 数ヶ月たつと、チンパンジーやボノボの赤ん坊は母親の背中によじのぼり、体毛につかまって自分の力で乗っていられるまでに成長します。よって、ちょっとした移動も、赤ん坊は母親の背中に乗って一緒にすることが出来、母親のほうも手間がはぶけて楽になります。一方、ホモ・エルガステルの赤ん坊は、生後1年たっても、そのようなことをすることは出来ません。直立した背中へよじ登るような握力もまだ無いし、また母親の背中にはもはや、つかむことの出来る体毛が無いからです。
 二足歩行の進化と、体毛の喪失は平行して進行していった可能性が高い、とスティーヴン・ミズンは言います(参考:『歌うネアンデルタール』)。おそらく、僕たちの祖先は160万年前までに、(いまの僕たちに近いほどまでに)その体毛を失っていたのではないか、と。
 赤ん坊を背負うための「衣服」(子守帯)が登場したのは、60万年前に登場する「ホモ・ハイデルベルゲンシス」の頃のことではないか、とミズンは予測しています。とすると、このホモ・エルガステルの時代は、「類人猿」のような長い体毛もなく、また子守帯もないということで、赤ん坊を世話する母親にとっては最も大変な時代であった、と言うことが出来ます。
 霊長類の赤ん坊は、常に母親との密なる接触を必要とします。ちょっとでも離れると、赤ん坊は泣き出します。チンパンジーの赤ん坊も、地面に降ろされると、母親との接触を求めて「フー」音を出す傾向があるそうです。声が繰り返されて、それが泣き声の一部になることもある。チンパンジーよりも無力なホモ・エルガステルの赤ん坊は、母親から離されると、接触を求めてさらに切実に泣き出したことでしょう。
 では、ホモ・エルガステルの母親は、未熟な赤ん坊の世話と、その他の作業(果実の採取、食料の調理、石器の製作など)をどう両立させていったのでしょうか……?
 ミズンはその解決策のひとつとして、母親の目と声が届く範囲で赤ん坊を短時間《地面に降ろす(putting down)》ということを挙げています。赤ん坊を地面に降ろせば、母親の両手は空き、調理などさまざまな作業をすることが出来ます。ただもちろん、それだけでは赤ん坊はすぐに泣き出してしまいます。
 この解決法でミズンが強調しているのは、母親はただ地面に赤ん坊を降ろすだけではなくて、常に赤ん坊に気を配り、安心させるために歌いかけ、語りかけていたのではないか――という点です。抱きしめる変わりに、母親は発声や身振りや表情を豊かに使って、地面に降ろした赤ん坊をあやしていた。(お母さんはここにいるよ。あなたを見ているよ。そばにいるよ。大丈夫よ……)
 母親の腕から離れた赤ん坊は、自分にやさしく語りかけてくる母親の“声”を聴き取ると、安心した。
 フロリダ州立大学人類学教授のディーン・フォークは、この《地面に降ろす(putting down)》方法が実際に当時用いられ、またそれは「前言語コミュニケーション」の発達に欠かせなかったのではないか、と考えているそうです。赤ん坊をあやす母親の表情や“声”は、《体から分離した母親のあたたかい腕》である、とフォークは言います。

 さて、僕の仮説ですが――。
 それは、こうした母と子のコミュニケーションを通して独自に形成されていったものこそが、ウェルニッケ野なのではないか、という説です。
 未熟な原人の赤ん坊が、自分に語りかける母親の“声”を聴き取り、その意図・想いを理解すると言う作業を通して、左脳の「側頭葉」上部に徐々に形成されていったものこそが、ウェルニッケ野である――と。
 未熟な原人の子が、母親の“声”を懸命に「聴き取り」、「理解」しようとする作業を通して、聴覚部位(『側頭葉』上部)に特殊に発達していった部位がウェルニッケ野であった、と僕は考えます。類人猿の時代に比べてずっと「未熟な」ホモ・エルガステルの赤ん坊とその母親との、切なるコミュニケーションを通して、ウェルニッケ野は生成されていった――。
 赤ん坊は自分に語りかける母親の“声”を懸命に「聴き取り」、そしてその意図・想いを「理解」した。
(お母さんはここにいるよ
 あなたを見ているよ。
 そばにいるよ。大丈夫よ……)
 そうすると、たとえ母親の腕から地面に降ろされていても、
(お母さんはここにいる!)
 と赤ん坊は安心し、泣き出さずにいることが出来た。

 赤ん坊も必死ですが――決して楽ではない、むしろ苛酷な環境の中、手間のかかる育児と生きるための雑務を両立しなければならないホモ・エルガステルの母親もまた、懸命であったのではないでしょうか。育児に伴うこのような困難は、それ以前の類人猿の時代にはなかった。類人猿の時代はまだ森林も多く、環境が穏和だった。また、子どもも早熟で、数ヶ月すると勝手に母親の背中に自力でひっついていてくれた。また、それ以後のホモ・ハイデルベルゲンシスの時代にも、これほどの育児に関する困難はなかった。ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代には「衣服」も製作され、母親は赤ん坊を子守帯で自分に結び付けておくことが出来た。このホモ・エルガステルの時代こそが、赤ん坊を育てる母親にとっては一番忍耐を要する、大変な時期だったようです。
 僕は、ウェルニッケ野の形成の背後には、そのような母と子の、互いに懸命な、そして硬い“結びつき”があったのだ、と考えています。母親の赤ん坊へのと、赤ん坊の母親への信頼がないと、このウェルニッケ野はそもそも存在し得なかった……。
 そうして、母親の“声”を「聴き取り」、そしてなおかつその意図・想いを「理解する」能力を専門とするウェルニッケ野という言語野が、ホモ・エルガステルの脳に形成されていったのではないでしょうか。左脳「側頭葉」上部が単なる聴覚ではなく、人間の言語の「聴き取り・理解」という能力を司っているのは、遡れば以上のような由来があったからである、と僕は考えています。
 ここまでが僕の仮説の第一段階です。


 ウェルニッケ野の生成か……。私は原稿を見るともなしに眺める。
 納得出来るような納得出来ないような……微妙な感じである。もちろん、どんな仮説を立てようがそれは個人の自由だが、このままではそれを立証出来る客観的なデータがあまりにも少ない。というより現時点において、彼のこの仮説を裏付けられるようなデータは、脳科学の世界には皆無なのではないか。それとも私が不勉強なだけで、探せば見つかるのかもしれないが……。まあ、小学校の一教師である彼に、我々を納得させることができるようなデータを用意しろ、と言うのも無理な話ではある。
 ウェルニッケ野についての本格的な考察は、まだまだこれからはじまっていくという段階である。この第一の仮説について、私は現時点において何とも言えない。古人類学の専門家として、まことに不甲斐ない話であるが……。
 ただ、着眼点は面白い。発想することにおいて、プロも素人も区別はない。余分な知識に邪魔されない分、むしろ素人のほうがときに本質を突いた発想をすることがある。
 などと考えながら、私は信慈の赤ん坊の頃のことを思い出していた。あの頃は、信慈は本当に小さかった。私は日焼けした信慈の顔をそっと盗み見る。
 まだまだ子どもとはいえ、しかしそれでもずいぶん大きくなったことだ。私はふと、信慈の頭を撫でた。信慈は突然頭を撫でられ、少しビックリした顔をした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第12回 原人型世界認識(9)

 仮説②「いま・ここ」の世界認識の誕生 ~ものそのものが発する“声”~

 成長した「原人(ホモ・エルガステル)」の子は、母親の腕から離れ、ひとり立ちしていきます。母親のもとから離れ、今度は自身が子を育てる親の立場になっていかなくてはなりません。
 ホモ・エルガステルの子は、成長してからもその両親や親戚と一緒に暮していたか、それとも母親のもとから離れ、新しい地で自分の家族を形成していたかは分かりませんが、いずれにしても、いま母親に抱かれている赤ん坊が、《母のあたたかい腕》から離れなくてはならなくなる日は、そう遠くはありません。
 そうして母親の腕から離れたホモ・エルガステルの子が、ひとり外界に立ったとき、世界はどう見えたでしょうか。そのとき、子に世界はどう映って見えたのでしょうか。
 僕は、このとき、ホモ・エルガステルの子の目に、世界はそれ以前(類人猿の時代)とはまた異なった、新たなものとして映ったのではないか、と考えています。
 樹の太い幹。
 さわさわと揺れる葉。
 豊かに実る果実。
 夜空に瞬く星。
 頬をなでる風。
 空を真っ赤に染め沈んでいく夕日……。
 それらは、以前とどう違ったのでしょうか。一見、それは以前と同じように見えています。同じような色彩をし、同じようなかたちをしています。しかし、何かが違う。何かが新しい。と言うより、そのときはじめて、ホモ・エルガステルは目に映る外界を、外界そのものとして、はっきりと意識したのではないでしょうか。
 そのときはじめて、目の前のものの一つ一つは、ホモ・エルガステルの目に、確かな存在感を持って映りだすようになった。ものの一つ一つは、はっきりとした輪郭を伴って、感覚(入力)されるようになってきた。つまり、彼は外界のものの一つ一つに、さまざまな“”を感じるようになった――。

 ウェルニッケ野は、母親の“声”を「聴き取り」、そしてなおかつその意図・想いを「理解する」ために脳に形成されていった、という説は前項で書きました。当時、ウェルニッケ野はあくまで乳幼児が“母の声”を聴き取るために特殊につくられたものであり、その子どもが成長すると、とりあえずはもはやそれは必要がなくなったのではないか、と僕は考えています。当時、ウェルニッケ野は、あくまで「乳幼児期に限定的に働くもの」だった。
 そういう特殊な部位であったウェルニッケ野が、しかし付属的に、まったく新しい感受性をホモ・エルガステルにもたらすようになった。それが、外界に“”を感じるという感受性である、と僕は考えます。そして、その“声”の感受こそ、「意識出来る能力」の生成につながった要因なのではないか、と考えているのです※。
 これが僕の仮説の第二段階です。
※もちろん、それは徐々に形成されていったものなのでしょう。「二足歩行」が完成したからといって、急に「ウェルニッケ野」が形成されたわけではない。そこには長い年月、何世代もまたいだ、母と子の懸命なコミュニケーション作業があったはずです。急に完全な「意識出来る能力」が出現したわけはなく、徐々にそれは形成されていったのではないでしょうか。徐々に、世界は人間に新しい表情を見せるようになっていった。時間をかけて(それが数万年か、それとも数十万年なのかは、まだ分かりませんが)、外界はひとつひとつはっきりとした輪郭を伴うようになっていった。

 太陽の下、樹の葉がさわさわと揺れている※。
 光を反射させ、さまざまな色合いにそれは輝いている。
 その揺れる葉の、一枚一枚の存在感。……
 樹の葉がそれそのものとして、はっきりとした輪郭を伴って迫ってくる。単なる姿かたちを超え、その存在から自分への、何か語りかけのようなものを感じる。色彩とその動きに、(ハッ……)と目の覚めるような何か、を感じる。そのような、ものから受け取る原初的とも言える印象を、僕はここで、ものが“声”(のようなもの)を発している、と表現しているのですが――。
※音声というものは、細かな「振動」で成り立っています。視覚的なものに“声”を感じる際、「細かに揺れている(振動している)」、という点は、非常に重要な要素なのではないかと思います。僕は、揺れる樹の葉に、特に“声”(のようなもの)を感じることが多いのです。が、この点に関しては、まだまだ考察中です。
Popura6

 ウェルニッケ野は聴く力を司っていると言われます。その聴く力とは、人間の言語のみを対象としているのではない、と僕は考えます。僕たちの目に映る外界にも、その聴く力は働いているのではないか……。
 日本語には、「耳を澄ます」という言葉があります。この耳を澄ますという言葉は、非常に独特です。ただ注意して、音に耳を傾けるという意味ではない。「澄ます」という表現を使っているということは、むしろ自分を澄ませて――からっぽにして音を呼び込む、という方が、この言葉の持つニュアンスに近いような気がします。
 耳を澄ます――この行為は、実は、「原人(ホモ・エルガステル)」の時代にさかのぼるものである、と僕は考えています。この行為は僕たち人間にとって、それほど根源的な、重要なものなのではないでしょうか。耳を澄ますとは、つまり、外界に対して聴く力を働かせるということに他なりません。ものに対するみずみずしい認識には、この耳を澄ますという姿勢が欠かせません。

 外界から感受するものそのものの“声”といっても、それは様々なものがあるでしょう。
 樹の“声”。
 揺れる葉の“声”。
 おいしそうな果実の“声”。
 瞬く星の“声”。
 うなる風の“声”。
 地平線の向こうに沈む夕日の“声”。……
 ただ、その“声”の感受の下地にあるものは何かというと、それはやはり“母の声”なのではないか、と僕は考えます。他でもない、このウェルニッケ野という部位の生成そのものに関わっている、母親の語りかけてくる“声”、自分を呼ぶ“声”……。
 この世界において、僕たちはもちろん、多様な・個性的な“声”を聴き取ることが出来ます。この世界に、ものが他の何ものでもない、それそのものとして、一つ一つ同等に存在しているように。
 しかし、その根底にあるのは、やはり“母の声”なのではないでしょうか。自分をぎゅっと《あたたかい腕》で包み込んでくれる、懐かしい“母の声”です。この世界に存在する一つ一つのものそのものを、それそのものとしてなさしめている、“母(なるもの)の声”です。
 よく晴れた空。
 湖のほとり。
 さわさわと揺れる樹の葉。
 頬をなでる風。
 かすかに波立つ、湖の水面。
 大きくなったホモ・エルガステルの子は、ひとり外界に接するとき、そこに他でもない、懐かしい“母の声”を聴いた……。
 僕はこのホモ・エルガステルの時代になって、そのようなことがはじめて起こったのではないか、と考えています。外界に、“母なる声”を「聴き取る」という――。つまりその瞬間、世界そのものが、《母のあたたかい腕》となった。《母のあたたかい腕》の外界への拡張――という現象が、この原人の時代になって起こるようになったのではないか、と考えているのです。
 そしてそのとき、
 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
 という感覚が、彼のうちに湧き起こったのではないか、と……。
 それは《母のあたたかい腕》に包まれているという「安心感」であり、また大いなる「喜び」の感情でもあります。そのときはじめて、彼は「いま・ここ」にいる自分も、自分そのものとして確かに自覚した。果実の“声”、揺れる葉の“声”……など、外界の“声”一つ一つを根底でさらに包み込んでいる、やさしき“母なる声”を聴き取ったとき、はじめて彼のうちに「いま・ここ」で包まれている「私」という感覚が沸き起こった――。

 何かに包まれることで
 ぽっかり空いた空間――それが“私”。

 あたたかな何かに抱きしめられることで、
 確かに感じた輪郭線――それが“私”。

 やさしい何かに微笑みかけられることで、
 思わずもらした笑い声――それが“私”。

 それは、抱きしめられることで出現した、「自分」という存在の輪郭です。母なる腕で包まれることによって意識された、「自分」という存在そのもの輪郭線、皮膜です。
「自己同一性」という言葉がありますが、つまり右のようなことは、この自己同一性ということを、僕なりの言葉で語っている、ということでもあります。「人間のこころ」の本質とは、この原初的な自己同一性にあります。
 対して、「動物のこころ」は、「集団同一性」をその本質としています。それは、「主客未分」的なこころです。もちろん、僕たち人間も、主客未分的なこころになることはあります。祭りやスポーツ、音楽に熱狂しているときなど。そのとき、僕たちのこころは、自分と他者との境界線があいまいになっています。その主客未分なこころももちろん大切なものです。どちらのこころのほうがより古層にあるかというと、それは「動物のこころ」・「植物的なこころ」に由来する、主客未分なこころです。
 ただ、僕がこの文章において、新しい層である「人間のこころ」の原点として位置づけたいのは、主客未分ではない、それそのものとしての輪郭がはっきりとした原人の「こころ」です。自分そのものが「いま」確かに「ここ」にあるという、原初的な自己同一性をその本質とする原人のこころです。
 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
 この原人の時代に湧き起こった世界認識こそ、僕たち「人間のこころ」の本質である、と僕は考えています。


 私は、ふうっと溜め息をついた。
 いよいよゲンジン先生の本領発揮か――。
 仮説の一番目は、納得出来る出来ないは別として、内容の理解は出来た。しかしこの第二の仮説に至って、ところどころ理解自体が困難な文章がある。
 まず、やはり“声”ということ。この文章のおそらく核となる部分だとは思うのだが、それがどうにもピンと来ない。ウェルニッケ野は人間の「声」を聴き取る際だけではなく、外界に接したときにも働く、と。そのとき外界の発する“声”が感受され、それが「意識出来る能力」につながる。そしてその外界の“声”の底辺にあるのは、懐かしい“母の声”である……と。
 うーむ。これは詩ではないのか。少なくとも論文とは思えない。これは、彼個人の詩ではないのか。このような文章を、私はどう批評をすればいいのだろう?私は文芸評論家ではないぞ。
 脳の言語野というものも、単純に「ウェルニッケ野」と「ブローカ野」だけに絞れるものではない。この二つ以外にも言語に関して、様々な脳の部位が関わっている。まあ、そう言い出すと、話が非常にややこしくなってくるが……。
 と、ひとつひとつ突っ込んでいたらきりがないようので、とりあえずは素直に彼の文章を読んでみることにしよう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第13回 原人型世界認識(10)

 仮説③ ブローカ野 ~つながりを見出す~

 いままで、主にウェルニッケ野について述べてきました。外界の明晰な自覚には、このウェルニッケ野が必須である、というのが僕の考えでした。
 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
この感覚に重要な働きをしているのがウェルニッケ野である、と。
 この感覚にはもうひとつ関わっていると僕が考える、脳の言語野があります。それが、先ほども少し述べました「ブローカ野」です。
Photo_2
 ブローカ野は詳しくは「運動性言語野」と呼ばれます。このブローカ野が侵されると、言葉を理解することは出来るけれど、うまく発話したり文字を書いたりすることが出来ない、という現象が起きるとされ、一般に「言語の発話」に重要な働きをしていると言われています。位置としては、左脳の「前頭葉」の後方に当たります。
 ただ、今現在僕たちホモ・サピエンスのブローカ野と、百数十万年前の「原人(ホモ・エルガステル)のブローカ野では、もちろんその発達の度合いに違いがあるようです※。ここ数年の研究で、このブローカ野が、今現在の僕たちと同等なものになったのは、古くさかのぼってもせいぜい20万年ほど前のことであった可能性も出てきました。ブローカ野がいま現在と同等なものとなって完成した背景には、およそ20万年前(の前後)にホモ・サピエンスに起こったとされる遺伝子の変異がおそらく関係している、ということが分かってきたからです(参考:『歌うネアンデルタール』)。
 つまり当時、ホモ・エルガステルの時代にはブローカ野はまだ出現していないか、出現していても少なくともあまり発達していなかった可能性が高いのです。当時、彼らはまだ、僕たちホモ・サピエンスのように複雑な「言語の発話」をすることが出来なかった。
※「ホモ・エルガステル」が活動していた年代は、およそ百数十万年前から60万年前と言われています。

 しかし一方、実はサルにも、ホモ・サピエンスのブローカ野に相当する部位はあるようなのです。その部位は、サルにおいて「模倣する能力」を司っている、と言われています(参考:『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005)。猿真似という言葉もありますが、サルは他の個体がある動作をすると、その動作を同じように真似することがよくあります。そのような、他者の動作を「模倣する能力」です。
「言語を発話する能力」と、「模倣する能力」――、このふたつの能力は、一見関係がないように見えます。しかし、脳の部位としては、同じ「前頭葉」後方で一致しています。つまりサルのこの「模倣する能力」を司る部位が、次第に発達して出来上がったのが、ホモ・サピエンスのブローカ野である可能性が高い、ということがここ数年の研究で明らかになってきたのです。

 サルの「前頭葉」後方がなぜ、「模倣する能力」を司るとみなされるようになったのかというと、その部位にその能力を司る、特殊な「ミラーニューロン」と呼ばれるニューロン※が見つかったからです。
※ニューロン(神経細胞)は、核を持つ細胞体と、樹状突起、アクソン(軸索)と呼ばれる部位からなります。ひとつのニューロンは、シナプスと呼ばれる結合部位を通して、隣のニューロンと相互作用します。樹状突起はニューロンの「入力部」であり、他のニューロンからの信号を、シナプスを通して受取ります。軸索は「出力部」であり、シナプスを通して、他のニューロンへ信号を伝達します。脳の各部位の働きとは、つまりこれらニューロンネットワークによって成り立っています。
Photo_3
「ミラーニューロン(鏡ニューロン)」は非常に複雑な反応特性を持つ特殊なニューロンで、《他者の行為をに映すように模倣するとき働く》(『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005)と言われます。このミラーニューロンは1990年初頭、イタリアのパルマ大学の研究グループがサルの大脳皮質のニューロン活動の計測をしていた際に偶然発見され、脳科学の世界にセンセーショナルを巻き起こしました。
 ミラーニューロンの発見がなぜそんなにセンセーショナルだったかというと、従来の脳の「機能局在説」を大きく揺るがすものだったからです。
 1861年にブローカ医師によってブローカ野が発見されて以来、脳科学の世界では長い間ずっと、「脳の機能は各部位に局在している」という考えが一般的でした。ある部位は視覚を司り、ある部分は聴覚を司り、またある部分は運動を司るというように。脳の機能とは各部位に別々に局在している――。しかしこのミラーニューロンの発見は、脳の機能とはそんなに単純に区分け出来るものではないのではないか、という問題提起を人々の前に叩きつけることとなったのです。
「模倣する能力」――。実はこの能力は、非常に複雑な仕組みによるものです。たとえば、他者の動作を「見る」というのは視覚に関わることです。一方、自分がある動作を「する」というのは、運動に関わることです。その両者に対して同じようにミラーニューロンが活性化するということは、そのニューロンネットワークにおいて視覚と運動が同じものとして一体化している、ということです。また、その模倣をしている自分の運動が、対象の運動と同じであると判断するには、自分の運動をモニターする体性感覚も融合されている必要があります(参考:『心を生みだす脳のシステム~「私」というミステリー~』茂木健一郎=著 NHKブックス 2001)。このような、非常に複雑で精巧なミラーニューロンが存在するということが判明した以上は、単純に脳の機能は局在しているとは、もはや言えなくなってきたのです。
 この特殊なミラーニューロンが発達した背景には、霊長類の樹上の生活の影響ということが大きいのではないでしょうか。樹上の生活による視覚の発達と、手の発達です。樹上の生活に変化することにより、霊長類のその世界認識は視覚優位のものとなった、ということは先ほど述べました。霊長類はグループをつくって樹から樹へ、枝を手でつかんで機敏に移動していきます。そういう生活において、前を行く相手の動作を「模倣する能力」が発達していったのではないか、などと僕は見当を付けています。たとえば、両手を使って枝から枝へ移動する親ザルの後ろを、子ザルたちが同じようについていく光景はよく見られますが、そういう樹上生活の「運動」の中から、このミラーニューロンというものは大脳皮質の運動野に生成されていったのかもしれない、と僕は考えています。つまり、僕のこの考えで言うと、ミラーニューロンというものは、霊長類において特殊に形成された神経細胞ということになります。(が、その裏づけはまだ取れていません。)

 先ほど、このミラーニューロンが見つかったサルの「前頭葉」後方と、ホモ・サピエンスのブローカ野は部位としては一致している、ということを書きました。これは、国立身体障害者リハビリテーションセンターの西谷信之氏が、ヘルシンキのグループと一緒に行なった実験によって明らかになったことです。
 西谷氏は、被験者の人間に、①指を勝手に運動させる、②他人がやっているのを見せる、③他人のやっているのを見て模倣をさせる、という三つの運動をさせ、そのときそれぞれ脳のどの部位が活性化するか、という実験を行ないました。その結果、③の相手の動作を模倣するときに明らかに活性化している部位があり、それがブローカ野である、ということが明らかになったのです。西谷氏はこの結果を踏まえて、「ブローカ野は本来は模倣をする領域だったのではないか」という結論に至りました。
 神経内科医の岩田誠氏は、この西谷氏の結論は非常に理にかなっている、と述べています(『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005)。岩田氏は、「赤ん坊は母親の声を聴き、同時にその口もとをみながら、母親が発したのと同じような声を出す」という京都大学霊長類研究所の正高信夫氏の幼児の言語発達の説を取り上げつつ、「ブローカ領域がもともと模倣の領域だとして、母親の唇の動きを見て声の音を聴いて真似をしようとすることから発話が出てくるとすれば、その領域が発話の中枢になっていると考えることは非常に理にかなっている》と述べます。ブローカ野の「言語を発話する能力」と、サルの「前頭葉」後方の「模倣する能力」がどうつながっているかというと、背景にこういう理由があるからではないか、ということです。
 僕は、ホモ・サピエンスの赤ん坊が母親(や周囲の人間)の言葉を真似て言葉を覚えていく、という正高氏の説自体には異論はありませんが、ただ私は岩田氏と異なり、「ブローカ野は本来は模倣をする領域だった」という西谷氏の結論には少々異論があります。
 そもそも、ミラーニューロン(や、それが集まるサルの『前頭葉』後方)の働きの定義とは、本当に「模倣する能力」ということでいいのでしょうか……?
 もちろん、先に述べたように、(僕の説が正しければ)樹上の生活にて前を行く相手に機敏についていく「運動」からこの能力は生まれてきたのであり、そういう意味では、確かにこのニューロンは相手の動作を「模倣する」必要性から生まれ出てきた、ということが出来ます。しかし、この「模倣出来る」という能力の以前に、ミラーニューロンには、もっと根本的な能力があるのではないでしょうか。その根本的な能力があるからこそ、サルは相手の動作を真似ることが出来るのではないでしょうか。
 その能力とは「つながりを見いだす能力」である、と僕は考えます。相手の動作と自分の動作の間に同じである点、つまり「つながり」を見いだす。また自分の脳内において、ある部位とある部位の間に「つながり」を見いだす。この「つながりを見いだす能力」があるからこそ、サルは相手の動作を「模倣する」ことが出来ているのではないでしょうか。
 ミラーニューロンとは本来、「つながりを見いだすという特性をもったニューロンである、というのが僕の定義です。もちろん、これは僕がそう勝手に定義しているだけなのですが……。
 西谷氏の実験の結果を僕なりに受ければ、「つながりを見いだす能力」を司っている「前頭葉」後方が、特に発達したのが現在のホモ・サピエンスのブローカ野(とその周辺)である――ということになります。
 ではなぜ、いままで脳科学の分野においてミラーニューロンが、一般に「模倣する能力」とされてきたのかというと、そこではサルと人間の世界認識の定義がいまだ不明確なままである、というところにその要因のひとつがあるのではないでしょうか。僕の区分では、サルの世界認識はまだ多分に「動物のこころ」に即し、ものそのものの範囲が不明確です。よって、彼らが対象に「つながり」を見いだせるとしたら、「動作」(運動)など、ぱっと簡単に認識しやすいものに限るのです。(また、手を伸ばす・握る・叩く・食べるなどの動作は、生において必要不可欠な動作です。)
 一方、僕の区分では、ホモ・サピエンスの世界認識はものそのものを認識できる、つまり「名詞」的な世界認識をその基調に持っています。よってホモ・サピエンスは、「動作」のみならず、さまざまな対象に、「つながり」を見いだすことが出来ます。目の前の、静止している赤いゴムボールと、脳内のりんごのイメージをつなげる。りんごのイメージと、それを食べている自分のイメージをつなげる。――この両者の世界認識の定義を明確にすると、ミラーニューロンの捉え方もまた変わってきます。
 これは僕の勝手な予想ですが、他者の動作の模倣ではなく、たとえばひとりで連想ゲームをしている人の脳を測ってみれば、きっとブローカ野は活性化しているのではないか、と思います。
つながりを見出す能力」、言い換えれば、
 異なる領域にあるものとものを互いに結びつける力――
 この能力は、言語というものを考えるうえで、そして「人間のこころ」を考えるうえで、最も重要なものである、と僕は考えます。実は、この能力こそが、ホモ・サピエンスの様々な文化を発達させてきたその要因である、と僕は考えているのです。
 10万年前から20万年前の間の或る時、ホモ・サピエンスの遺伝子に変異が起きたと言います。その変異により一気に爆発したものこそ、この異なる領域にあるものとものを互いに結びつける力である――と僕は考えているのですが、その発芽はどうやら霊長類の「模倣する」姿に見られる、ということになるようです。ホモ・サピエンスが発達させた「サピエンス」(知恵)の発芽は、サルの「模倣する」姿にある……と。ただ、この「つなげる」能力に関する考察はとてつもなく重要なので、また後ほど、詳しく行なっていこうと思います。
 とりあえず、僕の仮説の第三段階は、一行で要約すれば次のことです。
 ブローカ野の司る根本的な能力とは、「つながりを見出す能力」である――。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第14回 原人型世界認識(11)

 仮説④ 自分そのものの輪郭の出現 ~“母なる声”に包まれて~

 前項の冒頭で、
 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 という感覚にはブローカ野が関わっている、ということを書きましたが、肝心のその点に関して、まだ何も述べていませんでした。よって、これから述べていこうと思います。

 よく晴れた空。
 湖のほとり。
 さわさわと揺れる樹の葉。
 頬をなでる風。
 かすかに波立つ、湖の水面。
 ホモ・エルガステルはひとり外界に接するとき、そこに、懐かしい“母の声”を聴いた……。
 先ほども述べました、この《母のあたたかい腕》の外界への拡張――という現象。外界の様々なものの“声”の根底に、“母なる声”を聴く、という現象。
 これはつまり、ホモ・エルガステルの脳内において、外界と、幼い日の《母のあたたかい腕》との間に「つながり」が見出されている状態である、と言えます。
 具体的な脳の部位で言えば、ウェルニッケ野をはじめとする諸感覚野から入力された情報と、哺乳類的な大脳辺縁系が密接につながっている状態である、と僕は考えます。大脳辺縁系とは、大脳皮質の下の層に位置している古い脳のことを指し、本能や原始的な感情を司っている器官と言われています。
Photo
 大脳辺縁系の中の「海馬」という部位は、記憶に関する重要な役割を司っているとされています。そのそばにある「扁桃体」という部位は、主に「本能」や「情動」などに関する働きを受け持っています。僕たちが持つさまざまな情動は、この扁桃体の働きと密接です。
 扁桃体は諸感覚野からの入力情報を集め、そして植物性神経(副交感神経性と交感神経性)などにその刺激を伝えます。心臓がドキドキする、汗をかくなどの身体の反応も、この扁桃体の働きかけによるところが大きいようです。
 アメリカの神経学者ポール・マクリーンはよく知られるように、人間の脳を《爬虫類の脳》《哺乳類の脳》《霊長類の脳》に区分けしましたが、おおざっぱに区分けすると、この大脳辺縁系は中間の《哺乳類の脳》に相当する、ということが出来ます。
 大脳皮質から「入力」された情報を、この「哺乳類的」な大脳辺縁系へつなげる重要な役割を果たしているのがブローカ野です。ブローカ野がうまくこの大脳辺縁系に橋渡ししてくれないと――つまりうまく大脳辺縁系との「つながり」を見いだしてくれないと、何らかの「記憶」や「情動」が湧き上がるということも起こりません。
 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。
 
 この認識が僕たちのうちに湧き上がるとき、そこにはブローカ野によって見出された、外界と大脳辺縁系との強い「つながり」が存在しているはずです。
 自分そのものの自覚とは、「抱きしめられている」という感覚によって出現したのではないか、ということを先ほど僕は書きました。自分という輪郭線とは、母なる腕で抱きしめられているという感覚によって、浮き上がってきたものなのではないか、と。

 何かに包まれることで
 あたたかな何かに抱きしめられることで、
 確かに感じた輪郭線――それが“私”。……

 母親に抱きしめられているとき、「安心感」「幸福感」が赤ん坊のうちに湧き上がります。そのとき、最も活性化している脳の部位とは、情動を司る「哺乳類的」な大脳辺縁系(特に扁桃体)であるということは言うまでもないことでしょう。
 母親のお腹に、からだをくっつけあって寄り添う子犬たち……。そのとき、彼らのうちでも、大脳辺縁系が活性化しています。からだを触れ合う安心感。母親に包まれているという幸福感――。それらは動物、サル、人間を問わず、哺乳類みな共通のものです。
 ただ、外界をはっきりと(名詞的に)認識する能力のない動物は、その幸福感が湧き上がってくるのは、実際にからだを触れ合っているとき――原始的な「触覚」や「嗅覚」が働いているとき――のみです。だからこそ、動物はからだをくっつけあうのが好きです。彼らは折々につけ、からだをくっつけあうことで、その幸福感を湧き上がらせています。
 一方、「意識出来る能力」が発生した人間は、たとえ家族から自分のからだが遠く離れていても、外界をはっきりと認識することで――新しい大脳皮質の「視覚」や「聴覚」の働きで――、その包まれている幸福感が湧き上がってくるようになりました。
 この点において、人間が動物と異なるのは、その幸福感が、
(包まれている『自分』が、確かに、ここにある――)
 という「いま・ここ」の自己意識の「目覚め」へと向かう点です。「動物のこころ」において、その幸福感は、自分もなく他者もない主客未分な一体感へと向かうでしょう。しかし「人間のこころ」において、その幸福感は自分そのものの輪郭の自覚、原初的な「いま・ここ」の自己同一性へと向かいます。ここが、「動物のこころ」と「人間のこころ」の違いです。
 大脳辺縁系が活性化しているということは、それにつながる植物性神経も活性化し、結果、心拍の上昇・発汗などからだの変化が見られるということになります。私たちはよく、発汗や心臓のドキドキする高鳴りによって「いま・ここで生きている」という感覚を得ることがあります。この“私”(=意識)の自覚とは、こうした身体感覚をひっくるめての自覚です。

 それにしても、なんと喜ばしいことなのでしょう、外界をはっきりと認識することで、“母なるもの”に包まれている喜びが、人間のうちに再び湧き上がってくるようになったとは……!これは、数億年におよぶ哺乳類の長い歴史の、ある一点に起こった「奇跡」と言っていい、と僕は思います。
 そしてこの奇跡の背景には、外界そのものと、《母のあたたかい腕》との間につながりを見いだすブローカ野の働きがあります。
 (似てる…)(同じ…)(ママ…)
 ものが発している“声”と、懐かしい“母なる声”との間につながりを見いだす、ウェルニッケ野(をはじめとする諸感覚野)と、大脳辺縁系との間につながり見いだす――ブローカ野の神秘な働きがあるのです。
 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 この感覚にはブローカ野が関わっている、という説の詳しい説明は以上のようなことです。これが、僕の仮説の第四段階です。

……

 ウェルニッケ野(をはじめとする諸感覚野)が感覚する外界――。
 大脳辺縁系に蓄えられた幼い日の《母のあたたかい腕》――。
 原人の世界認識において、ブローカ野はそれら両者を結びあわせます。何の余計な想いもなく、ただ「つながり」を見いだし、結びあわせます。
 「ただ結びあわせよ。……(Only Connect……)」
 これこそが、はるか原人の時代から響いてくる、ブローカ野の本当の“声”なのではないでしょうか。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第15回 原人型世界認識(12)

 仮説⑤「名詞としての言葉」の誕生 ~吸い込まれる“母なるひびき”~


 僕たち人間も、もちろん哺乳類の一種です。
 哺乳類の特徴といえば、「母乳」と、それを吸うための「唇」です。母乳をこぼさずに吸うことが出来るように、哺乳類は唇から頬にかけての筋肉が発達しています。爬虫類には唇がありません。たまごから生まれ、母乳を吸う必要のない爬虫類には頬や唇の筋肉がなく、口は裂け歯列は露出しています。
 解剖学者の三木成夫氏は、哺乳類の象徴音とは「唇音」である、と述べました。唇音とは、マ行の音「マ・ミ・ム・メ・モ(ma・ mi ・mu ・me ・mo)」のように、唇を介して発音される音のことを言います。ネコの「ミャー(mya)」、ウシの「モー(mo)」、ヒツジの「メー(me)」。また、人間の赤ん坊の「ンマンマ(nmanma)……。この「唇音」が、僕たち哺乳類の象徴音である、と。
 一方、唇を持たない爬虫類が発するのは「口蓋音」です。口蓋音とは、カ行の「カ・キ・ク・ケ・コ」など唇を介さず発音される音を指します。もし中生代の恐竜の発した音声を再現するとなれば、このカ行の音を考えなければならないだろう、と三木氏は述べます。また、この口蓋音は僕たち哺乳類においても、たとえば「叫び」においてその本性を現すだろう、とも述べています。ただ、やはり僕たち哺乳類の日常を彩る象徴音といえば、この吸乳から出る唇音をおいてほかにはない。そしてこのことは、人間の言葉の発生を考える上でも忘れてはならないだろう、と(『胎児の世界~人類の生命記憶』中公新書 1983)。
 言葉の発生を考える上で、吸乳から出る唇音ということを忘れてはならない――。
 三木氏はこの点についてそれ以上詳しくは言及していませんが、この言葉は非常に重要な意味を含んでいるのではないでしょうか。言葉の発生と、哺乳類の唇音は密接な関係にある……。
「人間の言葉」――それはいつ、誕生したのでしょうか。
 分節化された音声と叫声の中間であるような「原始言語」は、少なくとも原人(ホモ・エルガステル)の時代に誕生していたのではないか、と考える専門家もいます。僕も「人間の言葉」が発生したのは、他でもないこのホモ・エルガステルの時代である、と考えています。
 動物と人間を別つ人間独自の言葉、それは「名詞としての言葉」である(と僕は考えている)、ということは既に述べました。その原始的な名詞とは、音声としては、たとえばホモ・サピエンスの赤ん坊の発する「ンマンマ(nmanma)」などの唇音に非常に近いものであったのでないか、と推測できます。「ンマンマ」、「ママ」――。僕たちホモ・サピエンスは母親のことを「ママ(mama)」と呼びますが、もしかするとその起源はとてつもなく古いものなのかもしれませんね。
 ただ、僕はこの哺乳と言葉という視点をもっと推し進めてみようと思います。言葉とは、もはや僕たちホモ・ホモサピエンスの存在そのものと切り離すことが出来ないものです。このかけがえのない「言葉」というものの誕生の背後には、劇的な出来事が、百数十万年前に原人の身体に起こっていたのではないだろうか、と僕は考えています。

 哺乳類の鳴き声は、基本的には吐き出すことによって発音されます。ウシの「モー」。ヒツジの「メー」、ネコの「ミャー」……など。
 しかし、それら鳴き声を成り立たせている唇や頬の筋肉は、本来は母親の乳を吸い出すために発達したものでした。唇とは、そもそもは母乳を「吸い出す」ために発達した部位です。哺乳類特有の鳴き声――「吐き出す」唇音とはその結果、付属的に現れたものである、と言うことが出来ると思います。
哺乳類の「幸福感」「安心感」はみな共通、ということは前項で書きました。母親のお腹に、からだをくっつけあって寄り添う子犬たち。そのとき、大脳辺縁系(特に扁桃体)が活性化しています。自分が包まれているという「幸福感」は、哺乳類みな共通です。
 そしてそのときなされるのが「吸う」という運動です。母親に包まれながら、安心しリラックスした状態で、赤ん坊は一心に母親のお乳を吸う……。
 人間の赤ん坊が母親のお乳を「吸う」運動は「大脳基底核」の働きによります。
大脳基底核とは大脳辺縁系のさらに下にある部位で、小脳とともに「運動」の調節に深い関わりを持っています。体がスムーズに動くよう調節する役割を担っており、この部位に障害を持つと運動を自在に行うのが困難になると言われます。有名なパーキンソン病も、この大脳基底核の障害によります。
Photo
 僕たち人間はさまざまな表情をかたちづくることが出来ますが、それもこの大脳基底核の働きによります。僕たちが微笑むことが出来るのも、この部位のおかげです※。大脳基底核は頬・唇など顔面の筋肉と連動しています。つまりその点からも、大脳基底核が「哺乳する力」を司っているということが分かります。
 大脳辺縁系の「情動」。そしてその下の大脳基底核の「運動」――。この二つがしっかりと組み合わさることにより、赤ん坊は母親のお乳を吸うことが出来るのです。
※微笑みは、大脳辺縁系と大脳基底核のささやかな、しかし最も原初的な共同作業により生まれます。アルカイック・スマイルという言葉もありますが……。赤ん坊は微笑みます。何かに満ち足りたように、ひとり微笑みます。仏も微笑みます。目を閉じ、そっと微笑みます。それは、言葉になる前の、決して実際の言葉にはなることのない、けれどももっとも原初的な「言葉」であります。沈黙と限りなく親しい――。

 つまり、僕の立てた第五の仮説とは以下のことです。
“母なるもの”に包まれているという大脳辺縁系の「幸福感」は、その下の大脳基底核の「哺乳」部位と結びついた。大脳基底核の「吸う」という運動を喚起した。そしてその吸い込む運動に伴って、自然と発音されたものこそ、「人間の言葉」なのではないか――。
 その発生時において、「人間の言葉」は、それまでの動物の言葉とはまったく違う脳の部位が関わることによって発声された、と僕は考えます。
 仲間への危険の示唆・異性へのアピールなど、多くの生きものが行なう「意思伝達としての言葉」ではなく、犬の遠吠えなどの「こころの異和としての言葉」でもなく、スズメがチュンチュンと囀る「生の充溢としての言葉」でもない。それら従来の「動物の言葉」より、「人間の言葉」はさらに原初的な部位が作動することから発された。つまり、大脳辺縁系のさらに下にある、大脳基底核の「哺乳」部位が――。
 それは、顔面の筋肉だけではなく、肺・横隔膜をも使ったダイナミクスな「哺乳」です。目の前いっぱいに満ちている“声”……それは、かたちを変えた母親の「お乳(ミルク)」ということが出来るのではないでしょうか。それを、ホモ・エルガステルは胸いっぱいに吸い込んだ。
 すると、付属的に「声」が出た。自分の声帯を通して、実際に「声」が出た。その「声」を、彼は両の耳で聴いた。「声」は、肺に収まった。
(これはなんだ……!?)
 それは、まったく新しい感覚だった。ものそのもの(が発する“声”・ひびき)が、吸い込むと、実際にものそのもの(声帯を通した『声』)となって自分の中に入ってくる……。
 ホモ・エルガステルはこの感覚を、感動をもってかみ締めた。これが、僕が考える「人間の言葉」の誕生の瞬間です。

 ただ、この説明だけでは少々分かりにくいと思いますので、具体的な例を用いてみます。外界に存在する自然物の中で、人間(およびすべての生命)にとって最も大切で根源的な存在である水。ここでは、「水」という名詞の誕生の瞬間に、僕なりに耳を澄ませてみようと思います。
Lake_turkana_satellite_2
(トゥルカナ湖の衛星写真)

 よく晴れた空。
 湖のほとり。
 さわさわと揺れる樹の葉。
 頬をなでる風。
 かすかに波立つ、湖の水面……。
 東アフリカには、トゥルカナ湖、ヴィクトリア湖、マラウイ湖など大きな湖が幾つもあります。
 ケニア北部、エチオピアとの国境に位置するトゥルカナ湖は、南北におよそ250キロ、東西には最大60キロもの幅で広がっており、そこにオモ川、ケリオ川、トゥルクゥエル川などの大きな川が流れ込んでいます。ホモ・エルガステルたちはおそらく、それら水の豊富な湖のそばの洞窟、また湖につながる川のそばの洞穴に、その住居を構えていたのではないでしょうか。サバンナという乾燥した気候での生活において、水源を確保することは彼らにとってなによりも重要であった、と想像出来ます。
 そういう意味で、湖のほとりとは、まさに僕たち「人間のこころ」の、原風景であると言うことが出来るのではないでしょうか。彼らホモ・エルガステルは、毎日のように湖のほとりに佇んでいたのかもしれません。それは百数十万年を隔てた遠い昔のことではありますが、しかし僕自身のこころの奥底にも、確かにこの「湖のほとり」というイマージュが存在しているような気がしています。
 その湖のほとりに佇む。湖の水に手をひたす。湖に全身を浸す……。
 そのとき、ウェルニッケ野の働きにより彼は水そのものの“声”を聴く。この、自身の喉を潤していくものの存在を、はっきりと意識する。それだけではない、ブローカ野の働きによって、その“声”に、あの懐かしい“母なる声”との「つながりを見いだす」。
(包まれている……。)
 彼の「こころ」に、再びあの《母のあたたかい腕》に包まれている喜びが湧き上がる――。
 そのとき、大脳辺縁系(の扁桃体)が活性化する。その「情動」とは、赤ん坊が哺乳する際に感じる「情動」と類似している。よって、その下の大脳基底核の「哺乳」部位が働き出す。そして彼は(半ば反射的に)吸い込む。自分を包んでいるやさしい“母なる声”を吸い込む……。
 チンパンジーに、“pant‐hoot(パント・フート)”と呼ばれる動作があるそうです。「ホッホッホッホッ」と笑い声のような音声を連続して発するこの動作において、声は息を吐く際だけでなく、吸う際にも同じように発せられるのだそうです。これは形態学的に分析すると、「類人猿で息を吸うときに声が出るのは、頭蓋が脊椎に対して直角に位置していないことにより、止むを得ず音が出てしまう」のが理由であるようです(『子どもはことばをからだで覚える~メロディから意味の世界へ』正高信男=著 中公新書2001)。
 僕たちホモ・サピエンスの場合、肺を出た空気はのどで直角に曲がって口にやってきます。このような喉頭の構造を持って初めて、僕たちは随意的に息を切ることが出来るようになった、と正高信男氏は述べます。正高氏によると、このような複雑な音声を発することが出来る構造を持っているのは僕たちホモ・サピエンスだけのようです。よってホモ・エルガステルは、音声を発する能力においては、チンパンジーなどの霊長類と似通っていた、と言うことが出来ます。
Photo

 つまり、彼が吸い込む運動をしたとき、自然に音声も出てしまった。吸い込んだ水そのものの“声”は、実際に彼の声帯を通して「声」となった。

 そして彼は、その「声」を両の耳で聴いた。
 「声」は彼の両の肺に入った。
 それはまったく新しい感覚……
 そのときはじめて、彼は水の「名」を知った。……

 これが、僕なりに耳を澄ませてみた結果、こころに浮かんできた「水」という名詞の誕生の瞬間です。人間がものの名を呼ぶという行為の、その誕生の瞬間です※。この僕の説が、真実に少しでもかすっているとするならば、「水」という名詞は、人間が母なる存在に限りなく近づいたとき、喜びの中から生まれ出てきたもの、ということになり、そしてそうであることを僕は願っているのですが……。
 言葉の誕生とは、苦しみの中からでもなく痛みの中からでもなく、喜びの中からこそ生まれ出てきたものである、ということを、僕はこの文章において微力ながら、主張してみたいと思うのです。はっきりと実証するにはまだまだ考察が足りないかもしれません。しかし、もし僕のこと説が真実に少しでもかすっているとするなら、それは素晴らしくハッピーなことなのではないでしょうか。なぜなら、人間の言葉は他でもない喜びの中から、祝福されて生まれ出てきたということになるのですから。
 ヘブライ語では水を「マイーム」といいます。それはまさしく哺乳類的な唇音からなる語であり、そして「ママ(mama)」という語のニュアンスに非常に近い語であります。
「水」という名詞の誕生において、こうも表現することが出来るかもしれません。
 湖のほとりに立ったとき、ホモ・エルガステルは「いま・ここ」で自分を包み込んでくれているやさしい存在、「お母さん(mama)」を呼んだ(吸い込んだ)――。
※「人間の言葉」の吸い込み説の、この「哺乳」バージョンの他に、もうひとつ想定され得るかもしれない、と僕が考えるバージョンがあります。それは、吸い込みの「笑い」バージョンです。
「いないいない、ばあ」と言って、母親が赤ん坊をあやすことがよくあります。そのとき赤ん坊は決まって笑います。母親が顔を隠して、「ばあ」とまた顔を見せる。そうすると赤ん坊は嬉しそうに笑います。
 人間の「笑い」というものが、大脳辺縁系の活動によって起こると考える神経科学者もいます。この笑いというものも哺乳と同様、古層の《哺乳類的》な大脳辺縁系、そして大脳基底核の活動によって起こる、という可能性も大いにありそうです。
 湖のほとりに立ったとき、ホモ・エルガステルは母親の(いないいない……)「ばあ!」を聴いた、そして嬉しくなって笑った(吸い込んだ)――。
(なんだ、お母さんはここにいるじゃないか……!)
 吸い込み説には、僕は今のところ、これら「哺乳」と「笑い」の2パターンを想定しています。そのどちらも、あり得たかもしれない、と。この二つでいうと、「哺乳」による吸い込みのほうが発達的に初期段階である、と言うことが出来ます。人間の赤ん坊は、生後すぐ哺乳を開始しますが、笑えるようになるのはしばらく経ってからですから。いずれにせよ、僕が強調したいのは、先ほども述べたとおり、どちらのパターンにおいてもそれは喜びの中で吸い込まれたのではないかという点です。
 ただ、僕が推したいのは、やはり「哺乳」による「吸い込み」のほうです。その理由には、この「哺乳」と、また後に述べます「遺伝子変異」ということとの関係があります。


 自分の中に「声」が入ってくるとは、どういう感覚でしょうか。
 僕たちホモ・サピエンスも、「深呼吸」ということをします。自然の中に身をおいたとき、思わず深呼吸する。深く息を吸う、深く息を吐き出す。肺一杯に空気を入れる。新鮮な空気を肺で味わう。この動作は当時への追憶、その名残かもしれませんし、この際に感じる気持ちよさは当時の“声”を吸い込む気持ちよさに似ているところがあるかもしれません。
 また、僕たちホモ・サピエンスは煙草を吸うのが好きです。葉っぱの煙を、「唇」から吸い込む。煙を肺にいれ、その味(ひびき)を味わう。この行為も、はるか原人時代の吸い込む言葉へのノスタルジーなのではないか、と僕としては考えています。先史時代から古くホモ・サピエンスのうちで行なわれていた喫煙という行為は、そういうことを考えると、なんだかとても根源的な行為である気がしてきませんか。一概に、喫煙というものは「体に悪いから止めよう」とは言えないものであるような気がします。(なんて書くと、禁煙を勧める人たちからは怒られるかもしれませんが)。
 ともあれ、このホモ・エルガステルの時代に誕生した「人間の言葉」とは、まだ「意味」以前の言葉である、ということが出来ます。意味以前、ものの「ひびき」そのものとしての言葉である、ということが出来ます。
 目の前に一本の大きな樹があるとして、この樹にはこういう用途(使い道)があるからこういう名をつけよう、ということではなく、またこの樹は何かのかたちに「似ている」からこういう名をつけよう、ということでもない。ただ、その樹の発する“声”に耳を傾け、その“声”を吸い込めばいいだけ。そうすると、その“声”は声帯を通り抜け、実際の「声」となる。ただ吸い込むことで、自然とその樹は自分の「名」を知らせてくれる。名付けるのではなく、名を呼ぶのです。
 それは、僕たちホモ・サピエンスが見失ってしまった「言霊」的な世界です。
「言霊」とは、口に出した言葉がそれそのものとなる、それそのものとなって目の前に存在するという、古代から世界各地で見られる思想のことを言います。言葉には、ものそのものの命が宿っている。言葉とは、生きて、うごめいている。当時、彼らホモ・エルガステルは生々しい言霊的な世界を生きていたのだ、と言えます。
「プネウマ」という言葉があります。プネウマとはギリシア語で、訳すと「風、息、霊、聖霊」という意味となります。ホモ・エルガステルが感じていたものそのものの“声”とは、言い換えれば、ものそのものを包み込むプネウマである、と言うことが出来るのではないでしょうか。言霊の「霊」とは、プネウマということと同意です。
 ギリシア語のプネウマという言葉を使うと分かりにくいかもしれませんが、日本にも「もののけ」という言葉があります。ものの、つまりものの気配です。
 ものに宿る、何か気配のようなもの。大樹には精霊が宿り、古い家屋や道具にも精霊が宿る……。いわゆるアニミズム的な感覚ですが、僕の言う「ものそのものの発する“声”」とは、別の表現をすると、「ものそのものの発している何か気配のようなもの」というと分かりやすくなるでしょうか※。ものが発している、何か表情のようなもの……。つまり、ものの(MONONO‐KE)とは、ものの(MONONO‐KOE)ということでもあります。 
※もののけには「妖怪」という意味もありますが、ここで言う「もののけ」とは、あくまでものの発するかすかな気配(表情、声、語りかけ)という意味合いで、捉えていただけたらと思います。かすかな気配、それはまるで微笑みのような……。

 もちろん、ホモ・エルガステルといえど、いつもいつもこの“声”を感じていたわけではないでしょう。サバンナという厳しい環境の中、主客未分な「動物のこころ」に戻っているときも多かったかもしれません。しかし、この認識は不意にやってきます。
 無自覚に外界に接しているとき、不意に、「明晰な」喜びが彼のこころを満たす。不意に、彼はものそのもの、自分そのものを自覚する。そしてそのとき、その都度、「人間の言葉」は生まれ出る――。
 ホモ・エルガステルの時代になって、人間は「言霊」哺乳類(プネウマ哺乳類)となったのです。

 見えるかな
 甘いミルク
 みずみずしいミルク
 感動するミルク
 透明なミルク

 その 樹の葉のところとか
 そこで さわさわ揺れてる 樹の葉のあたりとか
 青空 雲から覗く、あの澄んだ青空のへん
 夕焼けの あの赤とオレンジ色がグラデーションしているところ
 見えるかな
 甘いミルク みずみずしいミルク
 感動するミルク 透明なミルク
 やさしいミルク

 見えるかな
 そのミルクを一心に吸い込んで
 ああ 僕らだって
 僕らだって哺乳類!


 *


 吸い込む言葉とはそういうことか……。うーむ。
 私は先月の日曜日の朝、信慈が「お父さん」と吸い込んで言ったときのことを思い出していた。
 ゲンジン先生の言う、吸い込む言葉の背後には、このような考えがあったのか。依然として詩的な文章で、客観性には欠けるが、しかしなかなかこの視点は面白い。「僕らだって、哺乳類」か、ふふふ。彼は、子どもたちにどのような授業をしたんだろう。
 吸い込む言葉という視点は――たとえそれが事実でなかったとしても――示唆深いものがある。そういう授業を子どもたちにするのは、確かに良いかもしれない。言葉というものがあまりに簡単に吐き出され、それの持つ重みがどんどん失われていっている昨今、このような彼の問いかけは意味があると思う。言葉についてとらえ方も、また変わるかもしれない。私は彼の授業をちょっと、受けてみたいと思った。
 私は原稿をパラパラとめくった。途中、気になる言葉があったのだが……ああ、あった。

 ウェルニッケ野(をはじめとする諸感覚野)が感覚する外界――。
 大脳辺縁系に蓄えられた幼い日の《母のあたたかい腕》――。
 原人の世界認識において、ブローカ野はそれら両者を結びあわせます。何の余計な想いもなく、ただ「つながり」を見いだし、結びあわせます。
「ただ結びあわせよ。……(Only Connect……)」 これこそが、はるか原人の時代から響いてくる、ブローカ野の本当の“声”なのではないでしょうか。

 この部分の、《ただ結びあわせよ。……(Only Connect……)》という言葉。この言葉を、確か何かの本で読んだ記憶があるのだが……。何の本だったろう。いまはちょっと、思い出せないな。
 私はノートにこの言葉をメモしておいた。台所から、瑞恵が包丁で何かを切る音が聞こえてくる。
「ものそのものの発する“声”」ということ――。これを「ものそのものの発している何か気配のようなもの」と言い換えてもらうと、確かに少し理解しやすくなったが……。もしくは、「ものが発している表情」――。
 私はふと、母のことを思い出していた。10年前に死んだ母……。私はふと幼い日のことを思い出していた。


| コメント (0) | トラックバック (0)

第16回 原人型世界認識(13)

 仮説⑥「言語遺伝子」は本来は「哺乳」を調節する遺伝子……!?

 2001年、言語に関する遺伝子「言語遺伝子」が見つかったという論文が発表されました。
 それは「FOXP2遺伝子」という名で知られる、他の遺伝子の働きを調節するスイッチの役割を果たしていると考えられている遺伝子です。どうやら、この調節遺伝子※が、人間の言語に重要な働きを持っているらしい、と。

※遺伝子には、大きく分けて、体を構成するタンパク質をつくる構造遺伝子と、その遺伝子の「ON/OFF」を調節する調節遺伝子の2種類があります。
 遺伝子には、A・T・C・Gの科学文字で三十億字分の情報が保存され、その文字の配列によってさまざまなタンパク質をつくられています。爪をつくるべき位置にいる遺伝子は、爪をつくる特定の文字配列だけを「ON」にし、他の文字配列は「OFF」にして爪を生成します。当たり前の話ですが、或る体の部位から、別の体の部位が生えてきたら困るからです。この遺伝子の文字配列の「ON」を、別の言い方で「発現」と言います。
 そしてこの「ON/OFF」を調節する役割を果たしているのが、調節遺伝子と呼ばれる遺伝子です。この調節遺伝子のおかげで、体のひとつひとつの細胞には全ての遺伝子情報が保存されているにも関わらず、爪はただ限定的に爪になり、髪はただ限定的に髪になることが出来ています。「FOXP2遺伝子」とはつまり、この調節遺伝子のひとつです。

 ただ、この遺伝子が単体で言語を扱っているというわけではなく(言語能力には、多数の遺伝子が関わっていると考えられています)、この遺伝子が調節する遺伝子の中に、脳内の言語ネットワークを発達させるのに欠かせない遺伝子が含まれているらしい、ということが明らかになったのです。
 イギリスにおいて、特定の文法の理解に困難があり、唇や舌などの細かい口腔顔面運動にも困難がある、幾世代もまたいで言語に関して何らかの発達の遅れがある家系がありました。その家系を調査するうちに、症状が出ている人々において、或るひとつの遺伝子に異常があることが判明しました。それがこの、FOXP2遺伝子であったのです。
 しかし意外なことに、FOXP2遺伝子は人間だけではなく、他の哺乳類にもあるのです。ネズミとヒトでは、発現するFOXP2タンパク質の700のアミノ酸のうち、3つに違いがあるだけのようです。つまり、このわずかな違いが、人間特有の言語ネットワークにとって、重要な意味を持っているようなのです。(参考:『歌うネアンデルタール』)。
 もうひとつ重要なのは、哺乳類においてこのFOXP2遺伝子の働きは大脳皮質においてはあまり発現しておらず、大脳基底核でたくさん発現しているという点です。
 哺乳類の脳において、大脳皮質のブローカ野やウェルニッケ野に相当する部位には、このFOXP2遺伝子の働きは見られないようなのです。この事実を踏まえ、「言語というものは意外と低いレベルのところの働きが基礎になっているのかもしれない」と神経学者の岩田誠氏は述べます(『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005)。
 一方、ホモ・サピエンスにおいては、FOXP2遺伝子は大脳皮質にも発現しています(それはもちろん、変異した後のFOXP2遺伝子です)。特に、ブローカ野など、言語に関わる部位において多く発現しています。
 この違いはいったい、何を意味しているのでしょうか?

 FOXP2遺伝子が調節する役割を持っていた遺伝子には本来、「哺乳」に関する遺伝子があったのではないか――以上のデータを踏まえ、僕はこのように推測してみました。
 もちろん、FOXP2遺伝子が「ON/OFF」を調節している遺伝子は他にも沢山あるでしょう。ただ、哺乳類においてFOXP2遺伝子が調節している遺伝子の中のひとつに、「哺乳」に関する遺伝子が(もともとは)あったのではないか……?大脳基底核が「哺乳」運動を司っているということは先ほど述べた通りですが、哺乳類の脳において、大脳基底核にもともとFOXP2遺伝子がたくさん発現しているのは、そういう理由からなのではないでしょうか。
 ホモ・エルガステルの時代になって、はじめて吸い込む「言葉」が誕生した。それは、言い換えるとホモ・エルガステルの大脳皮質の「発話」に関する領域(ブローカ野など)に、新たに「哺乳」運動に関する遺伝子がONになった、と言うことが出来ます。「発話」運動と「哺乳」運動が密接な関わりを持つようになった。それはつまり、その「ON/OFF」を調節するFOXP2遺伝子がブローカ野などに多く発現する、ということにつながります。
 FOXP2遺伝子が調節する遺伝子の中に「哺乳」に関する遺伝子が含まれているのではないか――これが僕の仮説の第六です。
 さてさて、いよいよ次で最終、この仮説のフィナーレです。
 次の項を書き終えたとき、すべてがうまく、つながりはじめればいいのですが……!そうなることを願いましょう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第17回 原人型世界認識(14)

 仮説⑦ 遺伝子変異による「哺乳」スイッチのOFF ~吸い込む言語から吐き出す言語への転換~

 言語遺伝子の発見が世界を騒がせた翌年(2002年)、さらに大きな発見がありました。
 マックス・プランク進化人類学研究所のウォルフガング・エナード率いるべつの遺伝学者チームがチンパンジー、ゴリラ、サルのFOXP2遺伝子を調べた結果、FOXP2タンパク質のアミノ酸が僕たちホモ・サピエンスと二つしか違わないことが明らかになったのです。そして彼らはこの二つのアミノ酸の変異が、ホモ・サピエンスの発話と言語にとって決定的だった、と提唱しました(参考:『歌うネアンデルタール』)。
 FOXP2遺伝子の変異がホモ・サピエンスに起こったのは、最も古くておよそ20万年前頃ではなかったか※、と言われています。つまり百数十万年におよぶ人間の歴史から見ると、比較的最近の出来事なのです。この遺伝子の変異が起こってははじめて、ホモ・サピエンスはいま現在の僕たちと同等な、複雑な言語ネットワークを脳内に手に入れることとなりました。
※遺伝子の変異について、はっきりとした年代特定はいまだ成されていません。20万年前という専門家もいれば、10万年前、または5万年前である、と言う専門家もいます。この文章ではとりあえず、その遺伝子変異があったのは「およそ10万から20万年前の間」である、ということにしておきたいと思います。

 哺乳類において、FOXP2遺伝子は「哺乳」に関する遺伝子を調節する役割を果たしている――というのが僕の仮説ですが、そのFOXP2遺伝子に変異が起こるまで、言葉は吸い込んでしか発音されなかった、と僕は考えています。ホモ・エルガステルからホモ・ハイデルベルゲンシス、ネアンデルタール人、初期ホモ・サピエンスに至るまで、人間は言葉を吸い込む「吸気」によってしか発音していなかった。「発話」運動と「哺乳」運動が結びついていたからです。
 しかし、だからといって、彼らがまったく「吸気」でしか言葉を発していなかったというわけではもちろんありません。彼らは吐き出す「呼気」によっても、さまざまな発声をしていたでしょう。体が傷つくことによって思わずあげる「悲鳴」、自分の命を脅かす自然の脅威に対する「叫び」(こころの違和としての言葉)、また仲間に危険を知らせる「警戒音」、異性にアピールする「歌」(意思伝達としての言葉)、それら言葉を、彼らは吐き出す「呼気」によって豊かに発音していたでしょう。
 ただ、重要なのは、それら吐き出す言葉を彼らは「言葉」として認識していなかったのではないか、という点です。ものそのものを自覚し吸い込む「名詞としての言葉」だけが彼らにとっての「言葉」であり、それ以外のものは、彼らの認識においては言葉とは違うモジュール(部位、領域)にあったのではないか。つまり、「吸い込む」言葉以外の、「吐き出す」言葉に関して、彼らは依然として動物と同じように本能的に(意識の外で)に発していたのではないかと僕は考えています。
 およそ20万年前(か、その前後)にFOXP2遺伝子が変異してホモ・サピエンスに起こったこと。たった2つのアミノ酸の変化によって引き起こされたこと――それはいったい何か……。
 僕はそれは、大脳皮質の言語モジュールに関しての、遺伝子の「哺乳」スイッチのOFFであると考えます。

 FOXP2遺伝子が、「他の遺伝子の働きを調節するスイッチの役割を果たしている」、ということは前項で書きました。つまり、言語モジュールに発現していたFOXP2遺伝子のたった二つの文字配列の変化により、言語モジュールに関して「哺乳」遺伝子のスイッチはOFFになってしまったのではないか。FOXP2遺伝子が今まで調整を担当していた「哺乳」遺伝子のスイッチが、「発話」に関する領域のみ、OFFになってしまったのではないか――僕はそう考えます。
 この突然のスイッチのOFFにより、「発話」と「哺乳」の間にある「つながり」を、ブローカ野が見出せなくなってしまった。今まで吸い込んで発音していた「名詞としての言葉」は一転して、(従来の動物の言葉と同じように)吐き出して発音されるようになってしまった――。これが、僕の第七の、そして最後の仮説です。
 遺伝子そのものの変異ですから、その影響は絶大であったのではないでしょうか。いままで発話において自然に行なわれていた「吸う」という運動が、以来まったく(完全に、であるかはまだ留保をつけておきたいと思いますが)なされないようになってしまった。
 このおよそ20万年前に起こった遺伝子の変異こそが、百数十万年におよぶ人間の歴史の最も大きなターニング・ポイントである、と僕は考えます。
 今まで「吸い込んで」発音していた「名詞としての言葉」が一転して、「吐き出す」言葉となってしまうと、いったいどういったことになるでしょうか……?
「名詞」が皆、吐き出して発音されるということは、今まで無自覚に吐き出していた「呼気」による他の言葉もみな、同じ「人間の言葉」であるという認識をホモ・サピエンスにもたらすことにつながっただろう、と僕は考えます。
体が傷つくことによって思わずあげる「悲鳴」、自分の命を脅かす自然の脅威に対する「叫び」(こころの違和としての言葉)、また仲間に危険を知らせる「警戒音」、異性にアピールする「歌」(意思伝達としての言葉)――それら吐き出す言葉を、このときはじめてホモ・サピエンスは同じ「人間の言葉」であると意識しはじめるようになったのではないか、と僕は考えます。いままで無自覚に発されていたさまざまな吐き出す言葉が、「名詞」と同様にすべて、「言葉」として自覚されるようになった。
(あれも言葉、これも言葉。すべて、言葉……。)
 以来、大脳皮質のさまざまな部位は、言語野であるウェルニッケ野・ブローカ野と新たな「つながり」を持ちはじめたのではないでしょうか。言語を軸に、大脳皮質内に新しい、多様なネットワークがかたちづくられるようになったのです。言語を軸として、大脳皮質のさまざまな領域が、互いに流動的な「つながり」を持ち始めるようになった。これはつまり、ブローカ野の「つながりを見出す能力」がいままでとは違う方向(大脳皮質内)に、爆発的に開花しはじめた、ということでもあります。人間の脳はこのとき、言語を中心として新たに構造化し直された。そしてブローカ野は、吐き出す言語の中枢として完成した
「call(呼ぶ)」から「say(言う)」へ――。
 ホモ・サピエンスの高度な「言語の発達」※の背景には、「哺乳(吸い込む)」言語からの逸脱、ということがあると僕は考えます。
※「言語の発達」という点において特に重要であるのは、「意思伝達としての言葉」をホモ・サピエンスたちがはっきりと「人間の言葉」として自覚した、というところでしょう。現代を生きる僕たちが普段使う言葉の大部分が、他者への意思伝達の言葉であるというところからも、その重要性が分かります。他者への意思伝達を「言葉」で行なおう、というはっきりとした認識が生まれたとき、はじめて人間の言語は爆発的な発達を遂げた、と僕は考えます。

 その新たな変化が、「人間のこころ」に与える影響で決定的だったのは、ホモ・サピエンスが、「叫び」を「人間の言葉」だと認識してしまった点である、と僕は考えます。
 言語モジュールにおける遺伝子の「哺乳」スイッチがOFFになる以前は、「叫び」はまだ「人間の言葉」ではなかった。苦しみ、痛み、怖れ……それらはまだ主客未分な「動物のこころ」に属しているものだったのではないか、と僕は考えます。だから彼らは、「叫び」(こころの違和としての言葉)をはっきりと「自分のもの」として意識することはなかった。
 しかしこのとき以来、彼らは苦しみ、痛みをも、自分たち「人間のもの」として自覚するようになってしまった。「叫び」が、「人間の言葉」になってしまった。自分の命を脅かす自然の脅威、病気、老い、そして「死」――。
 人間の苦しみ、人間の痛み、人間の悲しみ……以来、いきどころのない「人間の叫び」というものが、数かぎりなく発せられるようになった(これら『人間の叫び』は、その後の神話や芸術の誕生、そして宗教の誕生へとつながっていきます)。
 三木成夫氏は「唇音」が、僕たち哺乳類の象徴音であると述べました。一方、唇を持たない爬虫類が発するのは「口蓋音」であり、しかしこの口蓋音は僕たち哺乳類において「叫び」においてその本性を現すだろう、と述べました。
「叫び」を自分たちのものとしてしまったホモ・サピエンス――。ホモ・サピエンスの「叫び」とは、原人時代の吸い込む「言葉」とは対極にあるものです。

“母なるもの”に包まれている喜びの中で、吸い込まれる「人間の言葉」、
“母なるもの”を喪失した悲しみの中で、絶叫される「人間の言葉」――。

 吸う・吐く――これら二つの「言葉」は、本当に同じ「人間の言葉」なのでしょうか。これら二つの「言葉」の間で引き裂かれている存在こそが、僕たちホモ・サピエンスなのでしょうか……。
 僕たちはいま、言葉は「吐き出す」ものである、ということを当然のこととしています。言葉は吐き出すものである、ということを信じて疑わない。しかし、それは本当に当たり前のことなのでしょうか……?
 およそ20万年前にあった遺伝子変化。確かにその影響は絶大であったかもしれません。しかし、その新しく形づくられた層の下から、何か懐かしい“声”が聴こえてはこないでしょうか。慌しい日常の意識においては、なかなかそのことに思い至れないかもしれません。しかしふと、足を止めて目の前の景色を眺めたとき、どこからか懐かしい“声”が聴こえてはこないでしょうか……。

 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 いままで何度も述べてきたこの世界認識こそが、僕たち人間の出発点であり、そしてそれはいまも、僕たちホモ・サピエンスの「こころ」においても原点であり続けているものである、と僕は考えます。
 遺伝子の変異により、運動面に関しては「発話」と「哺乳」のつながりは途絶えてしまったかもしれません。しかし、この世界認識自体は、いまも変わらず僕たちホモ・サピエンスと共にあります(それを僕は、自分の日々の実感から、言うことが出来ます)。
「いま・ここ」の喜びの中で、吸い込まれる「人間の言葉」、
「いま・ここ」を喪失した悲しみの中で、吐き出される「人間の言葉」――
 はっきりと言いましょう。
 前者の「吸気」による言葉のほうが、後者の「叫び」よりも根源的です。前者の「喜び」のほうが、後者の「悲しみ」よりも深いのです。
 僕はそう、信じています。

 * 

 私はグラスの底に溜まっている水を飲んだ。
 遺伝子の変異により、ホモ・サピエンスの言語能力が今現在と同等なものに完成した――というのは専門家の間でも共通した見解だが……。しかしその具体的変化を《言語モジュールにおける哺乳スイッチのOFF》とする文章には、もちろん今までお目にかかったことがない。
 彼は一体、どのようにしてこのようなアイデアを思いついたのだろうか。よくもまあ、次々とこのような突拍子のないことを思いつくものだ。
 私は少々、あっけにとられた思いだった。
 以上が彼の仮説のようだが……これら仮説はそのほとんどが彼の詩的な直感によって構成されているように見える。客観的な根拠に乏しく、冒頭に掲げた、「いま・ここ」の感覚が「人間のこころ」の原点である――という問題提起にも、いまだちゃんと答えるものにはなっていない。
 それにしても……。
 それにしても、忙しい教師の仕事の傍ら、彼はなぜこういう文章を書こうとしたのだろう……?その真意とは、いったい何なのだろう。彼は本当は、研究者の道に進みたいのだろうか。
 私はそっと、窓の外を見た。辺りはもうすっかり薄暗くなっている。ポプラの樹は夕闇の中に没している。カーテンを揺らして吹いてくる風が肌に心地よい。なんだかどこか、懐かしい匂いがした気がした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第18回 原人型世界認識(15)

 原人型世界認識

 目の前の存在一つ一つが、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 この当たり前の感受性が「原人」の時代に始まった――というのが冒頭でまず示した僕の結論ですが、以上のようなことがこれに対しての第一の根拠です。
 この「人間のこころ」にとって最も根源的で、最も当たり前の世界認識を、僕はこれから「原人型世界認識」と名で呼んでみたいと思います。
 この「いま・ここ」に即した当たり前の世界認識こそが、「人間のこころ」がよって立つ本質です。この世界認識が希薄になるにつれ、僕たち「人間のこころ」には、「疎外感」などの異和が生じはじめます。原点にあるものを失うと、どこかしら不具合が生じてくる、というのは当然のことでもあります。
 あらゆる「人間のこころ」の病の要因には、この「原人型世界認識」の(一時的な)喪失、という問題があると僕は考えています。

 たとえば、山に登って青空の下に寝転んだとき、僕たちは何とも言えない気持ちよさ、「幸福感」のようなものを感じることがあります。しかしその幸福感には、実は二つのパターンがある、と僕は考えます。混合されがちであると思いますが、その幸福感には二つのパターンがあるのです。
 一つは、青空や山と自分がすべて一体になったような幸福感です。自分というものの輪郭が解けだして、何か大いなるものとひとつになったような幸福感。
 もう一つは、青空や山がはっきりとそこにあるように、自分がはっきりとここにあると感じる幸福感です。自分というものが溶け出すのではなくて、むしろはっきりとした自分の輪郭と感じる。何か大いなるものに、はっきり包まれているような幸福感です。
 同じじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、僕は「違う」と思います。両者は同じ「幸福感」という言葉でくくることが出来るけれど、意識が根ざしている「こころの層」が違うのです。
 前者の一体になる幸福感は、「動物のこころ」、そして「植物的なこころ」に根ざした幸福感です。僕はこの文章のはじめのほうで、“生命のリズム”を最も根源的な「こころ」の層として定義する、と述べました。植物はその「こころ」そのものを生きている。また、「動物のこころ」も、その「こころ」に根ざしており、だから彼らのこころは主客未分なままである。この前者の幸福感は、“生命のリズム”を根底に持つ、主客未分な世界認識に根ざした幸福感である、ということが出来ます。
 一方、後者の幸福感は、いままで長々と述べてきた「原人型世界認識」に根ざした幸福感なのです。こころの層としては、一番新しい「人間のこころ」の層に属しています。だから、主客未分ではない、自分がはっきりと「いま・ここ」にいるという自己認識へと向かうのです。
 僕はこの一見混同してしまいがちな、人間の意識が根ざす「こころの層」という問題は、実は非常に重要である、と考えています。なぜなら、主客未分な世界認識は、ときに「人間のこころ」の危機と紙一重であるからです。
Photo
 ノルウェーの画家エドヴァ―ル・ムンクに、あまりに有名な『叫び』(1893年)という作品がありますが……。この作品はまことに不思議な力をもって、僕のこころを打ってきます。 
 自然を背景に、橋の上に立つひとりの人間。彼は叫んでいるのか、それとも何かに必死に耳をふさいでいるのか。歪み、溶け出す外界。彼の体も歪み、いまにも背景の夕焼けに溶け出していってしまいそうだ。なのに、彼は明らかに疎外されている。溶け合おうとしているのに、疎外されている。
 これはつまり、「いま・ここ」の私そのものの喪失が描かれている、と僕は受け取っています。僕なりの言い方をすれば、「原人型世界認識」の喪失――です。この絵の中に描かれていないもの、それは“母なるものの声”です。
《僕は友人二人と散歩していた――陽が沈みはじめ――突然空が血のように赤くなった――僕は立ち止まった、疲れ切って手すりに寄りかかって――青黒いフィヨルドと街の上に、血の色と炎の舌が見えた――友人たちはそのまま歩いていたが、僕はそこに立ち止まった、恐ろしさに震えながら――僕は大自然を貫く終わりのない叫びを感じた》
 これは、1892年に書かれたムンクの日記の一部ですが(『ムンク』ウルリヒ・ビショフ TASCHEN より)、ムンクが感じたこの「叫び」とは何でしょうか。
 百数十万年前のある日、ホモ・エルガステルは夕焼けに“母なるものの声”を感じました。一方、19世紀末のある日、ムンクは夕焼けに“叫び”を感じたのです。同じ地球上の夕焼けを前にして、このあまりに対照的な認識の差は何なのでしょうか。
 ムンクは生命の自然な営みに、喜びというよりはむしろ、苦しみや悲しみや怖れを織り交ぜたような絵を多く描いています。ムンクにとって大自然とは、もしかしたら自分の存在そのものを主客未分に奪い去ろうとする、「死」の冷たい腕のようにも見えたのかもしれません。私がムンクの絵に感じるのは、主客未分への喜びではなく、むしろそれへの怖れや嫌悪です。
Photo_4
○ムンク『接吻』(1897年)接した「唇」から、互いに溶け出していく男女。

「いま・ここ」の私そのものという「人間のこころ」の原点を踏まえずに、ただ一体を目指す主客未分な世界認識へと向かうのは危険である、と僕は考えます。この原点を踏まえてこそ、私たちは「人間」であることが出来るからです。ムンクの感じた《大自然を貫く終わりのない叫び》とは、実は、“母なるもの”を見失ったホモ・サピエンスの「叫び」そのものであったのではないでしょうか――。
 こころが弱っている人に、あなたなんて実はちっぽけな存在なんだ、すべては本当はひとつなんだ、というような励まし方は適切でしょうか……?確かに、すべてと一体となるような動物的な世界認識は素晴らしいし、その根本にある「植物的なこころ」は確かに究極です。
 しかし、僕たちは人間なのです。一度、人間になってしまったのです。ですから、やはり私たちはまず、「人間のこころ」の原点こそを、大切にして生きていくべきではないでしょうか。周りのものと一体になる世界認識は、確かに素晴らしい。ただ、僕たち人間において、まず忘れるべきでないのは「いま・ここ」の私そのもの――という原人時代にはじまった世界認識なのではないでしょうか。
 私を私そのものとしてはっきりと認識した上で、なおかつ他者との間に「つながりを見出す」。ひとつひとつの存在を、それそのものとしてしっかりと受け止めた上で、なおかつそれぞれの間に何か、尊い「つながり」を感じる。すべての存在は「個」として確かにそこにありつつ、なおかつすべての存在は互いに結びつき、つながりあっていると感じる――このような世界認識こそ、僕は大切にしたいと思っています。
 僕たちは、人間なのですから。
 僕も、あなたも、ひとりひとり、そのものとして、人間なのですから――。

 *


 原人型世界認識か……。
 ゲンジン先生の原稿はここで終っていた。私は原稿から目を離した。信慈は、いつのまにかうたた寝をしている。
私は母のことを思い出していた。幼い頃、夏の日……。私は信慈をソファーに連れて行った。蚊帳の中で、自分を寝かしつけてくれる母の顔が、ふと頭をよぎった。
 しかし――。
 しかし、私たちは前へ進んでいかなくてはならない。どんなに目の前の夕焼けが美しくても、私たちは前へ進んでいかなくてはならない。美しい風景の前で立ち止まってばかりいては、いつまでも私たちは前へ進んでいくことは出来ない。
 私は信慈の寝顔を見つめる。母が死んだのは、信慈がまだ瑞恵のお腹の中にいる……このような夏の日の晩だった。
 私は……私は今まで、自分なりに懸命に前へ進もうとしてきた。研究も、今日より明日、ほんの少しでも前へ進むことが出来るよう、私なりに努力を続けてきた。私は自分の才能の無さを痛いほど自覚していたし、だからこそ懸命に努力し、その不足をカバーしようとしてきた。立ち止まってしまうことは、私にとっては敗北を意味した。
 台所から、煮物のいい匂いが漂ってきた。
 彼の言いたいことは確かに分かる。しかし……人が生きていくこととは、前へ進んでいくということではないのか。「いま・ここ」に立ち止まってばかりいては、人は生きていけないではないか。
 ふと、胸のどこかがたまらない感じに疼いた。
 瑞恵がやってきた。
「信慈、プールで泳いで、疲れちゃったみたいね」
 ソファーに横になる信慈を見ながら、言う。
「もう30分くらいでご飯ですけど」
「うん……それまで寝かせておこう」
 私は唐突に、
「あ・い・う・え・お」
 と吸い込んで発音してみせた。しかし、のど仏のあたりが邪魔になってうまく声が出なかった。
「あら、あなたも吸い込んで……」
瑞恵は笑って、
「じゃあ、私も……」
 と、「あ・い・う・え・お」と吸い込んで言った。か細い、しかし綺麗な声だった。私は再び「あ・い・う・え・お」と発音してみたが、やはり消え入るような、しゃがれた声しか出なかった。また、瑞恵も「あ・い・う・え・お」と発音した。小さく、そして澄んだ声だった。女性や子どもはのど仏がないから綺麗に発音できるのだろうか。
 しばらく瑞恵と吸い込んで会話をしてみる。なんだか可笑しくなって、二人で笑った。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第19回 ゲンジン先生との対話(1) 

 ゲンジン先生との対話(1)

 夏休みも終わろうとしていた。私はまだ文章の感想を原先生に伝えていないことを気にかけていた。
 せっかく私に文章を送ってくれたのだから、返事をしないと気の毒である。何らかの返事はしようとは思うのだが……。しかし、では一体なんと返事をしたらいいだろう?考えあぐねているうちに、時間はどんどん過ぎていってしまった。
 感想を文章にして送るだけでは、相手にあまりに淡白な印象を与えてしまう懼れがあった。正直なところ、彼の文章には疑問を覚えるところが多かった。しかしもちろん、幾らかは私にも納得出来る部分があったし、しかしそれは彼の仮説の正誤とはまた離れたところでの「納得」であった。その微妙なニュアンスを、果たして文章でうまく伝えられるか自信がなかった。
 色々と考え続けた挙句、私は原先生に会ってみることにした。実際に会って話したほうが変に誤解されることも少ないだろうし、また私の中に、彼がどんな人物なのか見てみたいという気持もあった。

――

 8月の終わり、私は駅前の喫茶店で原先生と会うことにした。窓際の席に座って通りを眺めていると、約束の時間ちょうどに原先生はやって来た。
 眼鏡をかけた、痩せ型の青年であった。どんなに変わった人物かと思っていたら、どこにでもいる感じの地味な(失礼)青年である。パッと見は、24歳と言う年齢より老けて見える。しかし笑うと、まるで高校生のような幼い印象になった。
 私はアイスコーヒーを、彼はホットを頼んだ。以下は、原先生との対話と抜粋である。

私 「夏休みはどこかへ行かれましたか」
原先生 「いえ、ずっとこちらにおりました」
私 「実家はどちらなんですか」
原先生 「実家も札幌です」
私 「ああ、そうですか」
 私は運ばれてきたアイスコーヒーにミルクを入れてかき混ぜた。原先生は、少し緊張している面持ちである。

私 「信慈はとても先生が好きみたいですよ。いつも先生の話をしてくれます」
原先生 「ああ、そうですか……。嬉しいです。信慈君は僕の話に、いろんな反応を返してくれて……。信慈君には、いつも助けられています」
 原先生は遠慮がちにコーヒーをひと口飲んで、
原先生 「子どもたちを前にして……教師として情けない話ですが……僕は、何を言っていいか分からなくなることが多いんです。何を言ったらいいか……」
 原先生は、言葉を選ぶようにして、ゆっくりと話す。
原先生 「でも、何とか振り絞るようにして、何か言おうとするんですが……。そんなとき、いつも真っ先に反応を返してくれるのが信慈君なんです」
私 「ほお」
原先生 「そうして反応がもらえたとき、ああ、やっぱり話をして良かった、と。いったい、どちらが先生なのか分からないんですが……」
 原先生は照れくさそうに笑う。私もつられて笑った。
原先生 「子どもたちを前にして、本当に教えてもらうことばかりなんです。僕は教師なのに、もらってばかりなんです、子どもたちから……」
私 「それは、いいことじゃありませんか。教師は、何も一方的に子どもに与えるばかりじゃない。双方が何かを与え合う、というのは理想的な関係じゃないですか」
原先生 「でも本当に、僕はもらってばかりなんです」
私「そんなことはないでしょう。実際、うちの子どもはとても先生の影響を受けているわけですから」
原先生 「はあ」
 謙遜している、という風にも見えない。原先生は、本当に自信なさげな表情である。

私 「信慈は非常に原先生の影響を受けてますよ。最近で言うと、ほら、言葉を吸い込む……」
 と言うと、原先生は苦笑いのような表情を浮かべた。
原先生 「はい」
私 「信慈は最近、家でもよくやってますよ。とても気に入っているようです」
 私はアイスコーヒーをひと口飲んだ。
私 「はじめてそれを聞いたときは、ちょっとビックリしましたね。信慈が呼ぶんです、お父さんと。何かおかしいんだけど、でもどこがおかしいのか分からない。何回か呼ばれて、お前、声が変じゃないかと言うと……ああ、やっと気付いた、と嬉しそうに」
 私は笑う。原先生も笑った。
私 「あれは、どのような授業だったんですか?」
 私は、ぜひ聞いてみたかったことを質問してみた。
原先生 「はい。あれは、『言葉の力について考えてみよう』というテーマの授業だったのですが……」
私 「はい」
原先生 「僕が教師という仕事をやっていて、常に気をつけているのは、言葉の持つ力……ということです。教師という職業柄、常に僕は何らかの発言を問われています。その折々に、僕は子どもたちになんと応えるか……。教師という、一応は力のある立場にいる自分が生徒である子どもたちに何か言うとき、それがときにどれだけ深刻な影響を与えてしまうか……」
 柔和であった原先生の顔が、真剣な表情に変わった。
原先生 「結果的に、それがポジティブな方向に向かう影響なら、まだいいんです。しかし、僕が無神経に発言した言葉が、知らず知らずのうちに、子どもたちに何か、ネガティブな影響を与えているかも分からない。その点に対して、僕は常に、恐怖に近い想いすら抱いています」
 私は頷きつつ聞いていた。
原先生 「一方で、僕は言葉の無力、ということも感じています。これは一見矛盾しているようですが……。しかし僕は教師をやっていて、同時に言葉がいかに無力か、ということも常に痛感しています。自分の言葉が、子どもたちに対して、いかに空虚で、いかに無力であるか……」
 私と原先生は、同時にコーヒーを口に運んだ。
原先生 「つまり、『言葉の力について考えてみよう』というテーマは、僕自身についての問いかけでもあったんです。自分への自戒を込めて、というか……。子どもたちと一緒に、言葉というものについて改めて僕も考えてみたかった。というのが、『言葉の力について考えてみよう』というテーマを授業で取り上げてみようと思った動機でして……と、前置きが長くなってしまって、すみません」
私「いえいえ、とても貴重な意見を……。私も普段、大学で教諭として学生に接してますから、先生の言葉を聞いていて背筋を正されましたよ」
 原先生はハッとした顔をして
原先生 「あっ、そうですよね、先生も普段、大学で……。生意気なことばかり言って、すみません」
私 「いえいえ。そんな、お気になさらずに」
 私は恐縮して手を振った。実際、私は彼の話を聞きながら日頃の我が身を振り返って情けない気持になっていた。長い間、大勢の学生に接していて、しかし私はそこまで言葉の力というものについて深く考えたことはなかった。
私 「先生は、教師になられて……」
原先生 「まだ、2年目です」
私 「ほお、2年目でそこまで考えてらっしゃる。素晴らしいです」
 私はちょっと、感動して言った。
原先生 「いえいえ、まったく! 僕は、本当に駄目な教師なんです。反省ばかりなんです」
 謙遜しているのではなく、原先生はやはり、本当にそう思っている風である。そんな彼に、私は好感を抱いた。

原先生 「授業でまず僕が採り上げてみたのは、『悪口』ということでした。そのときは、あえてネガティブな方向から、言葉というものに向かってみようと思いまして……。本当に採り上げたいのは言葉のポジティブな力であるのですが、しかしその授業では、あえて『悪口』というものから入ってみよう、と。『悪口』という話題からのほうが、子どもたちにとって取っ掛かりやすいかな、という思いがあったので」
私 「なるほど」
原先生 「授業は、2回に分けて行ないました。1回目は、『悪口』について。2回目は、反対に『相手をほめる』ということについて。そして最後に改めて、『言葉の力』ということについてみんなで考える、という予定で行いました」
私 「はい」
原先生 「僕がまず子どもたちにしたのは、人はどうして悪口を言ってしまうんだろう、という質問でした。この質問をきっかけにして、あとは流れのおもむくまま、自由に子どもたちと色々な意見をやり取りできたらいいな、と」
私 「なるほど。で、子どもたちからはどういう意見が出ましたか?」
原先生 「それがもう、本当に様々な意見が出まして……」
 原先生は笑って、
原先生 「こちらがびっくりするぐらいの盛り上がりようでした。これほど子どもたちが様々な意見を言ってくれるとは思っていなかったので、びっくりしました。ひとりひとりの意見を聞くだけでほとんど1時間が終ってしまったほどでした。お互いの意見のやり取りということまでにはあまり至れなかったので、それはまた次回に持ち越ししようということになったのですが……。
 悪口といっても、仲が良いゆえの冗談のようなものから、意図的に人を傷つけようとするものまで色々あって、子ども達のその言葉のとらえ方も様々あるようでした。よってその場では、人を傷つけてしまうかもしれない言葉としての『悪口』ということに意味をしぼってみんなで考えることにしました」
私 「はい」
原先生 「ある男の子は、自分は腹が立って思わず言ってしまう、と。後から言わなきゃ良かったと思うこともあるのに、そのときはついつい言ってしまう。どうして……という理由は分からないけど、でもつい言ってしまう、と。この意見には、共感する子が多かったようで、盛り上がりました。どうして……と聞かれると困るけど、でもつい言ってしまう」
私 「ひとりひとりに様々な理由があって、でも改めて何故かと聞かれると難しいよね」
原先生 「はい。『どうして』と自分で聞いておきながらなんなのですが、本当は僕も、理由など説明出来なくてもいいと思っていました。自分の中に、むしろ説明など出来ない何かがあって……。どこにも行き場がないような何かがあって……。それが膨らんで、出口を求めて、そしてそれが誰かへの悪口というかたちとなって口から出てくる」
私 「なるほどね。先生が実は説明など出来なくてもいい、と考えているというのは気楽でいいね。むしろ、説明など出来ないような何かがこころの中にある。それを自覚することこそが重要である、と。子どもと言っても、こころの中にはそういう何か、は確かに存在しますよね」
原先生 「はい、あります。むしろ、子どものほうがよっぽど大人より敏感なんじゃないか、と思うときがあります。子どもたちのふとした言葉に、ハッとさせられることはしょっちゅうです」
 私はアイスコーヒーをひと口のんだ。
原先生 「悪口を言って人を傷つけたことがある、また言われて自分が傷ついたことがある、そういう記憶も、多くの子が持っているようでした。言葉というものは目に見えないけれど、でもときに手を使う暴力より、人を傷つけてしまうことがある。僕がそう言うと、多くの子が頷いてくれました。
 一回目の授業の最後に、僕は子どもたちに次のようなことを言いました」
 原先生は数秒黙って、言葉を整えるようにしてから、
原先生 「悪口は、決していいものじゃないし、出来れば言いたくないものです。でも、ときにそれを言わずにはいられないような瞬間があります。僕は君たちに悪口を絶対言ってはいけない、とは言いません。僕自身も悪口を言ってしまうときがあるからです。それも、面と向かってではなく、その人がいない陰で言います。陰で言う悪口は、一番卑怯なことです。だから、僕は君たちに大きなことは言えません。ただ、僕が気をつけていることは、なるべくなら、悪口は言わないようにしたいなあ、ということです。
 悪口を言いたくなるとき、それは相手が一方的に悪いからでしょうか? 僕は違うと思います。むしろ、自分の中に、悪口を誰かに言わずにはおれないような、モヤモヤ・トゲトゲした何かがある。その何だかよく分からないトゲトゲが、自分に悪口を言わしている。原因は相手ではなく、実は自分自身のこころの中にあるのではないでしょうか。悪口を誰かに言いたくなったとき、しっかりと落ち着いて、その自分のこころの中のモヤモヤ・トゲトゲを見つめることが大事だ、と僕は思っています」
 原先生はまた数秒黙った後、
原先生 「自分の中のトゲトゲとしっかり向かい合えたとき、その出口はもはやひとつではないのではないでしょうか。誰かへの悪口、という出口ひとつではないのではないでしょうか。国語の時間では、僕たちはよく詩を読みますね。詩人という人は、そのこころの中のモヤモヤ・トゲトゲを、悪口ではなく、ゆっくりと詩にして外に吐き出すことが出来る人です。トゲトゲをしっかりと受け止めて、両手でぎゅっと握り締めて、美しい、丸い宝石のような言葉にして、外にそっと出すことが出来る人です。トゲトゲはただそのまま吐き出しただけなら、悪口となって人を傷つけることがありますが、一度自分の中でギュッと握り締め、暖められたトゲトゲは、もはや角が取れ、人を傷つけるということはそう滅多には起こらなくなります。そういう作業こそ大事だと思いますし、そういうことが出来る人は、みんな詩人であると僕は思います。
 もしくは、自然の中で思いっきり深呼吸するのもいいかもしれません。自分の中のモヤモヤした様々なものを……言葉ではなく……スーッと、深呼吸して吐き出してみる。自然はそのあなたの呼吸を、しっかりと受けとめてくれるはずです。言葉にしてみるのが難しかったら、そういう方法もいい、と僕は思います。いや、むしろ、この方法のほうがより自然体で無理がなくて、いいかもしれません。……というようなことを、僕は子どもたちに言ったと思います。長々と僕ひとり喋って、すみません」
私 「いえいえ。なるほどなあ。心の中のトゲトゲの角を取って、詩にして吐き出す、か……」
原先生 「あ、そのとき僕は、“吸い込む”言葉ということを、まだ言うつもりではなかったんです。いつかは言おうとは思っていたんですが、その授業に望んだ際には、まだ子どもたちに言うつもりはなかった」
私 「あ、そうだったんですか」
原先生 「はい。どういった形で伝えるのがベストかどうか、まだ考えている最中でしたから……。でも、授業の終わりにそう子どもたちに言ったとき、ふと、今“吸い込む”言葉ということを言ったらどうなるだろう、という気持になりました。今こそ、そのいいタイミングかもしれない」

| コメント (0) | トラックバック (0)

第20回 ゲンジン先生との対話(2)

原先生 「そう思った僕は、口調を変えて、ところでみなさん! と呼びかけてみました。ところでみなさん、みなさんは普段言葉をどうやって発音してますか? そうすると、子どもたちはキョトンと……」
 原先生も私も笑った。時間がたつに連れ、原先生の緊張も大分解けてきたようであった。
原先生 「言葉は、どうやって言ってますか? こう、ハーッと息を吐き出しながら言っていますか?」
私 「突然そういうことを言われたら、そりゃ子どもたちもキョトンとするでしょう」
原先生 「はい。何を当たり前のことをこの先生は言い出しているんだ? これは何のクイズなんだ? みたいな顔をしていました。僕は言いました。悪口というものは、考えてみればすべて人の内側から出てきますね。人の中から、吐き出されますね。では、反対に、言葉を吸い込まれるものとして考えてみたらどうなるでしょう?」
私 「ついに吸い込む言葉の登場ですね」
原先生 「はい。僕たちは普段、言葉というものを吐き出すものだ、ということを当たり前のものとしている。でも実は、言葉は吸い込んでも発音することが出来るんじゃないか、僕はそう言いました。ためしに、ありがとう、と吸い込んでごらんと言ってみると、子どもたちはいっせいに発音し始めました」
私 「はい」
 私は笑いながら聞いていた。
原先生 「成長するにつれ、吸気による言葉は発音しにくくなるのですが、子どもたちはまだ綺麗な声が出るんですね。か細い、でも澄んだようなとても綺麗な声が出るんです。いや、子どもたちがいっせいに吸い込んで声を出している光景は、壮観でした! 僕は子どもたちはみんな天使だと普段から思っていますが、そのときばかりは本当に天使たちがいっせいに教室に舞い降りたみたいでした」
 私は声を出して笑った。
原先生 「子どもたちは、何か宝ものを発見したみたいに嬉々とした顔をしていましたが、しかし出てきた感想として、『面白いけど、言いにくい』というものがありました」
私 「ヒトの喉頭の構造は、基本的に吐き出す言葉に適したように出来ていますからね」
原先生 「はい。だから言いやすい『吐き出す言葉』を平常使うのは当然のことで、吸い込んで言葉を発するのは体のつくりに逆行した不自然な動作、ということになります。吸い込んで発音すると言いにくい。でも、言葉はもしかしたら、言いにくいくらいのほうがいいのかもしれないね、と僕は子どもたちに言いました。普段、言葉はあまりにも簡単に吐き出されてしまっているから……」
私 「信慈も印象的だったようですよ。言葉は言いにくいくらいのほうがいい、というその先生の言葉が」
原先生 「ああ、そうですか。……はい、そのときも、びっくりするぐらい、子どもたちは納得した顔をしてくれたんです。あんなに納得した表情をして子どもたちが僕の話を聞いてくれた経験は初めてだったかもしれません。やはり、実際にそういうふうに体を使ってみると納得しやすいのかもしれません」
私 「それは、大事なことですね。頭だけでなく、実際に体を使って、体で納得するという……」
原先生 「ただ、僕、家でひとりで吸い込む言葉を試してみたのですが、あまり言いすぎると肺に空気が不自然にたまったような感触になるんです。ホモ・サピエンスの喉頭の構造上、これはあまり自然な動作ではないでしょうから、もしかしたら体に負担をかけてしまうこともあるかもしれない、僕はそうも思っていたものですから、あまり言い過ぎるな、ということは子どもたちに伝えました。吐き出す言葉は際限なく言えるけれど、吸い込む言葉はそうじゃない。吸い込む言葉には、一定の限度がある。だからあまり言い過ぎるな、と」
私 「うーん、なるほど。実際のところは、どうなんでしょうねえ。そんなこと研究しているお医者さんもいないでしょうしねえ。確かに、あまり自然な行為ではない、かも知れない」
原先生 「原人とホモ・サピエンスでは喉頭の構造が違いますよね……。原人にとっては、吸い込む言葉は自然な行為であると僕は推測しているのですが」
私 「確かに、原人の喉頭の構造ならば、ホモ・サピエンスよりはるかに、吸い込む発音はしやすいでしょう」
原先生 「と、あまり言い過ぎるなとは言っておいたのですが、その授業が終ってからというもの、もう……。吸い込んで言う言葉が、すっかり子どもたちの間で流行ってしまったんです」
 原先生は苦笑して、
原先生 「いや、もう完全に僕のせいなのですが……。クラスどころか、いまや学校全体にまで波及しだしていまして、これは一体どういうことか、と職員会議でも採り上げられました。僕はすっかり動揺してことの次第を説明したのですが……」
私 「そこまで波及しているとは、知りませんでした。会議では、大丈夫でしたか?」
原先生 「とりあえず、怒られました。子どもたちにおかしなことをさせるな、と」
 真剣な表情で語る原先生には申し訳ないが、私は思わず笑ってしまった。
私 「もちろん、原人がどうとかは言いませんでしたが、言葉はいいにくいくらいのほうがいいのではないか、という 問題提議として国語の授業で採り上げました、と会議では説明しました。先生たちからは、とりあえず、おかしなことをさせるな、と言われました。下品だ、という声も出ました。びっくりしたのは、なんだかゴリラや原始人みたいだから止めさせろ、という意見が……」
私 「はっはっは、それは傑作だ。その教師は知らず知らず、本質を言い当てたんだ」
原先生 「ええ。ということで、学校側としてはいま吸い込む動作を子どもたちに規制させようとする方向でいるようです。僕にはその学校側の言い分はまったく理解出来ないのですが、しかしもし本当にこの動作が子どもたちの体に悪い影響を与える可能性があるのなら、それはもちろんすぐに規制しなくてはいけない、とは思っています」
私 「どうなんだろうねえ。体に対する影響ねえ……。ただ、子どもたちもそこまで言いすぎてしまう、ということはないんじゃないか、とも思うけれども。うちの子どももいま気に入ってよく使ってはいるけど、そんなに何回も連続して言ってはいないよ。間隔が空いていれば大丈夫じゃないか、という気もするけどね」
原先生 「だったらいいんですけど……。ふと、あまりに心配になったので、いまは子どもたちにこう言ってるんです。半分冗談めかして、ですが。吸い込む言葉は、一日に言える数が決まっている。僕が思うに、それは5つくらいだ。だからその5つを、大切に使いましょう」

| コメント (0) | トラックバック (0)

第21回 ゲンジン先生との対話(3)

 私と原先生はコーヒーのおかわりを頼んだ。
原先生 「なるべく悪口は言わないようにしたい、ということは授業で言いましたが……。あと、僕が思うのは、なるべくなら他人の悪口も聞かないようにしよう、ということです。聞かないですむのなら、聞かないほうがいい。それは、誰かの批判に耳をふさぐ、ということとはまた別のことであると思います」
私 「いや、ほんと、聞かないですむなら聞かないほうがいいですよ。テレビで、インターネットで、いま社会では悪口が溢れかえっている状態ですね。これからの時代、子どもたちはよりいっそう、他者への無責任な誹謗・中傷、つまり悪口を目にする機会が増えるでしょう。そういう状態に囲まれてしまうと、内容が自分に関係あるなしに関わらず、気付かないうちにこころも荒れてくるでしょうねえ」
原先生 「特に、いまはやはりネットですよね。テレビより、むしろネットです。僕は、本当に危惧しています。これからの時代、どんどん子どもたちは日常的にインターネットを使うようになっていくのでしょうが……。インターネットにおける言葉というものは、本当にひどいんです」
私 「私もそんなに見たことはないですが、いや、ひどいところはひどいでしょうねえ」
原先生 「はい。先ほど、こころの中のモヤモヤ・トゲトゲという言い方を使いましたが、端的に言うと、ネットの一部において、それら自分の中のわだかまりを、ただ安易に吐き出すだけの場と化しています。そうして、ただ無闇に悪口を吐き出しあっている。僕は本当に、悲しいんです。原人のときに誕生した言葉というものが、ここに来て遂に堕ちるところまで堕ちてしまった」
私 「だから、いまこそ、改めて言葉の力ということを考える必要がありますねえ。いや、先生のそういう意見はこれからますます重要になってくると思いますよ」
原先生 「ただ、僕が子どもたちに言ったのは、悪口を言っている人のこころの中には、何か悲しいものや痛み、つまり様々なモヤモヤ・トゲトゲがあって、それが悪口というかたちとなって吐き出されていることが多いんだ、と。悪口自体はなるべく聞かないほうがいいけど、しかしその悲しみや痛みに耳をふさぐことはないようにしたいよね、と。いや、これは非常に難しいことなのですが……」
 私は頷いた。
私 「先生の話を聞いていると、言葉には力がある。一方で、言葉は無力である。この二つの認識の、そのどちらが欠けても駄目なんだろう、という気持になってきました。これまでの私なんて、言葉は無力である、という認識ばかりだったような気がするなあ」
原先生 「いや、まずそこを出発点にしないと……。言葉の力ばかりを強調しているのは、嘘だと思います」
私 「でも、言葉の無力ばかり言っているのも、それはどこか嘘だね。これは私の反省点だなあ。言葉の無力を強調するということは、つまりは言葉の力あきらめている、ということなのかもしれない。言葉の力への責任を放棄している。それは、ひとりの人間として、他者への働きかけの責任を放棄している、ということにもつながるのではないか……? いや、普段はこんな高尚なこと考えていないよ。でも、先生の話を聞いているとね……そんな気になってきたなあ」
 私はコーヒーをひと口飲んだ。
原先生 「僕は……こう思うんです。自分の言葉が無力だという思いに打ちひしがれたとき、むしろ自分の口をつぐんで、耳を澄まそうと……。僕の言葉は無力ですが、しかし、無力ではない、“何か”が、この世界には確かにある。僕はその、“何か”に耳を澄まそうとします。そうすると、実際に『声』としては吸い込んではいませんが、しかし僕の中にその“何か”が入り込んでくるような気がして……。それを、自分なりの言葉で、僕は再びそっと吐き出す、これが僕の最も理想に考える言葉との関わり方です。ただ、これも非常に難しいのですが……」
 最後の原先生の言葉はちょっと分かりにくかったが、しかし彼の真剣な表情が印象に残った。

私 「原先生も文章で書いていましたが、良くも悪くも『言霊』ということはやはりありますよね」
原先生 「ええ。しかし僕は……。やはり言葉の持つ真の力は、“良い”方向に向いたときにはじめて発揮される、と信じたい気持があるんです。悪口で人が深く傷つくということはもちろんあります。しかし、やはり言霊という言葉は、僕は、“良い”意味で使いたいんです」
私 「良い、ですか。なるほど。私の持つ言霊という言葉のイメージは、むしろネガティブな側面のほうが強い。呪術的な、ね。先史時代にシャーマンが村人にお前はもうすぐ病気になるだろうと予言すると、本当にその村人は数日後に病気になってしまう、とかね」
原先生 「ええ。しかし真の言霊とは……。いや、これは僕が勝手にそうであったらいいなあ、と思っていることに過ぎないのですが」
私 「先生の文章の中で、言葉は『喜び』の中から生まれたのではないか、という記述がありましたね」
原先生 「ええ、言葉は喜びの中で吸い込まれて生まれた……と。吐き出す言葉は、確かにときに痛みや悲しみなどの『叫び』と結びつきます。しかし、吸い込む言葉は……。吸い込む言葉というものは『喜び』の中からでしか生まれ出てこないものなのではないか、と思うんです。そしてその吸い込む言葉は、人間がすべての言葉を吐き出して言うようになった今でも、かたちを変えてしっかりと残っているのではないか。つまり、喜びの言葉は、吐き出す言葉にかたちを変えていまもしっかりと残っている……。と、これはそうであったらいいのになあ、という僕の願いに過ぎないのかもしれませんが」
 原先生はコーヒーを飲んで、
原先生 「あの、その、どうなのでしょうか。このような僕の考えは、専門家でいらっしゃる先生から見て……」
私 「え、ああ、そうだねえ……」
 私は一瞬言葉に詰まった。
私 「申し訳ないけど、君の考えはいまの私にはなんとも判断できない。現段階では、この分野にはまだ様々なデータが足りなさ過ぎる」
原先生 「はい」
私 「いまの私には、まだ君の説の正誤は判断できない。専門家なのに情けないことなんですが……。何より、現時点の脳科学の分野において、残念ながら君の仮説を裏付けられるような証拠が決定的に不足しているんだ」
 私は原稿を取り出してパラパラとめくりながら、それぞれの項目において、疑問に感じた点分からなかった点などの感想をざっと述べた。原先生は頷きつつ、聞いていた。
私 「一番疑問だったのは、やはりホモ・サピエンスの遺伝子変異の部分だね。哺乳遺伝子のスイッチのOFFという部分・・・・・・。あそこはあまりに根拠がなさ過ぎる。他の部分に比べても説得力が乏しい」 
 そう言った後、慌ててフォローするように、
私 「ただ、全体として、『原人型世界認識』というアプローチの仕方は、新鮮で面白かったよ。それぞれの仮説の正誤を別にしても、ね」
 原先生は微笑んで、
原先生 「いや、本当に、わざわざありがとうございます。お忙しい中読んでいただいて、さらにこうして、反応を返していただいて、嬉しいです」
私 「今回の文章は、私以外の人にも読んでもらいましたか?」
原先生 「ええ、ほんの数人ですが……。親しい友人と、あとK大学の先生にも送ってみました。でも、誰からも反響はありませんでした」
 私は、(まあ、そうだろうなあ)と思う。
私 「この文章には、反応を返すのは非常に難しいと思う。結論がまずポンとあって、しかしそれを実証出来るような材料がまだそろってないからね。原先生は資質的に、学者タイプではなく、根っから詩人なんだ。詩的直観でパッと何かを予見しているというか……。現段階では、残念ながらこれらの話は荒唐無稽ということで片付けられてしまうかもしれないけれど」

 この日、初対面にも関わらず原先生との話は大いに盛り上がり、結局私たちは二時間半あまりも喫茶店にいた。帰り際に、私はゲンジン先生と次のようなやりとりをした。
私 「この文章は、いつ書いていたの?」
原先生 「帰宅してから……深夜ですね。あと、日曜日などを使って。この半年ほどで書きました」
私 「ふうむ」
原先生 「僕、言葉やこころの起源について考えるのが好きで……。普段から、そういうことを考えるのが好きなんです。断片的なアイデア自体は、学生時代のときに思いついていたんです。なぜ言葉は吐き出してしか発音されないのか、という疑問とか。でも教育実習やら卒論やらで時間が取られて、実際に文章にすることは出来なかった。いや、当時は文章にすることに関して、それほどの切実さがなかったんです」
私 「アイデアは学生のときに思いついていたんだ」
原先生 「はい。断片的なものですけど……。教師になってからですね、ぜひ文章にしたいと思うようになったのは。教師になって、子どもたちに接するようになって、これは文章にしておきたい、する必要がある、と。何より僕にとって、その必要がある、という気持になってきました」
私 「何か、心境の変化があったわけですか」
原先生 「はい。やはり、子どもたちに出会ったことがとても大きいですね。子どもたちに出会って、自分が本当に文章にしたいことが見つかった……」
 原先生はしばらく考えるようにして、
原先生 「実は、あの文章はまだ途中なんです」
私 「あ、そうなの!?」
原先生 「はい。実はいままた取り掛かっている文章がありまして……。子どもたちひとりひとりを見ていると、僕は」
 原先生の目に、光のようなものが宿ったように見えた。
原先生 「どうしても伝えてみたいことがあるんです」

| コメント (0) | トラックバック (0)

第22回 新学期

 新学期がはじまった。街でふく風は、もう秋のにおいがしてきている。
 夕食時、信慈はまた色々と学校であったこと、ゲンジン先生が話してくれたことなどを報告してくれる。
「今日、ゲンジン先生に『エノコログサ』っていう詩、教えてもらったの」
 シチューをスプーンで掬いながら、信慈は言った。
「エノコログサ……。誰の詩?」
 瑞恵が聞く。
「まど・みちおっていう人」
「ああ、『ぞうさん』を書いた人ね」
「そう、『ぞうさん』。ええとね……」
 信慈はスプーンを置いて、しばらく宙を見つめる。

 エノコログサ
 エノコロ コロコログサ

 みせてもらおうにも かそかすぎて
 めを つぶらなければ……

 エノコログサ
 エノコロ コロコログサ

 さわらせてもらおうにも かそかすぎて
 かぜの手に おねがいしなければ……

 私は信慈がスラスラと暗唱出来ていることに少し驚いた。
「僕この詩、とても好きになった」
「信慈、その詩、今日習ったのにもう覚えたのかい?」
 信慈は当たり前のような顔をして、
「うん。だって好きなんだもん」
「ははあ」
 私は感心してシチューをすすった。
「原先生はいろんな詩を教えてくれて、いいわね」
 瑞恵が言う。
「うん。先生言ってたよ。自分が好きだと思った詩は、目で読むだけじゃなくて、声にも出していったらいいよって」
「確かに、詩を声に読むのは大事なことだよ」
 私は少々知ったかぶりをした。
「先生はみんなに詩を暗記するように言うのかい?」
「別に、無理には言わないけど……。でも、好きな詩は暗記したほうが楽しいよって言ってた。だってそしたら、本が手元になくても、いつでもどこでも、好きなときに詩を頭の中から取り出して読めるよ。楽しいとき、淋しいとき、本がなくてもいつでも口ずさめるよ、って」
「なるほどね」
「だから僕も、あ、いいなあって思った詩はなるべく覚えるようにしてる」
「まあ、えらいわねえ」
 瑞恵が言った。
「信慈は『エノコログサ』という詩は、どこがいいなあと思ったの?」
「ええと……。エノコロ、コロコロ……って、言葉の感じがかわいくて好き」
「言葉のひびきが好きなんだね」
 私は言った。
「うん。あと、この詩を教えてもらったとき、僕、エノコログサはギュッとつかんじゃ駄目なんだ……って思ったの。つかまないでそっと見てるだけだから、エノコログサはエノコログサなんだって。授業のときそう言ったら、ゲンジン先生とても喜んでた」
「ほう」
 私は信慈の顔を見た。
「なんでか分かんないけど、ゲンジン先生、とっても喜んでくれたの」
「いや、信慈はとても大事なことを言ってると思うよ」
私はまた感心しながら答えた。信慈は空を人さし指で指して、
「エノコログサ、エノコロ、コロコログサ……」
 私は思わず、信慈の指さすところを目で追った。
「ゲンジン先生ね、大事なのは指さすことなんだって言ってた。エノコログサをつかむ代わりに、そっと指さすだけでいいんだねって、先生言ってたよ」

| コメント (0) | トラックバック (0)

第23回 ホモ・サピエンス型世界認識(1)

 風も冷たくなってきた10月の或る日、いつもより早めに大学から帰宅すると、
「お父さん!」
 信慈が玄関まで走ってやってきた。
「おかえりィ」
「ただいま。どうしたんだい?」
 信慈は手に封筒を持っていた。
「それは……」
 信慈は封筒を私に差し出して、
「ほら! またゲンジン先生から預かってきたよ!」
「おお」
 封筒を見て、ああ、続きの文章が完成したのだ、と分かった。
(思っていたより、ずいぶん早かったな)
 着替えを終え、リビングにて封筒を開けてみるとやはり中には原稿が入っていた。前回と同様、A4サイズの用紙が数十枚、端を紐で綴じてある。表紙には、『ホモ・サピエンス型世界認識』……とあった。

 取り出された原稿を見て、信慈は歓声を上げた。
「わあ、今度は何が書いてあるんだろうねえ」
「うん、なんだろうねえ。この前の文章の続きみたいだけど」
 私は時計を見た。妻もまだ仕事から帰ってきていないし、夕飯まではまだ2時間ほど時間がありそうだ。私はテーブルの椅子に座った。
「じゃあ、さっそくいまから読んでみようか」
 信慈は少しビックリした顔で私を見た。
「いまから?」
「うん」
 信慈は嬉しそうに笑い、
「じゃあ僕も隣で宿題する!」
 そう言って部屋に教科書を取りに走っていった。


 ――

ホモ・サピエンス型世界認識
~ただ結びあわせよ(Only Connect……)~
                          
                               原志郎


 はじめに

 前回の文章で述べてきたことは、「人間のこころ」への考察の、その前半部です。実は、まだ後半部が残っていました。それは、他ならぬ僕たち「ホモ・サピエンス」に関しての詳しい考察です。
 およそ20万年前にホモ・サピエンスに遺伝子変異が起こった――ということを前回書きました。そのことによって、具体的にホモ・サピエンスの世界認識が、原人の世界認識とどう異なっていったのか、ということをこれから書いていこうと思います。
 ホモ・サピエンスの歴史とは、「いま・ここ」の私そのもの――から逸脱していく歴史でもありました。その逸脱とは、はっきりとした“自我”の確立へと向かっていく逸脱でした。
 ホモ・エルガステルの時代にはじめて誕生した“私”という輪郭は、ホモ・サピエンスの時代になって、“自我”という強固な外壁へと変化しました。確かにその外壁は、周囲と主客未分になることは防ぎますが、それはまた新たに、深刻な疎外感を「人間のこころ」のうちに生み出していくことになります。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第24回 ホモ・サピエンス型世界認識(2)

 新たな視点 ~母親の視点から~

 およそ20万年前にホモ・サピエンスに遺伝子変異が起こった、それは発話に関する「哺乳」スイッチのOFFだった――という仮説を前回の文章で書きました。前回の文章を書き終えてから改めてこの仮説を検討してみたのですが、見直しているうちに、新たな視点が浮き上がってきました。
 前回の『原人型世界認識』という文章は、一貫して「赤ん坊の視点」から「人間のこころ」の誕生というものを見ていきました。包まれているという感覚、吸い込むという感覚、それらはみな、受動の存在としての「赤ん坊の視点」から生まれ出たものでした。
 しかし、「人間のこころ」というものを、一転して、能動の存在としての「母親の視点」から眺めてみたらどうだろうか……?
「母親の視点」とは、抱きしめられるのではなく、むしろ対象を抱きしめるという視点です。受取るのではなく、無償で自分を与えるという視点です。
「哺乳」遺伝子のスイッチのOFFという仮説に、この「母親の視点」を導入したとき、僕のうちにまた新たな考えが浮かび上がってきました。

――

 原人ホモ・エルガステルの時代になって、赤ん坊は無力な状態で生まれてくるようになった、ということは前回書きました。二足歩行の完成によって産道が狭まり、本来の妊娠期間よりも早めに生まれ出る必要性が出てきたというのがその理由でした。

 さて、僕たちホモ・サピエンスの赤ん坊は、ホモ・エルガステルの時代よりもさらに未熟な状態で生まれ出るようになりました。エルガステルの時代よりもさらに無力な状態で誕生し、より長期間に渡る母親の世話を必要とするようになりました。その理由としては、ホモ・サピエンスの脳の容量がエルガステルの時代よりも増量し、出産の時期がさらに早まった、ということが挙げられます。
 すべての哺乳類の中で、最も無力な状態で生まれてくるホモ・サピエンスの赤ん坊――。そのホモ・サピエンスの赤ん坊において特徴的なことは、誕生した瞬間に「産声」を上げる、ということです。
 一般に、サルや類人猿は産声を上げない、と言われています。産声は僕たちホモ・サピエンス特有のものです。ただ、僕たちホモ・サピエンスにおいても、誕生した赤ん坊を静かにそっと母親に抱かせると産声を上げることはない、という説もあるそうです。いずれにせよ、産声を上げるということは、母(なるもの)から離された甚大な「怖れ」が、赤ん坊にそうさせているのだ、ということは言えると思います。
 サルの出産において、母親は赤ん坊が胎内から顔を出すと、赤ん坊の頭や肩を持って自力でスルリと自分の腹の前に引き出すそうです。すると、赤ん坊はすぐに母親にしがみつく。サルの赤ん坊も誕生した瞬間は「怖れ」を感じるのかもしれませんが、泣き声を上げる間もなくすぐに母親の胸に抱かれることになるので、一般に「サルは産声に相当するものを上げない」ということになっているのかもしれません。
 サルの出産に比べ、ホモ・サピエンスの出産はより母体にとって苦しみを伴うものとなりました。僕は男性ですし、もちろん出産も経験したことはないので頭でその苦しみを想像するしかありませんが、その出産に伴う痛み・苦しみは、男性の想像を絶するものであるということは聞きます。その困難さゆえ、ホモ・サピエンスの母親は出産後すぐに赤ん坊を抱く、ということは難しくなったのではないでしょうか。サルの母親ように赤ん坊を自力で取り出してすぐに抱きしめるという動作は、ホモ・サピエンスの母親にはまず出来ないと思います。ホモ・サピエンスの母親は、生まれ出た赤ん坊を見つめながら、無事生まれ出たことに胸を撫で下ろし、そうして改めて赤ん坊をその胸に抱きしめたのではないでしょうか。
 出産して赤ん坊を抱くまでには、それが一瞬の間であるサルに比べ、ホモ・サピエンスの時代になって、数秒から数分の時間が空くようになったのです。そうして、その時間差ゆえに出現したのがホモ・サピエンス特有の産声である、と僕は考えます。一時的に母から離され、未知の空間に投げ出された赤ん坊は、その甚大な「怖れ」ゆえに泣き出すのです。
 この「産声」ということ――。では、原人時代にもこの産声はすでに存在したのでしょうか……?
僕は、当時はまだ、誕生後に赤ん坊が産声を上げるということはなかったのではないか、と考えています。産声は人間の歴史において、ホモ・サピエンスの時代になってはじめて現れるようになった、と。なぜかというと、この産声の出現こそが、およそ20前年前に起こったホモ・サピエンスに起こった遺伝子変化という出来事と深い関わりがあるのではないか、という考えが新たに浮かんできたからです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第25回 ホモ・サピエンス型世界認識(3)

 「産声」の記憶

 原人の時代よりも、さらに未熟な状態で生まれてくるホモ・サピエンスの赤ん坊。「産声」とは、その最も無力なホモ・サピエンスの赤ん坊の、本能的な発話表現でもあります。母親に抱きしめてもらうために、泣いて自分に注意を向けさせる。ホモ・サピエンスの赤ん坊はそれを無自覚に、本能的な力によって行なっています。その赤ん坊の本能的な「叫び」を耳にしたとき、ホモ・サピエンスの母親はどうなったでしょうか。生まれ出た赤ん坊の「叫び」を聴き取ったとき、母親は何を感じ、どういった反応を示したでしょうか。

 我が子の産声を聴いたとき、ホモ・サピエンスの母親の中で或る能力が目覚めた――と僕は考えています。その能力とは、我が子の「産声」を特殊に記憶するという能力です。
 サルや類人猿は産声を上げない、ということは先ほど書きましたが、一般に哺乳類は誕生の際に産声は上げません。誕生時に大声を出してもし外敵に気付かれると、赤ん坊の命そのものが危ないからです。しかし、哺乳類の中には例外的に産声を上げる動物が(ホモ・サピエンス以外にも)存在します。外敵に気付かれるかもしれないリスクよりも、声を出すことによって自分を母親に認識してもらう利点のほうに重点を置くべき環境にいる動物は、誕生の際に産声を出すようです。
 たとえば、カリフォルニア・アシカは産声を上げます。カリフォルニア・アシカは、夜中に集団で出産するようです。よって、赤ん坊は大きな産声を上げ、母親に認識してもらう必要があります。母親は我が子の産声を一度聞くと、完全に記憶して忘れないそうです。そしてそれから以後は、「声」で我が子か他の子かを識別します。
 カリフォルニア・アシカの例に見られるように、どうやら産声をあげる能力自体は、潜在的に哺乳類みなが持っているようにも思えます。ただ、実際にその選択をするか否かは、周囲の環境などの要因によっても左右されるようです。ホモ・サピエンスの赤ん坊は、無力な自分の生存のために、本能的に産声を上げる選択をした、とも言うことが出来ます。もちろん、赤ん坊はただ怖ろしくて泣いただけですし、そんな選択を意識的に出来るはずがありません。しかし、ホモ・サピエンスの赤ん坊は本能でそういう選択をした、ということは言えると思います。
 さて、我が子の産声を聴いたとき、ホモ・サピエンスの母親の中でその産声を特殊に記憶する能力が目覚めたのだというのが僕の考えですが――。
 一度聴いた子どもの産声を母親が「完全に記憶する」ということ。カルフォル二ア・アシカの例に見られるように、我が子の産声を一度聴くと完全に記憶出来る、という能力も、実は潜在的にすべての哺乳類の母親が持っている、というふうにも考えられます。そしてその秘められた能力が、我が子の大きな産声を聴くことによってホモ・サピエンスの母親の中でONになったのではないか……?
 こういうデータがあります。
 31人の赤ん坊の泣き声を録音し、眠っている母親たちに順に聞かせて、目を覚ますかそのまま眠りつづけるかを観察したところ、23人中22人の母親が、我が子の泣き声を聞いた瞬間に目を覚ましたそうです。他の子の泣き声のときは、それがどんなに悲しげな声であっても眠ったままだったのに、わが子の泣き声がテープから流れるとたちまち目を覚ました。それはわずか出産後3日目に母親たちになされた実験だったようです(『赤ん坊はなぜかわいい?~ベイビー・ウォッチング12か月』 デスモンド・モリス=著 幸田敦子=訳 河出書房新社)。
 この小さな実験からも、いかにホモ・サピエンスの母親が我が子の産声を完全に記憶しているか、そしてその「声」に常に(就寝中でさえも)意識を向けているか、ということが伺われます。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第26回 ホモ・サピエンス型世界認識(4)

 長期記憶と遺伝子の発現の関わり

 記憶には「短期記憶」と「長期記憶」というものがあります。短期記憶とは、数秒から数分で消えてしまう短い記憶のことを指し、長期記憶とは、何年・何十年経っても消えない長期的な記憶のことを指します。母親のうちにある「産声の記憶」とはもちろん、後者の「長期記憶」に相当します。

 脳細胞ニューロンの結合部位であるシナプスには、「可塑性」があると言われています。シナプスの可塑性とは、粘土を指で押すと押したところがへこんだままであるように、或る刺激がシナプスからシナプスへ伝達されると、その伝達通路がそのままの状態で保存されるという現象を指します。このシナプスの持つ可塑性こそ、「記憶」のメカニズムと密接な関係にあります。一度シナプスに出来た通路はそのままの形で残り、そして何らかの刺激があると、再び活性化します。つまりこのメカニズムこそが、記憶の保存・再生というものと深い関わりを持っているのです。シナプスの短期的な可塑性とはつまり、「短期記憶」と等しく、シナプスの長期的な可塑性とは「長期記憶」と等しい、と言うことが出来ます。

 短期記憶において、シナプスに残った通路の痕跡は、数秒から数分ですぐに消滅してしまいます。一方、長期記憶においては、シナプスに残った通路の痕跡は時間が経っても消えません。なぜなら、そこにニューロンの遺伝子の発現ということが関っているからです。
発現」とは、普段は情報に過ぎない遺伝子が、実際にタンパク質に変換される過程のことを指します。なぜシナプスの可塑性には短期と長期の違いが出てくるのかというのは、遺伝子の発現によるタンパク質の合成ということがその理由としてあるようです。短期記憶の場合、タンパク質の合成を介さないので、痕跡がすぐ消えてしまうのです。
 強い刺激がシナプスに伝えられたとき、その刺激はニューロン細胞の核まで届きます。つまり、細胞核内の遺伝子にまで届きます。そうすると、刺激を受けた遺伝子は「記憶せよ」というメッセージを発します。結果、メッセンジャーRNA(mRNA)とタンパク質が新たに合成されます。この仕組みにより、シナプス同士の伝達通路が、新たに合成されたタンパク質によって補強され、記憶の長期的な保存が可能になるのです。
(参考:『脳と無意識~ニューロンと可塑性』フランソワ・アンセルメ+ピエール・マジストレッティ=著 長野敬+藤野邦夫=訳 青土社)

| コメント (0) | トラックバック (0)

第27回 ホモ・サピエンス型世界認識(5)

 新たな仮説 「産声」の記憶と遺伝子変異

 赤ん坊の産声はホモ・サピエンスの母親の脳に衝撃を与え、その遺伝子を活性化させたのではないか、と僕は考えます。
「産声」を記憶せよ――
 遺伝子による緊急指令が出たのです。

 原人の時代、「吐き出す」言葉は、左脳の言語野(ウェルニッケ野)で処理されていなかったのではないか、ということは前回の文章で書きました。「こころの違和としての言葉(叫び)」や「意思伝達としての言葉」は「声」としてではなく、むしろ「音」として右脳の聴覚野で認識されていたのではないか、と。ベルベットモンキーの例でいえば、外敵が来たことを伝える「警戒音」は、「声」ではなく、あくまで「音」として本能的な右脳の聴覚野で受容されていたのではないか、と僕は考えています。
 しかし、我が子の産声を聴いたとき、ホモ・サピエンスの母親の中で、産声がはっきりと「声」として意識されたのではないか。単なる「音」としてではなく、意識にはっきりとひっかかってくる「声」としても、同時に認識されたのではないか、と考えます。

 産声の刺激の伝達ルートは、大雑把に書くと次のようになったと予想出来ます。

  ・赤ん坊の産声は、まず「本能」と密接な右脳の聴覚野から、その下の扁桃体・海馬にかけて感覚された。扁桃体・海馬は、いままでに経験したことのない種類の衝撃を受けた。
  ・普段なら伝達ルートはそこで終わりになるのだが、そのときはそうではなかった。その刺激は「意識」と密接な左脳(ウェルニッケ野・ブローカ野など)にも伝えられた。そしてその刺激は再び扁桃体・海馬へ向かった。
  ・それら大きな刺激はさらに前頭葉に集められた。

――つまり産声の刺激は、右脳から左脳へ、そして大脳辺縁系(扁桃体・海馬)へと脳のかなり広範囲を駆け巡った、ということが出来ます。

 この幅広い伝達ルートを記憶として保存するには、大規模な補強工事が必要です。特に、右脳から左脳へとつながるルートは今まであり得なかった分、新たな連絡通路を作り出す必要があります。補強の材料として、沢山のタンパク質の合成が必要になります。つまり、多くの遺伝子を発現させる(ONにする)必要があります。
 ここで用いられたのが調節遺伝子である、と僕は考えます。調節遺伝子を用いることにより、多くの遺伝子をONにさせ、沢山のタンパク質を合成することが出来ます。
 調節遺伝子は、自身が調節しているたくさんの遺伝子を発現させ、「産声」の記憶ルートの大規模な補強を行なおうとした。しかし、従来どおりの「ON/OFF」の作業をするだけではタンパク質が足りず、その結果起こったことが、調節遺伝子の変異なのではないでしょうか――。

 遺伝子の文字配列を変異させることにより、従来にはない新たなタンパク質を合成することが可能になります。大規模なシナプス伝達経路の再編成、またシナプスそのものの新たな生成のために、遺伝子を変異させて新しくタンパク質をつくることは確かに有効であるかもしれません。
 ただ、その変異の結果、ONではなく、反対にOFFにされた遺伝子もあったのではないか、と僕は考えています。一方で、発現を抑制された遺伝子もあった。それがつまり――「哺乳」に関する遺伝子だったのではないだろうか……?
 たくさんの遺伝子をONにしてたくさんタンパク質を合成するため、現在すでにONになっていて、しかし現在必ずしも必要としていない遺伝子はOFFにされたのかもしれません。自己の存在を与える(授乳)立場にいる母親にとって、いまの自分と最も離れた位置にあるものは、「哺乳」ということなのではないでしょうか。母親の遺伝子はOFFに出来るところはOFFにして、少しでも多くのタンパク質をつくろうとしたのかもしれません(もちろん、その『OFF』とは、大脳皮質の言語モジュール、つまりブローカ野においてです)。
 そのときホモ・サピエンスの母親は、我が子のために、自らの内にある「哺乳」要素を捨てたのだ、と言うことが出来るかもしれません。
 つまりホモ・サピエンスの遺伝子変異とは、僕の仮説に則って言えば、先天性のものではなく、或るとき母体に後天的に起こった変異であるということになります。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第28回 ホモ・サピエンス型世界認識(6)

 母なる遺伝子

 もちろん、遺伝子の「ON/OFF」という変化は、本人が意図して出来ることではありません。その変化は、本人の意識を超えたところで起こります。
 ホモ・サピエンスの母親は、ただ一心に、我が子の「産声」を記憶しようとしただけなのかもしれません。しかし、その(我が子を守ろう)という必死の想いが、本人の意識を超えたところで遺伝子レベルの変化を起こさせたのではないか、と僕は考えます。
 ホモ・サピエンスの母親は自分の生において、自身の保全より、我が子の保全を最優先としたのです。母親の、我が子への無償の贈与です。

 オーケストラのチューニングの基準音「A(ラ)」が、赤ん坊の産声と同じ「440ヘルツ」であるというのは有名な話です。実際、それは偶然ではなく、赤ん坊の産声が440ヘルツであるので、1939年の国際会議で国際標準ピッチをそのヘルツに合わせた、という説もあります。赤ん坊の「産声」が、いま現在も全ての音(声)の基準音である――ということも、今まで僕が述べてきたことと関係があるのかもしれません※。
※いま現在のオーケストラでは、442~443ヘルツを基準音にして演奏されることが多いようです。そのほうが、音がきらびやかに聴こえるから、というのが理由だそうです。
 また、世界中の赤ん坊の産声が同じ440ヘルツではない、という説もあります。たとえば、西欧とアジアでは、体格の差からわずかにピッチが違う。440ヘルツというのは、西欧の赤ん坊の産声に共通したピッチである、という説もあります。確かに、体格によってほんのわずかに個人差は出てくるでしょうし、だからこそ母親は記憶した自分の子どもの産声を、他の子のものとはっきりと判別することが出来るのでしょう。世界中の赤ん坊の産声が声質からピッチからまったく同じだったら、母親は自分の子どもを声で判別することは出来なくなってしまいます。

《利己的な遺伝子》という言葉もありますが、このホモ・サピエンスの母親に起こった遺伝子変異に関しては、その言葉はまったく当てはまりません。むしろ反対に、自分の保全よりも他者(我が子)の保全を第一とする、「利他的な遺伝子」です。いわば、我が子を自分の身に代えて守ろうとする、《母なる遺伝子》――。そんな遺伝子が、もしかしたらこの世界には実際に存在するのかもしれません。


 我ながら、ちょっと突拍子がなさすぎるかなあ、とは確かに思います。ここまで述べてきたことは、ほとんど僕の直感に過ぎないことですから……。
 ただ、この説が、僕にとっては一番「ハッピー」なのです。もしこの仮説が少しでも事実に触れ得ているのならば……これほど感動的な事実はないのではないでしょうか。
『原人型世界認識』『ホモ・サピエンス型世界認識』という文章において、僕が描き出そうとしているのは、百数十万年におよぶ「母と子の物語」である、と言えるかもしれません。その中で、僕は自分の考えうる限り、一番ハッピーな「物語」を提示してみたいと思っています。
 人間の「生」について、考えうる限り一番ハッピーな考えを提示すること――それこそが思想における最大の価値であると、僕は信じています。そのとき、それはもはや説の正誤を超えて、自分自身の生きる力となってくれるのではないでしょうか……。
 色々と考えた結果、もはや、開き直って、こう言い切るべきだという気になりました。
 この文章は、僕自身の「物語」なのだ、と――。
 僕は古人類学の専門家でもないし、脳科学の専門家でもありません。根拠ある十分なデータを用意することなど出来ません。この文章は、僕が自分自身の「実感」に基づいて書いた、ひとつの「物語」です。既存の資料と自身の実感を結び合わせてつくった「物語」です。僕は自分の「こころ」を探り探りしながら、原人の時代にはじまるひとつの「母と子の物語」を提示してみたいと思っています。

……


 ここまで読んで、私は原稿から目を離した。
(なるほど、物語……。母と子の物語か……)
 私はホットコーヒーをひと口飲んだ。信慈はおとなしく隣で宿題をしている。
「産声」という視点がいかにもゲンジン先生らしい。遺伝子変化を「母親の視点」から見てみるというのは、こういうことか……。
 私は読んだページを、またパラパラと見返してみた。文章を読みながら、頭の中ではずっと、信慈の赤ん坊だった頃の様々な記憶が繰り返し浮かんでは消えていた。
 私は遺伝子には詳しくないのでよく分からないのだが――記憶の長期的保存のために遺伝子が変異するなんていうことは実際にあり得るのだろうか? そんなことが、人体には起こり得るものなのだろうか?
 またまた、突拍子もないことを考えついたものだ。
 しかし、《母なる遺伝子》というのはなかなかひびきのいい言葉だな。もしも……もしも、本当に、そんな遺伝子があるのなら、確かにとっても「ハッピー」だ。
 脳裏にふと、再びあの光景がよみがえってきた。
 病室、生まれたばかりの信慈……瑞恵の笑顔……信慈をそっと抱く……小さな、でも確かなその感触……こころの震え……。私の人生の中で一番、大切な瞬間――。
 コーヒーを一口飲む。
 何だか胸が一杯になってきた。また続きを読みだすこととしよう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第29回 ホモ・サピエンス型世界認識(7)

 現生人類の誕生

 この遺伝子変異によって、具体的にホモ・サピエンスの脳内にどのような変化が見られることになったのでしょうか。
 具体的にその痕跡を確認できるのは、たとえば「脳梁の発達ということがある、と僕は考えます。脳梁とは、右脳と左脳をつないでいる太い神経線維のことを指します。脳梁はホモ・サピエンスの脳の中でも、最も新しく発達した部位であると言われています。
Photo
 赤ん坊の産声は、まず瞬時に「音」として、「本能」と密接な右脳で感覚された。しかし同時に、それは「声」として「意識」と密接な左脳でも感覚された。つまりこのときから、それまで別々に機能していた右脳(音・音楽)と左脳(声・言葉)は互いに「つながり」を持つようになった、と言うことが出来るのではないでしょうか。そしてその右脳と左脳の交流には、間をつなぐ脳梁の発達ということが欠かせません。

 脳梁は、女性のほうが男性よりも太いと言われています。脳梁は女性のほうが男性よりも20パーセントほど大きいそうです。なぜそのような性差があるのかという理由は、もしかしたらこの辺りのことに関係があるのかもしれません。つまり、女性は母親になった際、産声を完全に記憶することが出来るよう生まれつき男性よりも脳梁が発達している――と(もちろん、性差の理由はそれだけではないと思いますが)。逆に言えば、男性は産声を聴く必要はない(と言ったら語弊があるかもしれませんが)ので、脳梁が女性よりも小さくなっている。
 この遺伝子変異が子孫にも引き継がれ、そうして誕生したのが新しい「ホモ・サピエンス」――つまり、僕たち現生人なのではないか、と僕は考えます。その遺伝子変異を引き継ぐ者として生まれてきたのが、僕たち「ホモ・サピエンス」である、と※。
※この文章において、遺伝子変異が起きるまでのホモ・サピエンスを「初期ホモ・サピエンス」、変異が起きたあとのホモ・サピエンスを、何も付けずに「ホモ・サピエンス」と表記したいと思います。
「初期ホモ・サピエンス」は、ホモ・エルガステルが進化した「ホモ・ハイデルベルゲンシス」がさらに進化して誕生したと考えられています。それはおよそ25万年前ごろと推測され、同時期に誕生した人類に「ネアンデルタール人」がいます。初期ホモ・サピエンス・ネアンデルタール人はともに「ホモ・ハイデルベルゲンシス」が進化した誕生した人類で、その意味で両者は別種の「兄弟」であると言うことが出来ます。
Photo_2

 といって、新しいホモ・サピエンスの外見は、以前とまったく変化はありません。初期ホモ・サピエンスも新しいホモ・サピエンスも、外見はまったく変わらないでしょう。決定的な変化が起こっていたのは「内面」――脳の内部です。
 遺伝子変化を境に脳梁が発達し、ホモ・サピエンスの大脳皮質の左脳・右脳は、互いに「つながり」を持ちはじめるようになりました。
 つまりこのとき、「つながりを見出す能力」、言い換えれば、
 異なる領域にあるものとものを互いに結びつける力――がホモ・サピエンスの内部で爆発し始めることになった、と言えるのではないでしょうか。
……
 僕の説に則って言うと、この新たな「つながりを見出す能力」は、ホモ・サピエンスの母親の「産声の記憶」という能力に促されて、「付随的に」出現したもの、と言うことが出来ます。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第30回 ホモ・サピエンス型世界認識(8)

 無意識の発生

 遺伝子変化が起こる「以前の」人類――「ネアンデルタール人」や「初期ホモ・サピエンス」などの初期人類の脳において、左脳・右脳はそれぞれ独立して働いていました。左右をつなぐ脳梁がまだあまり発達していないからです。
 初期ホモサピエンスの脳を例にとって、左脳・右脳の特徴を僕なりの考えに則って書き出すと、

左脳」――
・「意識」が宿る場
・新しい「原人型世界認識」と密接
・ウェルニッケ野・ブローカ野などの言語野が分布
・ウェルニッケ野で外界の“声”を聴き取る
・外界のひとつひとつの輪郭をはっきりと認識
・吸い込む「名詞としての言葉」と関わる
 などの点が挙げられます。

 対して「右脳」は――
・動物的な「本能」とのつながり
・依然として「動物の世界認識」と密接
・言語野を持っていない。
・外界を個別ではなく、全体的に認識
・「こころの異和としての言葉(叫び)」「意思伝達としての言葉」など、吐き出す言葉を聴覚野で「音」として聴き取る。

 などの点を挙げることが出来ます。このように、初期人類の脳においては、右脳・左脳の働きが「個別に特化」していたと考えられます。
 この初期人類の「特化した脳」という視点を最初に提唱したのは、考古学者のスティーヴン・ミズンです(『心の先史時代』1998)。ミズンは初期人類の知能を「個別に特化」したものとし、それら知能を「一般知能」「博物的知能」「社会的知能」「地術的知能」などに区分けしました。
Homoerekokoro
Neankokoro


 一方、僕たち現生人類の知性を、ミズンは「互いに流動的」である(認知的流動性)としました。左脳・右脳に「つながり」が生まれ、違うモジュールにあった知能同士が互いに交流をし始めるようになったからです。
Homokokoro
 細かい部分において、僕はミズンと考えが異なる点がありますが※、初期人類のこころを「個別に特化した」ものとし、新しい現生人類のこころを「互いに流動的」であるものとする視点は、僕たち「人間のこころ」を考える上で、非常に重要であると思います。

※僕がミズンと考えが異なる点は、たとえば「言語の発生」に関して、です。上の図を見てもらえれば分かるように、ミズンは言語が「社会的知能」から出現した、と考えています。つまりコミュニケーションを目的とする前言語的・音楽的な「意思伝達としての言葉《Hmmmmm》」が、「流動的知能」を得て急激に発達していったのが「人間の言葉」である、と。ミズンは、多様な人間の言葉の基盤には、前言語的・音楽的な「意思伝達の言葉」があると考えているようです。ミズンの考える、類人猿からホモ・サピエンスにかけての言語の成り立ちには連続性があります。
 ミズンの言っていることは間違いではないと思います。しかし、僕が考える「言語の発生」のシナリオは、もう少し複雑に入り組んだものです。
 類人猿の時代に入って、まず前言語的・音楽的な「意思伝達としての言葉」が発達した。しかしそれら「意思伝達としての言葉」を、類人猿は「言葉」として認識していなかった。「言葉」ではなく、「音・音楽」として聴覚野で受容していた。それは、原人の時代に入ってからも一緒だった。
 原人の時代になってはじめて、ウェルニッケ野という言語野が出現した。そのときはじめて、「言葉」として彼ら自身に認識されるような音声言語が登場した。それが、「博物的知能」から生まれた「名詞としての言葉」だった。そして長い間、人類は「名詞としての言葉」しか「言葉」であるとはみなしていなかった。
 しかし或るとき、ホモ・サピエンスに遺伝子変異が起こり、いままで個別に分離していた知能が「つながり」を持ちはじめるようになった。そうして「意思伝達としての言葉」も「言葉」としてウェルニッケ野で受容されるようになった。「断絶」の後の「統合」――これが僕の考える「言語の発生」のシナリオです。


「流動的知能」――
 ホモ・サピエンスが手に入れたこの新しい能力とはつまり、
無意識」――
 と言い換えることが出来ます。
 フロイト以来、この言葉は僕たちの間ですっかりおなじみになってしまいましたが、流動的知能とは言い換えると「無意識」と呼ぶことが出来ます。
 この無意識こそが私たちホモ・サピエンスの文化を発達させた知恵(サピエンス)の源であり、同時に、私たちホモ・サピエンスを「いま・ここ」の私そのものから逸脱させたその原因でもある、と僕は考えています。
 つまり、ネアンデルタール人や「初期ホモ・サピエンス」の脳には、まだ無意識は存在していなかった、ということになります。もちろん、動物の脳にもまだ無意識というものはありません。
“「意識」によらない”世界認識という意味で、動物の本能的なこころの在りかたと「無意識」はごっちゃにされがちであると思いますが、両者ははっきりと異なっています。動物の世界認識とは、「意識」がまだ発生する以前の本能的な認識の在りかたです。一方、「無意識」とは「意識」が発生して後の、ホモ・サピエンス特有の新しい認識の在りかたです。
 ここでは、その両者をはっきりとさせておくために、“「意識」によらない”動物の世界認識を「非意識」と呼んで、無意識と区別しておきたいと思います。

非意識……本能的。動物の世界認識。主に「右脳」の働き
意識……原人型世界認識。主に「左脳」の働き
無意識……ホモ・サピエンス特有の世界認識。「右脳」「左脳」の働きの流動的なつながり



 私はコーヒーをひと口飲んだ。
 確かに、ゲンジン先生の考える「言語の発生」のシナリオは興味深い。
「言語の発生」において、ミズンのように類人猿の発声とホモ・サピエンスの言語に、直接的な進化の「連続性」があると考える学者は多いが、一方で一部には両者の間に「断絶」があると考えている学者もいる。後者の学者は、類人猿の発声とホモ・サピエンスの言語は、用いられている脳の部位自体が違う、と主張している。
 ゲンジン先生のシナリオは、両者の主張をうまく統合したものだと言えるな。この部分は、なかなか説得力があると思う。
「信慈は何の宿題をしてるんだい?」
 信慈は鉛筆を鼻と口の間に挟んで、ノートとにらめっこをしている。
「算数」
「ふーん」
「僕、算数嫌いだあ」
「算数はお父さんも苦手だったけどな……。でも3年生のうちから苦手になってちゃいけないぞ。これから、もっと難しくなっていくんだから」
「ふぁーい」
 気のない返事をして、信慈は鉛筆を動かし始めた。私は再び原稿を読み始めた。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第31回 ホモ・サピエンス型世界認識(9)

 統合系としての「前頭葉」

 左脳の働きによる「名詞としての言葉」。
 右脳の働きによる「こころの異和としての言葉」「意思伝達としての言葉」。
 右脳・左脳の流動的な「つながり」が生まれることによってはじめて、それら「言葉」はみな同じ「人間の言葉」としてホモ・サピエンスの脳の中で統一された、僕はそう考えます。ホモ・サピエンスの脳はこのとき、言語を中心として新たに構造化し直されたのではないか※、と。
※無意識は、言語構造とイコールであるという説があります。

 前回の文章で、「つながりを見出す能力」を担っている「ミラーニューロン」という神経細胞について書きました。右脳・左脳は流動的に交流していますが、その「つながり」を実際に見出すのは、このミラーニューロンの役割である、と言うことが出来ます。そして、そのミラーニューロンが多く集まるのはブローカ野が位置している「前頭葉」です。よって以後、ホモ・サピエンスの脳において「つながりを見出す能力」を司っている前頭葉が、その中心的な位置を占めるようになっていきます。
Photo

前頭葉」はホモ・サピエンスの脳の中で特に発達している部位で、一般に「人間を人間たらしめる脳部位」であると言われています。
 前頭葉は、ウェルニッケ野・視覚野などの感覚野からの「入力」を受けると同時に、その情報を大脳辺縁系や大脳基底核に伝達する「橋渡し」の役割を担っています。前頭葉によってその「橋渡し」を制御されると、運動野における「出力」も制御されることになります。「入力」・「出力」の間を執り成す「統合系」として、「前頭葉」はホモ・サピエンスの脳において中心的な役割を果たしています(参考:『「私」の脳はどこにいるのか』 澤口俊之=著 筑摩書房)。
 その分、前頭葉の働きがあまりに過剰になると、他の脳の部位の働きが制御されてしまう、ということが起こります。
 たとえば、いま目の前に美しい夕焼けがあったとして、感覚野がその夕焼けの情報を「入力」しても、何らかの原因で前頭葉の働きが過剰であったなら、その情報は「情動」を司る大脳辺縁系に渡される前にシャットアウトされ、結果、夕焼けを前にして何もこころが動かない、ということになってしまいます。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第32回 ホモ・サピエンス型世界認識(10)

 記憶の仕組み ~海馬の働き~

 ほとんどすべてのものから 感受への合図が来る。
 向きを変える毎に 追憶を吹き起す風が来る。
 何気なく見逃がして過ぎた一日が
 やがて自分へのはっきりとした贈りものに成って蘇る。
                      ――リルケ

 ……

 ホモ・サピエンスの世界認識において、
 或る記憶を「想起する」こと――
 これは非常に特徴的な能力であると思います。「想起する」――これこそがホモ・サピエンスの世界認識の本質を形作っている能力であると言ってもいいかもしれません。
 ただ、「想起する」ためには、まず「記憶する」ことが必要です。当たり前の話ですが、「記憶する」ことが出来ているからこそ、僕たちは「想起する」ことも出来ます。
 この項では簡単にですが、「記憶」ということについて考えてみようと思います。

Photo
 シナプスには、或る刺激がシナプスからシナプスへ伝達されると、その伝達通路がそのままの状態で保存される「可塑性(かそせい)」がある、ということは先ほど書きました。
 一度シナプスに出来た通路が「そのまま」の形で残る――これが「記憶する」ということであり、その伝達通路が何らかの刺激によって再び活性化する――これが「想起する」ということになります。

 記憶に関し、脳で中心的な役割を担っている部位があります。
 大脳辺縁系に属する「海馬」です。
 大脳皮質からのすべての刺激は、この海馬に送り込まれます。そこで、その刺激が自らの生存にとって不可欠か否か、その伝達ルートを記憶として残す必要があるか、絶えず海馬は判断しています。
 僕たち生物は、いまこの瞬間にも数かぎりない刺激を受けています。その刺激の伝達通路をいちいち保存していたら、脳みそはすぐに容量オーバーになってしまうでしょう。必要な情報だけを選別している海馬の働きとは、僕たち生物にとって不可欠のものです。
 同じ辺縁系にある「扁桃体」も記憶に関わっています。扁桃体は特に、原初的な「情動」に関わる記憶を司っています。僕たちの日常において、他者に対して何だかよく分からないけれど親近感を覚えるとか、反対に何だか嫌な感じを覚えるということは、この扁桃体による記憶が関わっています。
 海馬に届いた刺激は、大抵はそのまま消えてしまいます。しかしその中で、数秒か数分の間、海馬の中にとどまる刺激があります。それが「短期記憶」です。さらに、数時間、数年間もそのシナプス伝達通路が消えずに残る場合があり、それが「長期記憶」です。
 もちろん、この海馬にすべての記憶が折り畳まれてしまいこまれているというわけではありません。シナプス間に敷かれた伝達ルート自体は、折りたたむことが出来ません。海馬の役割とはあくまで、シナプス間の伝達ルートを定着(補強)することにあります。
 海馬とは、いわば脳全体に敷かれたシナプス伝達通路というレールの「管理人」であるということが出来ます。一秒一秒、脳内に数かぎりなく敷かれるシナプス間のレールを保存するか、またはすぐさま解体させるか、その判断の役割を果たしているのが海馬です。
「副管理人」は扁桃体と言うことが出来ます。海馬は常に扁桃体と連絡を取り合っています。扁桃体が「これぞ」と一押しした伝達ルートは特に優遇されることが分かっています。

 海馬には、記憶の“選別”という作業の他に、もうひとつ重要な役割があります。

 それは、記憶の“補強”“整理”という作業です※。
 記憶の“補強”とは、既成の伝達ルートを自ら何度も刺激し、その通路を補強する作業を言います。シナプス間に作られたルートは、海馬に改めて刺激されることによってより補強されます。さきほど、「長期記憶」には遺伝子の発現が関わっている、ということを書きましたが、そのように海馬が何度も刺激を繰り返すことによって、遺伝子が発現します。
 記憶の“整理”とは、一時的に保存されているその日一日分のさまざまなシナプス間の伝達ルートをさらに選別したり、より長期的に保存しやすいようにルート同士を組み合わせたりする作業を言います。
 ということはつまり、記憶というものは必ずしも体験「そのまま」のかたちで保存されているわけではない、ということになります。記憶というものは、あいまいな部分も多いものです。或る体験と、それに類似した或る体験の回路は、同等のものとして海馬によって統合されてしまうということも起こり得ます。
 僕たちの脳に保存されている記憶とは、海馬によって「改編された(整理された)記憶」である、ということも出来ます。そうして海馬によってコンパクトに整理された記憶は、最終的に大脳皮質に送られます。その類の記憶は、もはや海馬の手を借りないでも思い出す――「想起する」ことが出来るようになります。

 ここで重要な働きをするのが前頭葉です。「想起する」、つまり大脳皮質から整理された記憶をひき出すのは「前頭葉」の働きによります。

※記憶の整理・補強作業の多くは睡眠中に行なわれます。睡眠中なら、新たに外界から入ってくる刺激も少なく、既に作られた伝達ルートを整理・補強することに専念できるからです。生物がなぜ睡眠を取る必要があるかということは、保存された伝達ルート(記憶)を海馬が整理・補強する必要があるから、と言うことが出来ます。
 僕たちホモ・サピエンスは夢を見ます。動物も夢を見るかどうか……それは分かりませんが、これほど鮮明に夢を見るのは、やはり僕たちホモ・サピエンスだけなのではないでしょうか。
 夢とは、海馬による記憶の整理・補強作業を、大脳皮質が体験している現象である、と言うことが出来ます。具体的にその夢を体験しているのは前頭葉です。



 私はコーヒーをひと口飲んだ。
 彼の文章では少々分かりにくくなっているが、つまり「長期記憶」にも2種類があるということだ。
 ひとつは、強烈な刺激、または何度も繰り返される刺激によって、シナプス間の伝達ルートそのものが強固に保存されている「長期記憶」。
 ここには遺伝子の発現が関わっており、発現によるタンパク質の合成によって伝達ルートそのものが補強されている。
 この記憶は、何らかの要因で刺激されると情動が伴った、臨場感のあるものとして思い出される。伝達ルートの中に、扁桃体も含まれているからであろう。原先生の言い方を借りれば、「いま・ここ」のみずみずしさを持って、この記憶は思い出される。
 もうひとつは、海馬によって伝達ルートが整理され、コンパクトにまとめられた「長期記憶」。
 この記憶においては伝達ルートはそのもののかたちでは保存されず、むしろ解体・記号化された後、大脳皮質に送られる。たとえを挙げると、ものの「イマージュ(像)」というものがそうである。それら記号化された記憶はみな大脳皮質に蓄えられており、前頭葉によってひき出される。これら記憶は「知」として我々の思考に欠かせないものであるが、体験そのものではないゆえ曖昧な部分も多い。
 
 ほとんどすべてのものから 感受への合図が来る。
 向きを変える毎に 追憶を吹き起す風が来る。
 何気なく見逃がして過ぎた一日が
 やがて自分へのはっきりとした贈りものに成って蘇る。――

 ふと、私は引用されたリルケの詩を読み返した。リルケか、懐かしいな……。
 学生時代は文学好きの友人に感化されて、『マルテの手記』などを懸命に読もうとしたものだが……。でも結局、さっぱり分からなかったな。読めば読むほど、リルケの言いたいことが分からなくなった。
 原先生は、リルケが好きなのだろうか。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第33回 ホモ・サピエンス型世界認識(11)

 “自我”の発生 ~外的現実と内的現実~

 大脳皮質から、整理された記憶を“ひき出す”のは「前頭葉」の働きによります。
 記憶を“ひき出す”とは、いま目の前に在る外界と、蓄えられた記憶の間に「つながり」を見出している状態である、と言うことが出来るのではないでしょうか。
 地面に転がっている丸い石と、
 記憶の中の丸い果実のイメージの間に「つながりを見出す」。
 丸い果実と、
 記憶の中の満月のイメージの間に「つながりを見出す」。――

 そうして、ホモ・サピエンスはもうひとつの「現実」を得るようになりました。
 それは無数の記憶の蓄積からなる「内的現実」という現実です。
「内的現実」にはそれこそ、生まれてからいままでの数え切れぬほど沢山の記憶が蓄えられています。ふだん「内的現実」は混沌として身を潜めていますが、外界(外的現実)の刺激をうけることにより、はっきりとその姿をあらわします。

外的現実……いま目の前で感覚されている外界
内的現実……大脳皮質に保存された無数の記憶の蓄積。外的現実の刺激を受けて、前頭葉によってひき出される

 地面に転がっている丸い石(外的現実)を見て、丸い果実の記憶(内的現実)が姿をあらわす。
 丸い果実(外的現実)を見て、満月の記憶(内的現実)が姿をあらわす。
 あるものを見て、何かを思い出すということ――。
 この「想起する」ということこそ、人間の「思考」というもののはじまりであります。思考という言葉には何か小難しいイメージがありますが、しかし最も原初的な思考の姿とは何かというと、この「想起する」ということにあるのではないでしょうか。
 この原初的な思考を、ここでは「指示思考」という言葉で呼びたいと思います。この指示思考の特徴は、あくまで “「外的現実」に即している” という点です。指示思考とは、「外的現実」と「内的現実」の間に「つながり」が見出されている状態である、と言うことが出来ます。
 前頭葉の司る重要な働きとは、「つながりを見出す能力」であるということは、これまですでに何度も述べてきました。
自我”という言葉がありますが、前頭葉の働きによるこの原初的な「指示思考」とは、“自我”というものの発芽であると言うことが出来ます。

 一方、この指示思考に相対するものは「抽象思考」です。
 抽象思考とは、哲学で語られるような複雑な思考だけではなく、ここでは、僕たちが日常“あたまの中で”あれこれと考えるような思考すべてを指したいと思います。この抽象思考の特徴は、もはや思考が必ずしも「外的現実」に即していない、という点です。
 目の前の丸い石を見て、丸いリンゴをふと思い出すのは指示思考ですが、あたまの中でリンゴについてあれこれと考えているのは抽象思考です。前者は「外的現実」を踏まえていますが、後者はその「外的現実」に関係なくなされています。
 抽象思考とは、「内的現実」と「内的現実」の間に「つながり」が見出されている状態である、と言うことが出来るのではないでしょうか。

 そうして、前頭葉において発達していくのが“自我”というものです。抽象思考がより複雑なものになるにつれ、「つながり」を見出すものとしての“自我”が、より強固に自分の存在を主張するようになっていきます。
 ここにきて、ホモ・サピエンスの脳には新たな管理人があわられることとなりました。前頭葉に棲む、“自我”という管理人です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第34回 ホモ・サピエンス型世界認識(12)

 ホモ・サピエンス型世界認識

 目の前の存在一つ一つ(外的現実)が、それそのものとして輝いている。
 「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

 これが前回の文章で書いた「原人型世界認識」という世界認識でした。
 この認識で言う《自分》とは、前項の“自我”というものとはまた別のものです。ここで言う《自分》とは、“意識”というものとイコールです。“自我”というものをすべてとっぱらっても存在する、原初的な“私”という輪郭線です。抽象的な言い方をすると、この、“私”という輪郭線とは“自我”を収容している「器」であると言うことが出来ます。

 一方、遺伝子の変異が起こった以降のホモ・サピエンスの新しい世界認識を、僕は「ホモ・サピエンス型世界認識」という名で呼んでみたいと思います。

 ・原人型世界認識……側頭葉が重要。“意識”が宿る場 
 ・ホモ・サピエンス型世界認識……前頭葉が重要。“自我”が宿る場

 僕たち「人間の世界認識」には、実は、このように違った層に属する認識が入り混じっている、僕はそう考えています。まったく違った認識が混じっているのに、それを同じ線上で捉えようとしてしまうから、さまざまな混乱が生じてしまうのではないでしょうか。
 その両者のどちらがより根源的かといえば、それはもちろん「原人型世界認識」です※。「原人型世界認識」こそ、僕たち「人間のこころ」の原点です。
※「原人型世界認識」のさらに古層には、主客未分な「動物の世界認識」があります。

「ホモ・サピエンス型世界認識」は僕たち人間の「サピエンス(知恵)」の源ですが、同時にこの世界認識が過剰になり過ぎると、原点である「原人型世界認識」が希薄になってしまう、ということも忘れてはならないと思います。「内的現実」が膨張し過ぎると、いま・ここの「外的現実」へのみずみずしい感受が失われてしまうという――。

Kokoro


「お父さん、ゲンジン先生の文章面白い?」
 ふと顔を上げて、信慈が聞いてきた。
「ん?ああ、面白いよ」
 私は素直な気持で答えた。
「また、ゲンジンの話?」
「いや、今度は僕たちホモ・サピエンスの話だよ」
「ゲンジンは出てこないの?」
「出てこないわけじゃないよ。でも、中心はホモ・サピエンスだね」
「ふーん」
「原人の頃のことを忘れちゃった、僕たちホモ・サピエンスの話だよ」
 と、そう自分で言って、なぜだか私はドキッとした。
「いや、忘れちゃったというか……。でも実際、僕たちは大昔の原人の頃のことなんて覚えてないからね」
 私は少々動揺していた。なぜ動揺しているのか、自分で不可解であった。
(人間の世界認識をふたつに分ける……。原人型世界認識と、ホモ・サピエンス型世界認識、か……)
「信慈は、宿題進んだか?」
「あんまり」
「今日は算数だけかい?」
「ううん、あと漢字ドリル」
「漢字か。信慈は、漢字は得意だからな」
「うん。僕、漢字は得意」
「まあ、ゆっくりやろうぜ」
「うん」
 私はカップに残ったコーヒーを飲み干した。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第35回 ホモ・サピエンス型世界認識(13)

「ホモ・サピエンス型世界認識」の初期段階 ~指さし~

 さて、これから「ホモ・サピエンス型世界認識」を、具体的には2つの段階に分けてみようと思います。
 素朴な《指さし》と、意欲的な《把握》です。

 この《指さし》と《把握》という視点は、三木成夫氏の著作より得たものです。三木氏は、乳幼児の成長を詳しく観察し、その発達の過程にこの《指さし》と《把握》という二つの段階を認めました。
《指さし》とはつまり、外的現実に即した「指示思考」のことであり、《把握》とは、内的現実に即した「抽象思考」のことです。
 このふたつの「思考」能力こそ、ホモ・サピエンス特有の「あたま」の働きである、と三木成夫氏は述べています。以下、少し長くなりますが、三木成夫氏の講演録からの引用です。

《上の子どもが、初めて窓辺で雀を見た時、抱かれたまま、さっそくちっちゃな人差指を伸ばしました。そしてすぐに部屋の中へ向きなおって、こんどは、いつも見ているガラガラを指差すのです。そこには小鳥の飾りがついている。あれと“おなじ”だというのでしょう。この乳児にとって、同じものを発見したということは、まさしく初体験です。そこでは、さきほどの「印象像」と「回想像」の二重映しが現れたことは申すまでもない――おそらく生まれて初めての、ひとつの感動だったのでしょうね……。そして、こんどは下の子どもの時です。団地の庭にツツジの花を指差すのです。とっさに、その“指差し”の指を、少しずつ対象に近づけて、花びらに触れるようにしてやると、そこでは、まず、握るということはしない。なんと、その人差指の尖端で輪廓をなぞっているのです。あの舌の先でやっているのと、まったく同じように……。
Photo_2
 この「指示」という行為は、ですから、あとで話します「把握」という行為と、なにかこう本質的に違ったものがあるようですね……。なにがなんでも自分のものにする、というのではなく、あの「一歩退いて……」の心境に通う。ルードヴィヒ・クラーゲスという、ドイツの哲学者は、幼児が「アー」と声を出しながら、遠くのものを指差す――この動作こそ人間を動物から区別する、最初の標識だと言っています。どんなに馴れた猫でも、ソレそこだ! と指差すのが分からない。鼻づらをその指の先に持って来て、ペロペロ舐める……(笑声)。まったくがっかりですが、この幼児の指差しには、やがてあの「ワンワン」「ニャンニャン」といった「呼吸音」が加わって来ます。人間と動物を区別する最大の標識といわれる「言葉」の、これが最初の姿というものです。この幼児の音声の中に人間であることのしるしが、はじめて音として出てきたことになる……。
 クラーゲスは、この呼吸音をともなう指差し動作の中に、じつは、原初の人類の“思考”の姿があるのだと言っています。スゴい眼力ですね。この感じは、しかし現代でも十分にわかります。たとえば私たち、ビルの屋上から真赤な夕焼け雲を見たりした時、思わず「アー」と声を出しながら、指差しの少なくとも促迫は覚えるでしょう。この瞬間、私たちはもう好むと好まざるとに関わらず、原初の姿に立ち還っているのです。圧倒的な大自然を前にした、その時の思考状態ですね……。頭の中はけっして空っぽではない。ふつうは思考と申しますと、すぐに「抽象思考」「概念思考」といった文字が浮かびます。女性の皆さん方は、こういった言葉はにが手でしょうが、まず思考というと、これです。クラーゲスは、この世間一般の思考と対照的に、この原初の思考を「指示思考」と命名する。もちろん思考というからには、そこには“あたま”の働きがからんでくるのでしょうが、この頃の幼児に、いったい、そんなものがあるのか……?
 あとで申しますが、私どもの“あたま”は“こころ”で感じたものを、いわば切り取って固定する作用を持っている。あの心象と領取の関係です。そしてやがて、この切り取りと固定が、あの一点の「照準」という高度の機能に発展してゆくのですが、「指差し」は、この照準の“ハシリ”ということでしょう。つまり、この段階でもう“あたま”の働きの微かな萌しが出ているのです》 (三木成夫『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館 1982 より)

・・・

 右脳・左脳の流動的なつながりである「無意識」は、何の刺激も与えなかったら、常に流動的なまどろみの状態にある、と言うことが出来ます。
 それは「混沌」という言葉でも言い表せるものです。多くの神話において、世界のはじまりは「混沌」として描かれています。それは、もしかしたらおよそ20万年前のホモ・サピエンス自身の遺伝子変異によって発生した「混沌」の記憶を描写したものなのかもしれません。
 初期人類(原人~初期ホモ・サピエンス)には「無意識」は存在しませんでした。初期人類には、そのようなまどろむ「こころ」の層は存在しませんでした。外界を見る度に常に何かを「想起する」というようなことは起こらなかった。初期人類とって、世界はもっと単純に、そして明晰に見えていたのではないでしょうか。

 さて、そのホモ・サピエンス特有のまどろむ「こころ」の層が外界に接したとき、まずはじめに働きだすのが《指さし》――つまり「指示思考」というものです。
 引用した三木成夫氏の文章にあるように、“自我”が芽生え始めた幼児は《指さし》という行為をします。
 目の前のイヌを指さして、「わんわん」と言う。これはつまり、いま目の前にいるイヌと、以前見たイヌの記憶(イマージュ(像))が、彼のあたまの中で結びつけられていることを意味しています。
 三木氏は、それは《同類の指示》であると述べました。
(同じ……似てる……!)
 幼児のあたま(前頭葉)の中で、「いま・ここ」の外界と「かつて・かなた」の記憶との間に「つながり」が見出されているのです。
 この指さす「こころ」の層で特徴的なのは、決して《把握》はしない、という点です。子どもがツツジの花を指さしたとき、近づけてやると輪郭をなぞっているだけで“つかむ”ことをしなかった、という三木氏が語るエピソードは非常に印象的ですが……。その素朴な眼ざしは、まさに「子ども」の眼ざしであると言えます。《指さし》と《把握》という行為は、やはりそれが基づく「こころ」の層が違うようです。
 指さす「こころ」の層で働く「つながりを見出す能力」とは、「受動的」「反射的」と言うことが出来るのではないでしょうか。恣意的に「つながり」を見出しているというよりは、自分の意思を超えて、勝手に「つながり」が見出されている。この層においては、まだ前頭葉の“自我”の働きもそこまで活発ではなく、素朴であるようです。
「いま」目の前にあるものそのもの(外的現実)に、「かつて」の記憶(内的現実)を結び合わせる。―― 
 これが、「指さす世界認識」の僕なりの定義です。
 このように、ホモ・サピエンスの世界認識において内的現実との関わりは欠かせません。ただ、この初期段階の「ホモ・サピエンス型世界認識」において重要なのは、「いま・ここ」の外的現実をはっきり踏まえた上で、内的現実が活性化しているという点です。



 指さす「こころ」の層か……。
 私は二杯目のコーヒーを淹れるためテーブルを離れた。
 「いま・ここ」の外界に、「かつて・かなた」の記憶を結びつける……。
 私はフィルターにお湯を注ぎながら、
(しかし、彼の言う《原人型世界認識》にも、『かつて・かなた』の記憶は働いていたはずだ……。外界に《母のあたたかい腕》を感じたということは、『いま・ここ』の外界に『かつて・かなた』の“母なるもの”の記憶が結びついているということ……)
 コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐる。
127

 長期記憶には、2つの種類がある。
 ひとつは、シナプス間のルートそのものが強固に保存されているような記憶。この記憶には扁桃体が関わっており、まるで「いま・ここ」で体験しているような情動を伴う。また、この記憶には遺伝子の発現が関わっている。
 もうひとつは、大脳皮質に蓄えられている長期記憶。海馬によって整理され、記号化された記憶である。イヌのイマージュ(像)、鳥のイマージュ(像)、樹のイマージュ(像)……。たとえばイマージュ(像)というのは、この後者の記憶であるということが出来る。このイマージュが音声を得たものが「言葉」であり、またそれが発達すると「観念」になる。ホモ・サピエンスの《内的現実》のほとんどを形成しているのもこの後者の、整理された記憶であろう。
 つまり……。
 私はコーヒーにフレッシュを入れてかき混ぜた。
《原人型世界認識》において働くのは、扁桃体など、脳の古層が関わる記憶である。「あたたかさ」、「懐かしさ」というものを感じるのも、この古層が関わっている。
 一方、《ホモ・サピエンス型世界認識》において働くのは、新しい大脳皮質に蓄えられた記憶である。こちらに保存されているのは、外界の豊かな「イマージュ(像)」や「音」、そしてさまざまな「言葉」――である。

 ほとんどすべてのものから 感受への合図が来る。
 向きを変える毎に 追憶を吹き起す風が来る。
 何気なく見逃がして過ぎた一日が
 やがて自分へのはっきりとした贈りものに成って蘇る。

「信慈も何か飲むか?」
 台所から顔を出して、信慈に尋ねた。
「じゃあ、コーヒー牛乳!」
「はいよ」
 コーヒーとコーヒー牛乳を持ってテーブルに向かった。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第36回 ホモ・サピエンス型世界認識(14)

 指さす世界認識

 この指さす世界認識は、あらゆるものに「つながり」を見出そうとします。すべては根底ではつながっており、すべてはひとつである、という世界認識です。
 この世界認識においては、ときに人が熊になったり熊が人になったりします。また、人の背中に違う種である鳥の翼が重ね合わされたり(=天使)もします。
Photo
 つまり、「神話」によって語られてきた世界認識です。

  はじまりのとき、動物と人間のあいだには、ちがいがなかった。
  その頃はあらゆる生き物が地上に生活していた。
  人間は動物に変身したいと思えばできたし、
  動物が人間になることもむずかしくはなかった。
  たいした違いはなかったのだ。
  生き物は、ときには動物であったし、ときには人間であった。
  みんな同じことばを話していた。
(ミッシェル・ピクマル編『インディアンの言葉』中沢新一訳、紀伊国屋書店)

 引用したのは、イヌイットの人々の間で語られてきた「世界のはじまり」の神話です。このような、あらゆるものに「つながり」を見出そうとする世界認識。本当はすべてはひとつである、という世界認識――。
 神話に保存された指さす世界認識とは、つまり「右脳」の働きと密接である、と言うことが出来ます。

 右脳の特徴には、
 ・動物的な「本能」とのつながり
 ・主客未分な「動物の世界認識」と密接
 ・言語野を持っていない。
 ・外界を個別ではなく、全体的に認識
などの点があります(と、僕は考えています)。
 一方、左脳は、
 ・「意識」が宿る場
 ・「原人型世界認識」と密接
 ・ウェルニッケ野・ブローカ野などの言語野が分布
 ・外界のひとつひとつの輪郭をはっきりと認識
などの特徴があります。

 もちろん、指さす世界認識において、働いているのは右脳だけではありません。外界をひとつひとつはっきりと認識するのは左脳の働きです。まずこの認識が働かないと、右脳の働きも後に続くことが出来ません。その左脳の認識を受けた上で、そのひとつひとつの事象に改めて「つながり」「一体感」を認識するのが右脳の働きです。
 つまり、この指さす世界認識においては、ものの輪郭を明確にする左脳(原人型世界認識)と、ものとの一体を目指す右脳(動物の世界認識)が同時に働いているようです。両者は相対するのではなく、絶妙なバランスで共存しています。人のこころの中において、「個」と「全」がうまくバランスが取れている状態です。バランスをとっているのは「つながりを見出す能力」を司っている前頭葉です。
 一方、この世界認識が発達して、把握する世界認識になると、事態はまた変わってきます。把握する世界認識において、ものを判別する左脳が明らかに優位に立っているからです。この世界認識において「全」は喪失され、「個」がそれぞれ分離したままの状態で孤立する、ということが起こってしまいます。前頭葉の働きが過剰になり過ぎた結果です。前頭葉の働きが過剰になると、外界をみずみずしく感受する「原人型世界認識」、外界との一体を目指す「動物の世界認識」がともにシャット・アウトされてしまいます。

 指さす世界認識は、言語構造でいうと、「喩え」となります。
 つまり、人と熊が入れかわる前者は「換喩」であり、人に翼が重ね合わされる後者は「隠喩」です。ここでの換喩とは、「あるものごとを別のものごとで置き換えること」、隠喩とは「あるものごとに別のものごとを重ね合わせること」を指しています。
 言葉を変えると、換喩とは「外的現実を内的現実で言い換えること」、隠喩とは「外的現実に内的現実を重ねあわせること」となります。
 つまり、このときになってはじめて、ものの意味」が発生したと考えることが出来ます。
 僕たちはものごとに接するとき、そこにどんな「意味」があるのか、絶えず無意識のうちに考えています。それはつまり、その外的現実と自身の内的現実の間に、どんな「つながり」が見出せるか、推し量っているということでもあります。コップをはじめて見た赤ん坊にとって、コップは何の「意味」もありません。しかし、そのコップに「注ぐ」という行為/「飲む」という行為との「つながり」を見出している僕たちにとって、コップとは「意味」のあるものです。外的現実に内的現実との「つながり」を見出せたとき、「意味」というものは発生します。
「原人型世界認識」においては、ものの「意味」というものは存在しません。外的現実と内的現実との「つながり」が希薄だからです。「原人型世界認識」から見る外界とは、内的現実を介さない「意味」以前の世界、“non‐sense”な存在そのものの世界である、と言うことが出来ます。

 指さす「ホモ・サピエンス型世界認識」が発生して、沢山の「言葉」が誕生したと考えられます。いまの僕たちが持っている言葉に直接つながっていく、多くのものの名(名詞としての言葉)が誕生した、と。
 そしてそれは「共感覚」的な言葉からはじまっていっただろう、と推測出来ます。
「共感覚」とは、音を聴いて色が見える、ものを見て音が聴こえるなど、外界を認識した際に異なる感覚野が同時に働く能力を言います。実際に、音を聴いて色が見えるという人は少数であるとは思いますが、しかしこの共感覚は本来僕たちみなが持ち合わせているものです。
 なぜならホモ・サピエンスはみな、「つながりを見出す能力」を豊かに持っているからです。たとえば、赤色を認識したとき、僕は「あたたかさ」を感じます。これも、共感覚のひとつです。赤という色彩と、内的現実に保存された「あたたかさ」のイマージュとの間に「つながり」を見出す。赤色を見て「つめたさ」を感じる人はおそらくいないでしょう。「つながりを見出す能力」はある程度、すべての人で共通している、と言うことが出来ます(だからこそ、共感覚は『共通感覚(common sense)』につながり得るのでしょう)。もちろん、その感覚に多少の個人差はあります。ある特定の領域に「つながりを見出す能力」が密な人は、たとえば色を見たときに実際に音を感じたりするのだと思います。
 指さす世界認識において誕生する「言葉」とは、そのようなホモ・サピエンス特有の「共感覚」から生まれ出たものである、と推測することが出来ます。
Photo_2
 地面にたまっている泥水に、「ドロドロ」という音を想起する。以後、泥水を「ドロ」と呼ぶようになる。そのドロの上を這うヘビを見て「ヌルヌル」という音(または触感)を想起する。以後、その人はヘビを「ヌル」と呼ぶようになったかもしれない。それらはつまり、外的現実を内的現実が《指さし》しているということです。

 ホモ・サピエンスの「言葉」とはすべて、ものを指さす喩え」です。決して、ものそのものではありません。言葉は、ものそのものにはなることは出来ません。
 ただ、人間の歴史において唯一、ものそのものとしての言葉――「言霊」が生きていた時代があったと僕は考えていまして……それが、原人の時代です。
 原人の「言葉」とは、指さしではありません。原人の言葉とは、吸い込むものです。原人は外的現実を吸い込んで自身の内に入れます。ホモ・サピエンスは外的現実を内的現実で指さします。原人とホモ・サピエンスにおいては、息の流れがまったく逆なのです。
「原人型世界認識」から「(指さす)ホモ・サピエンス型世界認識」になって、言葉は「母のミルク」から「指さす自分の」に変化した、と言うことが出来るかもしれません。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第37回 ホモ・サピエンス型世界認識(15)

 《指さし》するものとしての詩的言語

「詩」について――。

 詩的言語とは、本来的に《指さし》する言語である、と僕は考えます。
 小さな子どもが、目に映るものをそっと指さすように……。目の前の世界を、自身の内的現実で《指さし》する言語です。
 僕の好きな詩人にまど・みちおさんがいます。まどさんの作品は童謡の『ぞうさん』『やぎさんゆうびん』などが有名ですが、たくさん詩集も出しています。僕にとってまど・みちおさんの詩は、この《指さし》する「こころ」から生まれ出た小さな宝石のようです。

 『ことり』 まど・みちお

  そらの
  しずく?

  うたの
  つぼみ?

  目でなら
  さわっても いい?

 これは『ことり』という詩です。
 もうこれ以上削れない、最小限の言葉で、「ことり」という存在をみずみずしく《指さし》しています。「そらの/しずく?」「うたの/つぼみ?」……「ことり」という外的現実を、内的現実による言葉で、そっと《指さし》しています。
 この詩で重要なのは、決して《把握》はしないということです。「目でなら/さわっても いい?」……指さすだけで把握はしないというのは、まどさんの詩のすべてに共通している特徴です。《指さし》と《把握》は、どうも宿っている「こころ」の層が違うようです。
 もうひとつ、僕の1番好きな詩を紹介します。

 『エノコログサ』

  エノコログサ
  エノコロ コロコログサ

  みせてもらおうにも かそかすぎて
  めを つぶらなければ…

  エノコログサ
  エノコロ コロコログサ

  さわらせてもらおうにも かそかすぎて
  かぜの手に おねがいしなければ…

 まどさんの詩には、静けさがよく似合います。語るのではなく、そっと耳を澄ます……。この『エノコログサ』に関してはもはや説明は不要であると思います。
 まど・みちおさんの詩は僕にとって、指さすこころ」の、ひとつの理想形であります。



 指さしか……。
 私は二杯目のコーヒーを飲んだ。信慈はまだ算数の宿題と格闘している。
「信慈、ゲンジン先生の文章に『エノコログサ』が出てきたよ」
 信慈はすばやく顔を上げて、
「え、どこどこ!」
 身を乗り出して言った。
「ここ」
 私は指さした。
「あ、本当だ!」
 信慈は目をキラキラと輝かせた。
「あ、この『ことり』という詩も教えてもらったよ!」
「ああ、そうかい」
 信慈はしばらくジッと原稿を見つめたあと、
「指さし……」
「そう」
 私は信慈の顔を見て、
「ゲンジン先生、授業のときに何か、指さしについて言ってたかい?」
「指さしについて……。うん、言っていた!」
 信慈は私の目を見て、
「授業で『エノコログサ』を教えてもらったときね、僕、エノコログサはギュッとつかんじゃ駄目で、つかまないでそっと見てるだけだから、エノコログサはエノコログサなんだって、言ったの」
「そういえばこの前、夕食のときに話してくれたね。そしたら先生がとても喜んでくれたって……」
「そう、そのときね、ゲンジン先生が言ってたよ。指さしのこと……。エノコログサはつかむんじゃなくて、指さすのが大事だね、って。つかんだら、エノコログサはつぶれちゃうから……。風の手にお願いする……そんな気持でエノコログサを見ることが出来たらいいね、って。やさしい気持で……。そしてそれはエノコログサだけじゃなくて、他の花も、動物も、ヒトもそうだね、って」
 私は頷きながら聞いていた。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第38回 ホモ・サピエンス型世界認識(16)

「ホモ・サピエンス型世界認識」の発展形 ~把握~

 内的現実が発達するにつれ、前頭葉は次第に積極的に結びつけをおこうなうようになります。《指さし》のように受動的・反射的なものではなく、能動的・恣意的に「つながり」を見出すようになります。
把握》――
「抽象思考(概念思考)」は、ドイツ語で《把握》を意味します。外的現実を指さすのではなく、むしろ意欲的に把握する。外界は、内的現実でそっと指さすものではなく、むしろ内的現実で把握し、理解する対象と変わり始めます。小鳥を遠くから指さすのではなく、実際に捕まえて籠に入れてしまうのです。外的現実を、内的現実の中に取り入れて閉じ込めてしまう。
 把握する世界認識において重要なのは、外的現実ではなく、むしろ自身の内的現実内における結びつきです。内的現実と内的現実の間に「つながり」が見出されている状態こそが抽象思考である、と言うことも出来ます。把握する世界認識は、「いま・ここ」の外的現実ではなく、自身の「内的現実」に即することで働くというのが特徴です。

指さし(指示思考)》……外的現実と内的現実のつながり/受動的・反射的
把握(抽象思考)》……内的現実と内的現実のつながり/能動的・恣意的

 この把握する「こころ」の層があらわれることにより、「つながり」を見出すものとしての“自我”が、急激に発達していくことになります。把握する層における管理人は、明らかに前頭葉に宿る“自我”です。
 この把握する世界認識から生まれ出た代表的なものに、「時系列」と「所有」というふたつの観念があります。次の項からはこのふたつの観念について、僕なりの考えを述べていこうと思います。

把握》について――
 以下、三木成夫 『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館 1982)より
《「三歳児の世界」
○概念思考~自己の誕生
 これまで“あたま”のことについては、そのつど触れてきました。もちろんまだいろいろわからないことだらけですが、あの内臓不快が煩悩となるのも、季節の風物に遠い生命記憶が甦るのも、すべてはこのはらたきによることはまず間違いないと思います。“いまの此処”に“かつての彼方”が二重映しになる、つまり過去の再現するしくみ――これがどうやら私ども人間の“あたま”すなわち脳味噌の特徴と思われます。
 このはじめの方で、人類とは自然に対して手を加えずにはいられないクセの持ち主であることを申しました。これも、もとをただせば、こうした“過去を映し出す”脳のしくみによるのでしょうが、ではいったいこの「手を加える」とはどうすることか……。すでに申しましたように、最初のそれは「指差し」です。それは自然の一点を、いわば観念的に固定することです。あの時は、窓辺の小鳥を見てオモチャのそれを指差したのですが、それは“同類の指示”だったのです。
 たとえば皆さん、浜辺の波打ちの情景を思い浮かべて下さい。私ども、あの波打ちの音を一つ一つみな同じ波の音として聞いています。波の連なりを見てもみな同じ波として見ています。もちろんそれぞれにかたち大きさみな違うのですが、そのような波の砕けた、あるいは波の盛り上がった一つ一つの頂点に対して“同類の指示”を、ほとんど無意識にやっているのです。それは人間だけのすることでしょう。
 あの茶碗を叩いて拍子をとる……私どもこれを「リズム」に「タクト」を加える、いわゆる「節をつける」といっていますが、こうした拍子づけの行為も、もとをただせば、この同類の指示からはじまったことで、位相のおなじ点に刻みを入れてゆくのです。
 頭のはたらきは、もちろんこれだけではありません。人びとはやがてここから「波」という概念を抽ぎ出す。いわゆる抽象概念です。この概念としての波は、個々の波の顔つきが微妙に異なるのに対してつねに同一です。古今東西を通して波は波です。ですからとうぜん外国語に翻訳することができる。たとえば縁起でもないですが、だれかが死んで、それを知らせる時、死亡・死去・逝去・永眠などから往生・お陀仏まで、いろいろの言葉が使い分けられる。しかし「死」の概念となるとそれはもう万国共通です。こういったことは、どの言葉についてもいえるでしょう。
 ところで、こうした概念を抽出する頭の作業は「概念思考」(筆者注=『抽象思考』)と呼ばれています。ドイツ語で「把握」を意味する。いってみれば“頭で把握する”ということでしょうか……。これはあのはじめの指差しのところの「指示思考」とは、いかにも対照的です。つまり私たちの頭のはたらきには二種の異なったかたちが識別される。その一つは素朴な指差し、他の一つは意欲的な把握――この二つですが、後者のつまり概念思考が、ここからやがて新しい世界を生み落すのです。
 それは自然科学を支えている、あの「数」の世界です。そこでは波の一つ一つが数字の「一」に換算され、一つ二つと数えられる。いわゆる算数ですが、しかしこの辺まではまだよろしい。ここからもっと上の、やれ数学だの物理だのとなるともう大変です。ふつうは、ですから「+・一」とか、せいぜい「○・×」といったところで満足してますね……》

| コメント (0) | トラックバック (0)

第39回 ホモ・サピエンス型世界認識(17)

 時系列について ~前へ進んでいく「悲しみ」~

 足を止め、夕焼けをぼんやり眺めていると、肩をポンとたたかれ、「何をぼんやりしているんだい。早く先へ進みなさい」。
……
 ホモ・サピエンスの世界は、前へ進んでいくことを強く促します。常に「いま・ここ」にとどまっているとしたら、ホモ・サピエンスの世界では生活していくことは出来ません。ホモ・サピエンスの世界は、「いま・ここ」へとどまるだけではなく、前へ進んでいくことを強く促します。
時系列」ということ――。
 この観念は、把握する「ホモ・サピエンス型世界認識」の働きによって発生します。
 内的現実と内的現実の間に「つながり」を見出すということは、大脳皮質に蓄えられた記憶と記憶の間に、前頭葉が「つながり」を見出しているということです。

 赤ん坊の頃の我が子の記憶。歩き始めた我が子の記憶。そしていま現在、すっかり大きくなった我が子の姿。人はそこに、何か直線状の「つながり」を見出します。
 死んでいった者たちの記憶。人はそこにも何か、自分へ連なる結びつきを感じます。また、その「死」はいつか自分にもやってきます。遠くのほうに見えているその「死」の「イマージュ」――。自分の後ろだけではなく、自分の前にも感じられる生きるということの「つながり」……。
 過去―現在―未来という「時系列」は、そのような生の記憶の「つながり」から生まれ出てきたものなのではないでしょうか。
 昨日があり、いま今日があり、そしてまた明日が来る――。
 未来(明日)がある※ということは、「希望」があるということです。一日一日と成長していく我が子の姿は、親の確かな希望です。
※また、この未来という観念は、「もし……ならば、……なる」という「仮定法」を生み出し、ホモ・サピエンスの文化を爆発的に発達させていく要因ともなりました。

 同時に、未来があるということは、「いま・ここは過ぎ去っていく、ということでもあります。「いま・ここ」に在るものすべては、時の流れとともに過ぎ去っていく。時系列を手に入れた僕たちホモ・サピエンスは、「いま・ここ」の原人型世界認識のみにとどまっていることはもはや出来なくなりました。人は「いま・ここ」にとどまってばかりはいられなくなった。過去と未来を手に入れた人間は、「いま・ここ」の風景がどれだけ美しくても、前に進んでいかなくてはならなくなった。時系列という観念は、ときに僕の背中を前へ、容赦なく押してきます。
「かつて」の記憶と記憶(内的現実と内的現実)を「時系列上」に結び合わせる。
 これが僕なりの、把握する「ホモ・サピエンス型世界認識」の定義です。

 この世界認識とは、つまり「物語」ということです。物語は、何も小説や映画だけを指しているのではありません。時系列上に「つながり」を見出していくこと、その世界認識自体が「物語」なのだ、と僕は考えています。
 僕たちホモ・サピエンスは物語を生きています。昨日があり今日があり明日がある限り、僕は物語を生きざるを得ません。物語とは、ホモ・サピエンスの世界認識そのものなのである、と僕は考えます。
 前へ進んでいかなくてはならなくなったということは、「いま・ここ」にとどまっていることは出来なくなったということです。ここに、僕が感じるホモ・サピエンスの「悲しみ」があります。時系列の自覚は、「いま・ここ」の原人型世界認識の喪失にもつながり得ます。
 本当は、「いま・ここ」に根ざした喜びがあるからこそ、人は前へ進んでいく力を得ることも出来るのだと思うのですが――。

 夕焼けは語る
 止まれ
 僕は顔をくちゃくちゃにして、歩き続ける
 夕焼けは微笑む
 止まってごらん、と

 僕は言い訳するように、少し足をとめ
 空を見つめる
 そうすると、かばんに詰め込んだ言葉が、
 まるで言葉でなくなって、僕はどうしたらいいか分からなくなる
 から、また顔をくちゃくちゃにして歩き始める

 いつか、もう進むこともなく
 いつまでもあなたの前に佇み続ける日がくる……だろう
 それまでは、
 まだしばらく僕は顔がくちゃくちゃなまま

 でも、あなたが止まれと言ってくれることが僕の慰め
 あなたが止まれと言ってくれないと、
 いったい誰が、僕たちにそう言ってくれるのか
 あなたがそう微笑んでくれるから、
 僕も顔をいっそうくちゃくちゃにして、笑うことができる

| コメント (0) | トラックバック (0)

第40回 ホモ・サピエンス型世界認識(18)

 所有ということについて 

 本来、外的現実は《指さし》で足るものなのかもしれません。
 しかし「こころ」に怖れ不安が生じたとき、僕は外的現実を内的現実で掴み、「所有」し、その欠如を埋めようという気持になります。
 物を、そして人を――。
 しかしその欠如は実際は、「所有」することでは埋まりません。その欠如とはつまり「原人型世界認識」の欠如につながっています。であるとすると、「原人型世界認識」を再び自分の中に取り戻すには、むしろ握り締めた手を離すことが必要になります。
「ホモ・サピエンス型世界認識」は前頭葉の働きが中心ですが、「原人型世界認識」では側頭葉(ウェルニッケ野+扁桃体)の働きが重要になります。両者は、立脚する部位が違うのです。前頭葉が過剰に働けば働くほど、側頭葉の働きはシャット・アウトされてしまう、ということが人間の脳では起こってしまいます。
 ギュッと握りしめたその(“自我”)をゆるめたとき、外界はまた再びキラキラとした輝きを取り戻しはじめる――ということを、僕は自分の日々の実感から言うことが出来ます。

」というもの――。
 鈴は、古くから「言霊のメディアとして主に儀礼などの場において用いられてきました。鈴という楽器はそもそも、手で握り込まれると「ひびき」を発することは出来ません。鈴は把握されると、もはや鈴そのものの音色を響かすことは出来ません。鈴は決して把握してはいけない――。だからこそ、鈴は「言霊」の媒体なのだ、と僕は考えます。

 同様に、把握する世界認識は、外的現実からそれそのものの輝きを奪ってしまう危険性を秘めています。ものの“声”を聴き取るには、《把握》ではなく、むしろ《指さし》という認識が重要になってくるのではないでしょうか。

《指さし》……鈴が鈴そのものであるためには、握るのではなく、そっと糸でつるしているだけで十分なのかもしれません。



 私は信慈の小さな手を見つめた。
 信慈のふっくらと柔らかそうな手は、まだ幼い子どもの表情を残したままだ。
 私はコーヒーをひと口飲んだ。
 比べて、この私の手は……ゴツゴツとしたこの私の手は……。私のこの手は、いったい今までどれくらいのものごとを把握してきただろう?
 私は今まで、いかにものごとを把握出来るか、そこにこそ力を注いできた。ものごとを把握し、理解出来るということは、いままで、私にとって最も重要な価値だった。
 前へ進んでいくということ――。
 ものごとを把握するということ――。
 この二つこそ、私にとっての価値だった。そう、価値だったのだが……。
 私は文章をパラパラと読み返してみた。
(まさに、私はホモ・サピエンス的な人間だな。原人のこころを失った、頭でっかちの、そんなホモ・サピエンスの見本のような人間だな、私は)
 ゲンジン先生の文章を読んでいると、なんだか急に、忘れ物を思い出したような気持になって、ハッとする。
 ハッとはするが……しかしもうずいぶん私は遠くまで来てしまったから……。その忘れ物を取りに帰ることはもはや出来ないような気もする。

| コメント (0) | トラックバック (0)

第41回 ホモ・サピエンス型世界認識(19)

「人間のこころ」を形づくる三つの世界認識

 今まで述べてきた、「人間のこころ」を形づくる世界認識をまとめると、次のようになります※。
※もちろん、これら「人間のこころ」の下には、「動物のこころ」という層があります。

Photo_2

○「原人型世界認識
目の前の存在一つ一つ(外的現実)が、それそのものとして輝いている。
「いま」という瞬間が充溢し、自分も自分そのものとして、確かに「ここ」にある。

・外的現実のみずみずしい感受。
・原初的な“私”(意識)

○「ホモ・サピエンス型世界認識~指さし~
「いま」目の前にあるものそのもの(外的現実)に、「かつて」の記憶(内的現実)を結び合わせる。
・素朴な《指さし》(指示思考)
・“自我”の目覚め、「内的現実」の発生。

○「ホモ・サピエンス型世界認識~把握~
「かつて」の記憶と記憶(内的現実と内的現実)を「時系列上」に結び合わせる。
・意欲的な《把握》(抽象思考)
・“自我”の発達、「内的現実」に重心が置かれる。もはや「いま・ここ」の外的現実は問われない。
・時系列、物語の発生

 ホモ・サピエンスの世界認識とは、素晴らしい「知恵(サピエンス)」の源です。この世界認識がないと、ホモ・サピエンスの文化の発達もありえなかった。素晴らしい芸術も、科学も、この新しい世界認識なしには誕生することはなかったでしょう。
 ただ、ホモ・サピエンス世界認識――特に、把握するホモ・サピエンス世界認識は、過剰になり過ぎると危険なのです。すでに何度も書きましたが、把握する世界認識は、外的現実に即さないでも成り立ちます。むしろ、「いま・ここ」の外的現実への認識が希薄になったとき、人間のあたまの中では抽象思考がはじまる、と言うことも出来るかもしれません。「原人型世界認識」が希薄になったとき、人間のあたまの中では把握する世界認識が動き出す……。それはいわば、考え事をしながら道を歩いている状態です。

「原人型世界認識」の喪失は、「こころ」の危機と紙一重である、と僕は考えます。つなぎとめるものを失った“自我”は、とたんに暴走をはじめます。“自我”はおのれの内的現実のみに過剰な「つながり」を見出すようになり、そうして、外的現実から離れた「妄想」が拡大していくことになります。
「原人型世界認識」とは、「動物のこころ」と「人間のこころ」の間を執り成す、一枚の皮膜である、ということが出来るのではないでしょうか。この皮膜を喪失すると、「ホモ・サピエンス型世界認識」が暴走したり、また「動物の世界認識」と「ホモ・サピエンス型世界認識」が不自然なかたちで合流してしまったりする、と僕は考えます。
 他者への暴力、自己破壊への欲求、「死」としての主客未分への傾倒……それらは、主客未分な「動物の世界認識」と、“自我”が宿る「ホモ・サピエンス世界認識」が不自然なかたちで混ざり合ってしまった結果なのではないでしょうか。
「ホモ・サピエンス型世界認識」は僕たちが手に入れたかけがえのない「知恵」ですし、この認識なしには僕たちは生活していくことは出来ません。しかし、常に「いま・ここ」の私そのもの――という「原人型世界認識」を自分の原点として、「こころ」に留めておく、いつでもそこに立ち戻れるようにしておく、その姿勢が大切であると僕は考えています。
「人間のこころ」の原点に、「原人型世界認識」をすえる――。
「原人型世界認識」を人間の「こころ」の原点に置くということは、「喜び」をその原点に配置するということです。
 はじめに「喜び」があった――。
 僕たち人間の世界認識の根底にあるのが「喜び」であるとしたら、これほど「ハッピー」なことはないのではないでしょうか。


 何かに包まれることで
 ぽっかり空いた空間――それが“私”。

 あたたかな何かに抱きしめられることで、
 確かに感じた輪郭線――それが“私”。

 やさしい何かに微笑みかけられることで、
 思わずもらした笑い声――それが“私”。

 何度も繰り返すようですが、「原人型世界認識」を失った「サピエンス(知恵)」は暴走します。特にここ数百年、(出産を経験しない)「男性」の「サピエンス」の暴走には著しいものがあります。
 いま、この世界は「サピエンス」が暴走しています。いや、暴走しきって、むしろ石化しています。暴走するだけ暴走しきって、いまや「サピエンス」はなにものも結び付けない。個と個が互いの「つながり」を見失い、ポツンと孤立しています。「ものとものをつなげる力」こそ、僕たちの「サピエンス」の本質であるのに――。
 いまこそ、僕たちは本当の「物語」を取り戻す必要があるのではないでしょうか。本当の、みずみずしい「サピエンス」を、自らのうちに取り戻す必要があるのではないでしょうか。
ただ結びあわせよ(Only Connect……)
 いまこそ、僕は本当の「物語」の出現を希求しています。
Photo


 
 ふと、私は思い出した。
 ただ結びあわせよ。……(Only Connect……)という言葉……。
 これは確か、フォースターの小説、『ハワーズ・エンド』の冒頭に書かれていた言葉だ。
 私はノートを広げて、以前書いたメモを見た。
 そうだ、これは『ハワーズ・エンド』の冒頭の言葉だ。ずいぶん前にこの小説を読んだとき、扉に書かれたこの言葉が妙に印象的だったのだ
「そうだ」
私は思わず呟いた。
「何?」
信慈が私の顔を見た。
「いや……。ちょっと忘れてたことを思い出してね」

《『ただ結びあわせよ。……(`Only Connect……′)』
イギリスの作家E・M・フォースターは、傑作『ハワーズ・エンド』の扉に、そう書きのこしました。簡潔きわまりないそのことばから、子どもとおとなをめぐる本のもっとも大事な主題を引きだしたのは、魅力にみちたメアリー・ポピンズの物語作者であるP・L・トラヴァースです。
物語作者は言います。本にとって大事なことは、結びあわすこと。一つの世界を別の世界と結びあわすこと。既知のものを未知のものと、激しい懐疑主義と意味を見いだそうとするねがいを結びあわすこと。そうして、子どもたちとおとなたちを結びあわすこと》
(長田弘『すべてきみに宛てた手紙』晶文社 より)

| コメント (0) | トラックバック (0)

第42回 おわりに

 おわりに ~あなたが、あなたそのもので在って、良い

 改めまして――。
 なぜ人は、外界に“母なる声”を感じるのでしょうか。
 考えてみると、不思議なことですよね。なぜ僕は、外界に“母なるもの”を感じるのでしょうか。なぜ僕の前頭葉は、外界と《あたたかい母の腕》の間に「つながり」を見出すのでしょうか。なぜ、外界の発する“声”と、懐かしい“母なる声”の間に、同じ「つながり」を見出すのでしょうか……?

 それは、この世界にはそもそも、“母なるひびき”が存在しているからだ、と僕は考えます。というより、僕はそう信じています。

あなたが、あなたそのもので在って、良い

 この世界には、そう僕たち人間に(そして、すべての存在に)やさしく語りかけてくれる“母なるひびき”が存在している――。
 これが、僕の信仰です。
「慈しむ」という言葉があります。慈しみとは、過去・未来関係なく、「いま」目の前に存在しているものそのものを、丸ごと受けとめてはじめて生まれ出て来るものです。この世界に存在するもの一つ一つを、それそのものとしてはっきりと抱きとめてはじめて、この慈しむ「こころ」は生まれ出て来るのではないでしょうか。この“母なるひびき”とは、「いま・ここ」に在る存在そのものを、ひとつひとつ、しっかりと抱きしめてくれる慈しみ深き“声”……です。
 根本にあるのは僕自身、ただ信じる(信頼する)ことでしか表現出来ない“何か”です。

(あなたが、あなたそのもので、在って、良い)――
 この世界には、そう語りかけてくれる“母なる声”がある。
 そしてどんなときも、“母なる声”は共にいてくれる。
 僕たち人間は日々、その“母なる声”に生かされている……。
 僕が今回、仮に名付けた「原人型世界認識」という世界認識は、この“母なる声”を、耳を澄ませて聴き取るものです。
「あなたが、あなたそのもので、在って、良い」――。
 僕たちの「サピエンス(知恵)」はその「ひびき」を指さし、また、物語る――。

(筆者注:連載自体はあと3回続きます)

| コメント (0) | トラックバック (0)

第43回 ゲンジン先生からの手紙

 最後のページに、手書きによるゲンジン先生の文章が入っていた。

 鈴木二郎様
 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 あなたが、あなたそのもので、在って、良い――
 この世界の根底にはその「ひびき」がある。僕はそう信じています。もし僕にほんの少しでも信仰と呼べるものがあるなら、その「ひびき」を確かに在るとすることが、僕の信仰であると思います。 
(あなたが、あなたそのもので、在って、良い)という「ひびき」――。
 たとえ「意識」していなくても、その「ひびき」に自分たちは日々生かされている……。
 もし僕に信仰というものがあるのなら、これが僕の信仰です。

 根底に、「良い」ということをすえたい。「喜び」をすえたい。「怖れ」でもなく、「混乱」でもなく、すべての価値観の根底に、「良い」ということをすえたい。
 僕はそう願っています。
 根底に「良い」ということをすえた場、それこそが教育の場ではないでしょうか。そういう場をつくることこそが、僕たち教師の役目なのではないでしょうか。そういう場をつくってこそ、子どもたちは伸び伸びと学んでいくことが出来る。僕は、そういう場をつくってみたい。
 色々な仮説を立ててきましたが、結局のところ、僕のこまごまとした仮説が正しかろうが間違っていようが、それは僕にとってはそこまで重要ではないのです。
 僕はあくまで教師です。僕の現場とは、子どもたちとの間にあります。

 実は、前回の文章をお送りしたときから、ずっと鈴木先生にお願いしたかったことがあります。夏休みにお会いしたときも、結局言い出せなかったのですが……。
 これは、僕の厚かましいお願いなのですが、今まで書いてきた仮説を、先生にお預けしたいのです。そして、「良い」ということを根底にすえられるような、そんな新しい説を、学問の場に打ち立てていただきたいのです。
「良い」ということを根底にすえた教育。
「良い」ということを根底にすえた学問。
 僕はその鍵(キー)となるのが、「原人」の世界認識であると信じています。僕がいままで書いてきたこの「原人」に関する文章が、一粒のその小さな種となれたら、これ以上の喜びはありません。

 ひとりの教師として、僕は伝えてみたいと思っています。
「あなたが、あなたそのもので、在って、良い」――。
 子どもたちに、そのことを伝えたい。僕の、大切な子どもたちに。
 これが、僕の願いです。



 ゲンジン先生の文章は、ここで終っていた。
(なるほどね……)
 私は原稿から目を離し、窓の外へ目をやった。風に揺れるポプラの背後には、夕焼け空が広がっていた。席を立って、窓ガラス越しにポプラと夕焼けを眺めた。
 私は、信仰のことはよく分からないけれど……。
 でも、彼がいったいこの文章を通して何が言いたかったのか、それは私なりに分かった気がする。
 夕焼けを眺めながら私はふと、学生時代に読んだフランクルの『夜と霧』のことを思い出していた。
 ナチスの強制収容所での体験が綴られたこの著書に、私は学生時代大きな衝撃を受けた。中でも特に印象に残ったのは、筆者のフランクルら数人の被収容者が強制収容所から見える夕焼けを眺めていたとき、ある一人の仲間が、
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
と言ったというエピソード。20歳過ぎの私のこころに、このエピソードは特に印象深かった。
 私は夕焼け空に浮かぶ雲のひとつひとつを目で追った。
 しかしなぜ、私はいまそんなエピソードを思い出したのだろう? もうずいぶん長い間、私はこの本のことを忘れていたが……。

《ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急(せ)きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
 そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄(くろがね)色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想なかたちを変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
 私たちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」》(『夜と霧・新版』V・E・フランクル=著 池田香代子=訳 みすず書房)


「原人型世界認識」……。これは、ただの彼ひとりの思い込みなのだろうか。それとも、彼の言っているようなことが、いつか当たり前になるような日が来るのだろうか。私にはまだ、判断がつかないが……。
 信慈が私の隣に立った。
「お父さん、読み終わったの?」
 私は信慈の顔を見た。
「ああ」
「面白かった?」
「ああ。……面白かったよ」
「夕焼け綺麗だねえ」
 信慈は窓ガラスにそっと手を当てながら言った。しばらく、ふたりで暮れていく空を眺めた。
「そうだ、お父さん! 僕、暗唱出来るようになったよ」
 ふと、信慈が目を輝かせて言った。
「暗唱? 何の?」
「ほら、『生きる』っていう詩。この前、ゲンジン先生に教えてもらったって言ったじゃない」
「ああ。谷川俊太郎さんの」
「そう。僕、もう空で言えるようになったよ」
「そうかい、じゃあちょっと聴かせてよ」
 信慈はひと呼吸してから、ゆっくりと朗読をはじめた。
「生きているということ、いま生きているということ、それはのどがかわくということ、木もれ陽がまぶしいということ、ふっと或るメロディを思い出すということ、くしゃみすること、あなたと手をつなぐこと……」
朗読をする信慈の顔を、私はじっと見つめた。
「生きているということ、
 いま生きているということ
 それはミニスカート
 それはプラネタリウム
 それはヨハン・シュトラウス
 それはピカソ
 それはアルプス
 すべての美しいものに出会うということ
 そして
 かくされた悪を注意深くこばむこと

 生きているということ
 いま生きているということ
 泣けるということ
 笑えるということ
 怒れるということ
 自由ということ

 生きているということ
 いま生きているということ
 いま遠くで犬が吠えるということ
 いま地球が廻っているということ
 いまどこかで産声があがるということ
 いまどこかで兵士が傷つくということ
 いまぶらんこがゆれているということ
 いまいまが過ぎてゆくこと……」

 信慈の顔を私はじっと見つめた。

「生きているということ
 いま生きているということ
 鳥ははばたくということ
 海はとどろくということ
 かたつむりははうということ
 人は愛するということ
 あなたの手のぬくみ
 いのちということ」

 信慈はフーッと息をついて、
「ほら、言えたでしょ」
「うん。すごい」
 私は信慈の頭を撫でた。
「それに、信慈の朗読はとっても良かったよ。お父さん、聴きながら、ああ、いい詩だなあって思ったよ」
 信慈は嬉しそうに笑った。
 信慈の顔を見ながら、何かよく分からないものが私のうちから込み上げてきたように感じた。その何かよく分からないもので、こころがあたたかく満たされた。
 私は小さく決意していた。
 そうだ、ゲンジン先生の仮説を、少しでも後押ししてあげられるような研究が出来たら――。結果はまったく出ないかもしれないけれど、しかし彼の想いを私なりに少しでも補強してあげられるような研究が出来たら……。
「良い」ということを根底にすえる――
 それは確かに最も重要なことで、しかしそれでいて、なかなか為されていないことなのではないか。
「良い」ということを根底にすえる。私なりに、その事業の一端を担えたら……。

「お父さん、今日は“声”、感じる?」
隣に立つ信慈が言った。
「うん」
とだけ、私は答えた。
(今日はほんの少しだけれど、そんな気がする……)
 窓の外はもう暗くなり始めていた。
 私は信慈の顔を見て言った。
「信慈、今度はほら、『エノコログサ』の朗読してよ」

| コメント (0) | トラックバック (0)

第44回 ゲンジン先生への手紙(1)

 その夜、書斎で私は机に向かって考えていた。

 改めて、「記憶」について――。
 長期的な記憶にはふたつある。ひとつは、脳によって整理され、改編された記憶。もうひとつは、遺伝子の発現によって補強され、保たれた記憶。
 つまり、遺伝子の発現が関わった記憶は改編されにくい――ということがあるのかもしれない。遺伝子が関わることによって、記憶は改編されにくくなる……。もちろん、完全な体験そのものが保存されているとは言わないが、しかし想起すると、その体験に関連した「情動」がみずみずしく蘇る。

 記憶は、遺伝子が関わることによってみずみずしく保たれる……。
 再び、私のうちに信慈が生まれたときの記憶が蘇ってきた。
 生まれたばかりの信慈を抱き……こころが喜びに満たされ……ベッドには瑞江がいて……。そのとき、信慈は私の腕の中で微笑んだような気がした。
 私は、いままで、ことあるごとにこの瞬間のことを思い出してきた。仕事がうまくいかず辛いときも、この記憶さえあれば自分はこれからも前を向いて歩いていける気がした。
 そういう意味で、大切な瞬間とは、私の中でいつまでも「いま・ここ」なのかもしれない。思い出すたびに、私はその「いま・ここ」の瞬間に立ち戻る。あのときの記憶が、今日も私を生かしてくれている。あの記憶には、間違いなく遺伝子の発現が関わってくれているに違いない。
 私はハッとした。
――では、そのように働いてくれた遺伝子とは一体なんなのだろう?

 ゲンジン先生の説によれば、そもそもホモ・サピエンス誕生の発端は「産声の記憶」だった。産声を記憶するため遺伝子が変異し、結果、さまざまな体験を記憶するに適した、新しい脳の構造が生まれたのだった。
 ホモ・サピエンスの誕生そのものにも、遺伝子の働きが関わっている。
 そうして、ホモ・サピエンスの脳の構造は、乳児的なものから母親的なものへ転換した。言葉も、「哺乳」するのではなく、「授乳」する――「吸い込む」のではなくて、「吐き出す」ようになった。
 吐き出す言葉――ゲンジン先生の説によれば、その起源には、乳児的視点から母親的視点への転換がある……。
「call(呼ぶ)」から「say(言う)」へ――。
 それはそもそも、母親が我が子の「叫び」を聴き取るための変化だった。
――では、そうした変化をつくりだした遺伝子とは……?

 私はゲンジン先生の原稿をパラパラとめくった。
 彼の言う《母なる遺伝子》。
 この発想は、いったい彼のどこからやってきたのだろう?
 彼の言う《吸い込む言葉》。
 この直感は、どこからやってきたのだろう?
 それは、数百万年前から数十万年前の話だ。もちろん、彼自身がそれを体験したわけではない。体験して、記憶したわけではない。
 では、どこから……?

「脳」の働きによって改編された記憶。
「遺伝子」の働きによって改編されていない記憶
 遺伝子は、自身を発現さすことによって、記憶をどうしようとしているのだろう?記憶をみずみずしく保って、どうしようとしているのだろう?
 ふと、「遺伝子の記憶」という言葉が浮かんだ。
 遺伝子の記憶――。
 本当に大切な瞬間は、もしかしたら遺伝子そのものに記憶されるのだろうか?
 本当に大切な「いま・ここ」の瞬間は、遺伝子そのものに刻印されているのだろうか?
 ヒトの遺伝子には、先祖代々の「いま・ここ」の記憶が保存されているのだろうか?
 この私の遺伝子にも……?
 私は再び、ハッとした。
 彼の直感は、もしかしてそこからやってきているのか……?

 原人時代の記憶も、もしかしたら私たち自身の遺伝子に刻まれているのかもしれない。
 数百万年におよぶ人間の記憶というものが、もしかしたら私たちの遺伝子にも刻まれているのかもしれない。
「本能」というもの――それもつまりは、「遺伝子の記憶」の働きなのだ。蜘蛛が誰に教えられることもなく美しい巣をつくれるのも、鳥が遥かな距離を迷わず移動できるのも、小動物が天災を前もって察知するのも、遺伝子の働きなのだ。私たちが本能と呼ぶものは、生命が誕生してから長い長い年月をかけて蓄えられてきた、「遺伝子の記憶」の発動なのだ。
 動物は、その遺伝子の記憶――本能に基づいて生きている。しかし、私たち人間は脳が発達しているので、本能そのままでは生きられない。“意識”と“自我”が、本能の働きをさまたげるからだ。
 しかし、もしかしたらいまこの瞬間も、遺伝子は私たちにメッセージを送っているのかもしれない。“意識”と“自我”の間を抜けて、何らかのメッセージを送っている……。
 私たちが「直感」と呼ぶもの。または、「第六感」「虫の知らせ」と呼ぶもの。
 それらは、もしかして遺伝子からの発現(メッセージ)なのだろうか?
 そのメッセージを、むしろ無きものとしようとしているのが“自我”が棲む前頭葉なのだろうか? 我こそが、このからだの管理人だと……。
「遺伝子の記憶」――。人間の「直感」とは、その「遺伝子の記憶」からやって来ているものなのだろうか……?
どうしたんだろう、私としたことが。こんな突拍子もないことを考えるなんて。
(ゲンジン先生の影響だな)
 私はひとり、苦笑した。

| コメント (0) | トラックバック (0)

最終回 ゲンジン先生への手紙(2)

 私は茫然としたように、机の前に座っていた。

 ふと、「祈り」という言葉が頭に浮かんだ。
「祈り」なんて、私には縁遠い言葉だが……。それがなぜ、いまふと浮かんだのだろう?
 祈り――。
 手を合わせて……右手と左手をそっと合わせて……。
 私は目を閉じて、「祈り」というものをイメージしてみた。すると、頭の中で合わせた右手と左手が、右脳と左脳に変化した。
 なぜだか一瞬、ドキッとした。


「祈り」とは、ゲンジン先生の文章のどの世界認識に当てはまるだろうか。
 目を閉じたまま、私は考えてみた。

原人型世界認識」は、重なる部分はあるが、まったくのイコールではない。
“自我”を薄くして、耳を澄ますということが共に中心にあるのは分かるが……。
 しかし、完全にイコールではないような気がする。この世界認識は「乳児」的で、“自我”の要素はまったく感じられない。
 しかし、祈りには、“自我”もあるのではないか。それに、祈るこころには「喜び」だけではなく「悲しみ」がある……。

指さすホモ・サピエンス型世界認識」はどうか。
 これも、重なる部分があるような気がするが、しかしまったくイコールではない気がする。
 右脳・左脳のバランスの良さから言うと、この世界認識であるような気もするが……。
《指さし》は……そうだ、「子ども」のイメージだ。しかし、祈りには「大人」の目線も含まれている気がする。

 では、「把握するホモ・サピエンス型世界認識」なのだろうか?
 この世界認識が一番「母親」的だ。ゲンジン先生の文章によれば、ここには「悲しみ」も「叫び」もある。はっきりとした“自我”もある。
 しかしやはり、この世界認識だけ当てはまっている、というのも違うような気がする。祈りというものには、この「母親」の目線とともに、「乳児」のような「原人型世界認識」の要素も、やはり必要な気がする。
 では……「祈り」とはいったいなんだろう?
 私は目を開けて、目の前の空間を見つめた。

 祈り――。
 祈りとは……。

 祈りとは、もしかしたら、この三つの世界認識の統合なのかもしれない。
「原人型世界認識」と「指さすホモ・サピエンス型世界認識」と「把握する世界認識」の調和、そして共存――。

 手を合わせて、過剰な“自我”の働きをそっと鎮める……。しかし、かといってまったく“自我”が存在しないわけではない。“自我”も、はっきりとそこに在る(前頭葉も、前頭葉そのものとして、確かにそこに在る……)。そこにいて、祈りの「言葉」を物語っている。
 すべての部分が、そのものとして、はっきりと目覚めながら、静かに耳を澄ませている。
 手を合わせ……過去の記憶を受け止めつつ。「悲しみ」を受け止めつつ。
 目を閉じ……未来を見据えつつ。
 耳を澄まし……そして、「いま・ここ」にひざまずきつつ――。
“ただ結びあわせよ。……(`Only Connect……′)”
「祈り」とはもしかしたら、人間の持つすべての世界認識の統合なのかもしれない。
 私はゲンジン先生の原稿の上に手を置いた。
 ゲンジン先生の文章とはつまり、彼なりの「祈り」だったのかもしれない。

……

 その夜、私は一晩かけてゲンジン先生への長い手紙を書いた。

                                (終)


~参考文献~

本文に明記したもの

・ 『われら以外の人類~猿人からネアンデルタール人まで~』内村直之=著 朝日新聞社 2005
・ 『5万年前に人類に何が起きたか?~意識のビッグバン』リチャード・G・クライン、ブレイク・エドガー=著 鈴木淑美=訳 新書館 2004
・ 『歌うネアンデルタール~音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン=著 熊谷淳子=訳 早川書房 2006
・ 「脳の世界」京都大学霊長類研究所web site《サルやヒトは視覚動物》http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain
・ 『心を生みだす脳のシステム~「私」というミステリー~』茂木健一郎=著 NHKブックス 2001
・ 『臨床医が語る・脳とコトバのはなし』岩田誠=著 日本評論社 2005
・ 『胎児の世界~人類の生命記憶』中公新書 1983
・ 『ヒトのからだ~生物史的考察』三木成夫=著 うぶすな書院 1997
・ 『子どもはことばをからだで覚える~メロディから意味の世界へ』正高信男=著 中公新書2001
・ 『ムンク』ウルリヒ・ビショフ TASCHEN 2002
・ 『まど・みちお全詩集』まど・みちお=著 理論社 1992
・ 『赤ん坊はなぜかわいい?~ベイビー・ウォッチング12か月』デスモンド・モリス=著 幸田敦子=訳 河出書房新社、1995
・ 『脳と無意識~ニューロンと可塑性』フランソワ・アンセルメ+ピエール・マジストレッティ=著 長野敬+藤野邦夫=訳 青土社 2006
・ 『心の先史時代』スティーヴン・ミズン=著 松浦俊輔・牧野美佐緒=訳 青土社 1998
・ 『「私」の脳はどこにいるのか』澤口俊之=著 筑摩書房 1997
・ 『内臓のはたらきと子どものこころ』三木成夫=著 築地書館 1982
・ 『インディアンの言葉』ミッシェル・ピクマル=編中沢新一=訳 紀伊国屋書店 1996
・ 『カイエ・ソバージュⅤ 対称性人類学』中沢新一=著 講談社選書メチエ 2004
・ 『すべてきみに宛てた手紙』長田弘=著 晶文社 2001
・ 『夜と霧・新版』V・E・フランクル=著 池田香代子=訳 みすず書房 2002
・ 『うつむく青年』谷川俊太郎=著 山梨シルクセンター出版部 1971

 その他

・ 『生命の暗号~あなたの遺伝子が目覚めるとき』村上一雄=著 サンマーク出版 1997
・ 『海馬~脳は疲れない』池谷裕二・糸井重里=著 新潮文庫 2002
・ 『脳と心の地形図~思考・感情・意識の深淵に向かって』リタ・カーター=著 藤井留美=訳 養老孟司=監修 原書房 1999
・ 『脳の中の幽霊』V・S・ラマチャンドラン+サンドラ・ブレイクスリー=著 山下篤子=訳 角川書店 1999
・ 『台風の眼』日野啓三=著 新潮文庫 1993
・ 『夏の花・心願の国』原民喜=著 新潮文庫 1973
・ 『余白の旅~思索のあと』井上洋治=著 日本基督教団出版局 1980
・ 『死海のほとり』遠藤周作=著 新潮文庫 1973


・ 『新共同訳・聖書』日本聖書協会 1987


 以上で『マイーム~「いま・ここ」に在る喜び』の連載を終了いたします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
                2008年7月17日記  筆者

| コメント (0) | トラックバック (0)

«第44回 ゲンジン先生への手紙(1)